第四章⑥

 拙者の叫び通り、魅力試験でロロ殿が着るはずだったのはダーバンに伝わる『浴衣』だ。

 ロロ殿の髪色と合わせたそれは桜色をしており、薄手の生地に可憐に咲くのは花模様。運良くキートンの市場で見つけた掘り出し物のそれは、ロロ殿を優しく包み込み、より一層美しく彩ってくれる、はずだった。

 だが無残に切り刻まれたその浴衣は、ロロ殿の柔肌を守るどころか、卑しく乱暴にそれを暴き立てている。帯はもはやその役目を果たせないのか、ロロ殿は必死に布切れとなった浴衣を、自分の両手で押さえ付けていた。


「……何で? どうして出てきたのですか?」


 その声を拾えたのは、騒然となった会場の中で拙者だけだろう。

 顔面蒼白でそうつぶやいたアンジーを見て、拙者は下手人がこやつであると断定した。

 視界が憤怒と殺意で真っ赤に染まるも、今はロロ殿をどうにかする方が先決!

 忍という字は、刃で心を抑えるもの。その言葉を歯茎から血が出そうなほど噛み締めて、拙者はロロ殿に向かって叫んだ。

「何故出てきたのでござるか、ロロ殿! 今すぐ戻るでござるよっ!」

「だって……」

 掠れた声で、ロロ殿は答える。

「魅力試験、不合格になっちゃうもの……」

「……こんな時に、何を言っているのでござるか、ロロ殿!」

「……こんな時だからだよ」

 ロロ殿の答えを聞き、拙者の中で沈めた怒りが再び湧き起こる。

 何故、そこまでするのでござるか?

「何故そうまでして、服を着るのでござるか? そんなボロボロになった服を、どうして着るのでござるかっ!」

「頑張るって、言ったからだよ」

 拙者の慟哭を受け止めたのは、囁きに近いロロ殿の独白だった。

「私、言ったもん。ヒロキさんに、次の魅力試験、頑張るって」

 そう言って怒ったロロ殿の顔を、拙者は鮮明に覚えている。

「だって、この服、ヒロキさんに、選んでもらったんだもの」

 本当に拙者が服を選んで良かったのかという不安を、ロロ殿が一刀両断してくれた。

「ヒロキさん、似合ってるって、嘘じゃないって、言ってくれたから」

 その時のはにかんだロロ殿の笑顔は、本当に嬉しそうで。

「次着る時は、ヒロキさんに、絶対、絶対見せる時なんだって、決めてたの。だから――」

 あの時直視することが出来ないほどのロロ殿の笑顔に、拙者は言いようのない幸福感を得ていた。

「だから私のアピールポイントは、『あなたにもう一度、見て欲しい』、です」

 そうつぶやいた今のロロ殿も、笑っていた。幸せそうに笑いながら、拙者を見ていた。

 笑いながら、拙者を見つめるその綺麗な飴色の瞳からは、ただただ透明な雫が流れだしていた。

 それを見て。


 ああ、拙者のせいなのだと、そう悟った。


 フランクリンが何か喋っているが、頭に全く入ってこない。ハンマーを脳天に叩きこまれたかのような頭痛が、拙者の平衡感覚を狂わせている。

 揺れる世界の中で、アンジーが何故ロロ殿の浴衣を傷つけたのか察しが付いていた。

 元々アンジーはロロ殿ではなく、拙者を狙っていたのだ。

 魅力試験前に、アンジーは拙者の衣装を入れた赤い袋を見ている。それを目印に、犯行に及んだのだ。

 だが実際は、その直前で拙者とロロ殿はカバンを入れ替えている。だから赤い袋に入った、ロロ殿の衣装を切り刻んだのだ。

 浴衣は男物、女物で多少の違いはあるものの、ダーバン出身でなければ見分けられない。アンジーは何の疑問も持たず、あの浴衣が、拙者のものだと思ったのだろう。

 後悔が渦を巻き、拙者の思考は波に巻き込まれた船のように沈んでいく。

 何故、拙者はロロ殿とカバンを入れ替えてしまったのでござるか?

 いや、それ以前に拙者は更衣室に入っていくアンジーを見ていたではござらんか。

 アンジーは言っていた。

『どんなことをしようとも、ジルド兄様こそが学園最強なのです! 私が、そうさせてみせますわっ!』

 自分がジルドを学園最強にすると。ならば、何故その障害である拙者に彼女が手を出さないと考えられなかったのでござるか! アンジーが強行手段に出ることは、容易に想像出来たことでござろうっ!

 拙者、『最も魅力的な者が勝つ』は人は守るが、物まで、服まで守ってくれぬと、この学園で最初に授業を受けた日に、ジルドが拙者のノートを切り裂いたのを見て知っていたのにっ!

 ロロ殿が、こんな姿で出てきてしまったのもそうだ。

 あの服を、ロロ殿がどれだけ大事にしていたか、拙者は、拙者だけが知っていたのに!

