第9話(仮)

「どういう事だ? まさか、例の女生徒か? なんでそんな事に……!」

「解かりません、申し訳ありません! 懐中電灯では確認の取りようもなく、この門を乗り越えて侵入すべきかどうかと考えあぐねていたところへ、あなたが。」

 中富は突然の事に動揺しきりのこの同僚を叱りつけた。

「ばかな事を! 先生にご迷惑が掛かったらどうする、それに、見間違いという事もあるだろう、ここは学園の事務方へ匿名で電話を掛けてみて、反応を見た方がいい。」

 中富の言葉に、岡野は即座に反応し、携帯を操作した。

「誰か出そうか?」

「は、たぶん……もしもし!?」

 会話が為される間、中富は黙って様子を窺っていた。固唾を呑んで、改めて闇に聳える旧校舎の、今や真っ黒に染まりきった影を見ていた。


 この場に居るのは拙いと、二人はすぐに車に乗り、現場を離れてしまった。後の学園でどのような騒ぎが起きたのかも当夜の中富は知らなかった。本当に飛び降り自殺が起きたのか、飛び降りたとすれば、それが誰だったのか、あまり考えたくもなかった。

「中富さん、これからどうしますか?」

「君は念のために駅前の繁華街を当たってみてくれ、私はこうなったら坊ちゃんの傍に張り付いて二人が合流したら説得するよ。」

「解かりました、何かあれば連絡します。」

 繁華街のネオンが広がる通りの一角で同僚を降ろし、中富はすぐさまハンドルを切った。バスの停留所までは調べが付いていない、虱潰しに探さねばならなかった。


 この夜は幸運だったようだ。街の路線バスは全部で五経路があるが、最初のルートを辿るうちに、修一郎を発見できたのは不幸中の幸いだ。だが思う以上に時間を取られてしまい、間に合ったのは良かったが残るのは最終のバスだけだ、それなのに修一郎が居るということは……嫌な予感がよぎった。

 修一郎と共に最終のバスのヘッドライトを迎える間、中富は言い知れぬ不安に駆られていた。かの少女が乗っていてくれることを密かに願っていた。


 11時10分に最寄り駅を出発した最終バスは、11時42分、修一郎の座るベンチから見える向かいの路面を通り過ぎて行った。停留所へは停まらなかった。それからさらに一時間ほどの間、修一郎のたっての希望で来るはずのないバスを待ち、諦めのついた彼を助手席に乗せた。すっかり忘れていた岡野に、ようやくで携帯コールを鳴らす。

『はい、岡野です。』

 即座に出た彼の声も疲れ果てていた。

「すまん、連絡が遅れた。坊ちゃんは無事だ、そっちは?」

『こちらは収穫ありません。けど、坊ちゃんが無事でよかった……』

「彼女は来なかったよ。そちらももう引き上げてくれ、済まなかったな。」

『いえ、はい、それでは直帰させて頂きます。おやすみなさい。』

 几帳面な性格が声にすら滲む。直立不動の彼の姿が脳裡に浮かんだ。中富も車のエンジンを掛け、長い一日を終わる最後の仕上げに上司の子息を邸宅へと送致した。


 彼は翌朝の新聞を見て目を疑うことになる。留守だとばかりに思っていた少女の家は、中富がたずねる僅かばかり前に、凄惨な殺人現場となっていた。中富はニュースチェックの為、複数の新聞を取っているが朝刊の見出しはどれもこの事件が取り上げられていた。

 娘による義父の殺人容疑。被害者の死亡時刻は5時前後、ちょうど中富があのアパートの付近をうろうろしていた頃だ。あの時、もしかして、娘は室内に居たのかも知れない。

 血まみれの父親の傍でうずくまり、電燈も点けずにじっとしている娘を想像して、中富は背筋を凍らせた。

 ほんの数十分ほど付近に居座っていただけだが、思い返せば確かにあの辺りはほとんど人が寄り付かず、通る住民などを見なかった。こちらを目撃した人物が居ればいずれ嫌疑が掛かるかも知れない、先生にも報告しておくべきかと中富は思案した。

 娘の行く方はようとして知れず、目撃情報を募る文言で新聞記事は括られていた。


「以上が、中富さんの証言です。なお、岡野さんが目撃したという飛び降りですが、翌朝の警察の調べでも何も出てはいません。ただ、誰かのイタズラがあったらしく、中庭が血まみれに染まっており、けれど鑑識の結果はニワトリの血だったそうです。」

「警察の聴取には応じたってわけね。事件の経緯に関わるのかも知れないと思ったけど、その事をネタにして例の記者に強請られるっていう感じではないわね。」

 そうだ、すっかり忘れていたが肝心なのは今回の殺人事件との関連だ。あるいはまったく無関係なのか。それとも。浮かんだ疑問を耕助は口に出した。

「実際はそっちの、サバトの方がなんらかの関連があったのかも知れないな。今回の記者殺害と。なんか関連の犠牲者らしきは増えてるけど。小林修一郎には確固たるアリバイがあるっていうのは本当なんだな?」

 ちさとは力強く頷いた。

「もちろんです、当夜は講演のため九州まで出掛けて現地のホテルに宿泊しているんです、とてもじゃないけど間に合うわけがないです。」

 人を使ってという手段は否定出来ないが、本人のアリバイだけは確実という事だ。

「じゃ、次は岡野サンの証言V行ってみよーか。」

 ついには紅緒から催促が掛かった。


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