第8話(仮)

「その後もじっと、来ることのないバスを待って兄と中富はベンチに腰を降ろしていたそうです。肩や頭に降り積もる雪すらそのままにして……。やがて、彼は諦めました。いえ、隣に中富がいなければ、忠実な父の部下までが自分の為に凍えていたりしなければ、きっと朝まででも待ったでしょう。彼は諦め、そして、家へ帰ったのだそうです。」

 しんみりとした空気の中、そっと涙を拭って語り部の小林ちさとは聴衆二人を交互に見遣った。演劇部顔負けの朗読、ラジオドラマだ。

「……兄の証言を元にした再現VTRでした。続きまして、当時の兄のお目付け役、中富氏の証言から再現したブイを、」

「ちょっと待って! ちゃんと間に質問タイムを挟むべきでしょ!」

 いやそういう問題ですらないような、と耕助は首を捻る。


 これはあくまで人ヅテの証言だ、いわゆる『嘘つきな語り部』事案かも知れず、ちさとの言を鵜呑みにするわけにはいかないだろう。同じような事を紅緒も注意した。

 頷いてちさとは答える。

「確かにそれはもっともです。では、南雲議員、質疑をお願いします。」

「誰が議員か!」

 即、ツッコミ。

「まぁいいわ。じゃあ質問だけど、今の話じゃ七不思議に繋がらないじゃない。なんで彼女が自殺しなきゃいけないわけ?」

「それに関しましては、次の中富氏の証言が鍵なのです。まずそちらをお聞き願いましてからのご質問を願います。次に、明智議員、ご質問は?」

「今のところ無いかな。」

「結構です。では、中富氏のブイを。」

 再び、再現VTRならぬ再現朗読が始まった。


 中富が急遽、議員パーティを辞して帰路に着いたのは修一郎の父、小林純二議員の指示からであった。

「すまんな、中富くん。外に岡野くんが車を回して待機している、二人でうちのバカ息子を連れ戻してきてくれんか。それと、ご足労だが例の母子の処遇もこの際だ、頼んでおくとしよう。先方には私から話を通してある、夜間でも門戸は開けてくれるはずだ。これ以上の面倒にはならぬよう、よろしく頼む。」

 議員は素知らぬ顔をしながらも、我が子の異変は敏感に察知しており、密かに部下達をもって調べさせていた。不幸な女生徒の一件も、息子、修一郎が計画している家出の件も、とっくに知っての事だった。

「しばらくは周辺がゴタゴタしますが、先生。よろしいのですか?」

「うむ、多少は仕方あるまい。相手の男は札付きだそうだからな、万一の時にはすぐ警察に引き渡してしまいなさい。大事の前だ、できればもう少し穏便に済ませたかったものだが……。」

 親の心子知らず、とはよく言ったものだ。何も知らない情けない親と思われているのも心外な様子で、この大物議員はつと眉を潜めた。

 人知れず母子を保護し、義父の与り知らぬ遠くのDVシェルターへ避難させる、そこまでの案内を中富と岡野は申しつけられた。

 関係企業の主催する式典で、小林議員は専属である二人の秘書を両方連れてきている。息子の計画の裏を掻き、さらには札付きという相手少女の義父に対する防御の策をも兼ねている。母子の逃亡とは無関係を装う為であった。

「議員というのも難儀な職業だよ、中富くん。」

「お察しいたします、先生。」

「行ってくれたまえ。」


 中富と岡野は文字通り奔走した。まず、中富はすでに調べが付いている母親の職場へ車を回し、ここで岡野を降ろし、母親の説得を任せた。自身はそのまま少女の自宅アパートへ。後の二人のやり取りは携帯で行われた。

 修一郎の立てた計画によれば、夕刻に娘一人が駅前へ出かけて時間を潰し、そのまま家には戻らないつもりでいる。なんとしても家を出る前に捕まえたいところだった。駅に出てからではすれ違う可能性が高い。

 義父の方はその日暮らしに近く、行動は一定でない。しかし少女が修一郎と会うことを止めはしないはずで、娘が家を出てきたところを捕まえるよりないと思っていた。

『中富さん、こちらは首尾よく奥さんを説得出来ました。7時にパート仕事が終わり次第、紹介のシェルターへ向かうと仰っています。』

「解かった、ご苦労さん。こちらはどうもまだ姿が見えない、明かりも点いていないところを見ると、まだ学校かも知れない。ご足労だが、そっちへ回ってみてくれるか? 後で合流しよう。」

『はい、了解です。』

 奥方はすんなりと了承したのか。中富は携帯を内ポケットへ片付けた。意外ではなかった、調べだした頃にはすでに、母子はあの男から逃げる機会を与えられることを、ひたすら願っていると聞いていた。

 日は完全に沈み、周囲には薄い闇が漂い出す。時計を見ればもう5時を回っていた。中富にも焦りが出た。もしや、既に駅方面か。様子を窺うも、家の中はしんと静まり、明かりも灯らない。義父はどうやら今日は戻らないらしい。

 二人が予約した列車の発車時刻は夜の9時だ。そこから逆算しても、もう家を出た換算が強い。結局、中富はインターホンにすら触れず、そっとこの家を後にした。


 車を回し、学園に到着した時にはもう完全に日が沈んで周囲は暗い。月は満月に近く、街灯の少ないこの辺りでもなんとか懐中電灯なしで歩けるほどには明るかった。

 月明かりに蒼く染まった田畑の真ん中に学園の建物が連なり、焦れた様子の同僚が閉じた校門の前で待っていた。

「中富さん、大変です、さっき旧校舎から誰かが、その、」

 緊迫した調子で同僚の岡野は息を呑み、呼吸を整えた。

「旧校舎で何かあったのか?」

「人が、旧校舎の屋上から人が、飛び降りたようなんです。」

 続けられた言葉に、中富も息を呑んだ。


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