 他の人にコーディネートを任せるのは、よほど信頼出来る人にしかさせないものだと、ロロ殿から直接言われていたではござらんかっ!

 何が、師匠が自分を留学させた理由がなんとなくわかった、でござるか。

 何が、勝てばよかろう、でござるか。

 何も、理解できておらんではござらんかっ!

 何にも、勝ててはおらんではござらんかっ!

 自分に対する怒りで、吐き気がする。喉が裂けるほど叫びたい感情を、拙者は唇から血が出るほど噛むことで押さえつけた。

 忍という字は、刃で心を抑えるもの。冷静になるでござる。今拙者がしなければならないことを、出来ることを考えるのでござる。

 ……よし、考えたでござる。

 だから後は、行くだけでござるよっ!

 喧騒鳴り止まない会場に、フランクリンの声が響き渡る。

「――ただいま、不測の事態につきまして事実確認を行っております。皆様、どうかお静かに、」

 その全てを、


「うるさいでござるっ!」


 拙者は一声で黙らせる。静寂が会場を支配する前に、拙者は闇に潜り、観客からロロ殿を隠せるような位置まで移動した。

「ヒ、ロキさん?」

 茫然自失のロロ殿は、たどたどしい口調で拙者の名前を呼んだ。

 その頬には、まだ乾ききっていない涙の跡。それを優しく拭いながら、拙者は師匠から言われた言葉を思い出していた。


『戦友は死んでも守れ』

 わかっているでござるよ、師匠。


『何のためにその忍装束を着ているのか、よく考えろ』

 大丈夫でござる。拙者、よく考えたでござるよ。


 だから拙者は、忍装束に手をかけ、


「仲間を守れん服なんぞ、いるかっ!」


 言葉通り、それを脱ぎ捨てた。

 背後から観客の悲鳴が聞こえる。だが拙者は、それを無視する。

 今拙者にとって重要なのは、今眼の前にいるロロ殿だけだ。

「すまぬ、ロロ殿。今拙者が渡せるのは、これぐらいしかないでござるよ」

「……え? ウソ? 何で?」

 まだ事態を把握できていないロロ殿に構わず、拙者は脱ぎ捨てた忍装束を優しく被せた。

 これで、多少はマシになったでござろうか?

「ああっと! まさか、まさかの展開! ここでヒロキ・アカマツ生徒、何と、何と服を脱いでしまいましたぁぁぁあああっ!」

 フランクリンの、悲鳴に近い実況が聞こえる。お洒落の国で、こんなに大勢の前で服を脱ぐのは、マナー違反でござるか?

 だがそんなこと、知ったことではござらんっ!

「……服が、何なのでござるか。拙者の『魅力』は、この身一つで十分でござるっ!」

 拙者はそう言いながら、観客席に振り返る。それと同時に聞こえてくるのは、悲鳴による不協和音。だが、拙者が忍装束を脱いだ時よりも、それはより一層悲痛な叫び声だった。

 それはきっと、拙者の体に出来た無数の傷のせいだろう。この傷は全て、訓練中に負ったものだ。『最も魅力的な者が勝つ』で守られたダンヒルでは、人間がこんな傷を負うなんて、考えられないことだろう。

「何を目を背けているのでござるか!」

 それでも拙者は両手を広げ、自分の体に刻まれた傷跡を、観客に見せつけるようにして、叫び声を上げた。

「拙者の体に、恥じ入るものなどないでござる!」

 自分を見下した相手を見返すために、体を鍛えた。

 力を得なければ認められないから、いくら傷つこうが構わず鍛え続けた。

 エアロでの忍の地位をおし上げるために、自分の全てを使おうと考えていた。

 でも。

 それでも。

 それでも、今だけはこの傷ついた体を、自分の全てを、ある人を守るために使いたいと。

「何故ならこの傷は、戦友を死んでも守るために得た、勲章なのでござるからっ!」

 自分の心が、そう叫んでいた。

 会場には耳の痛くなるほどの静寂が訪れている。観客の誰もが息を呑み、拙者の傷に見入っていた。

 そんな中、一人だけ声を発したものがいた。

「一つ、聞いてもよろしいでしょうか?」

 神妙な口調で問いかけるフランクリンに、拙者は仁王立ちで答えた。

「何でござるか?」

「私は、勝手ながらヒロキ・アカマツ生徒はもう少し利己的な方だと思っておりました。勝つためなら、手段は選ばないと」

 その言葉に、拙者は深く頷く。

「間違っていないでござるよ」

「でしたら、何故こんな暴挙に? 服を脱がなければ、魅力試験で高い成績を収めれるだけでなく、あなたの個人的な勝負にも勝てたでしょう」

「そうでござろうな」

 全くもって、フランクリンの言う通りでござる。

「それがわかっているのに、何故? ロロ・ピアーナ生徒のためとはいえ、あなたはこう言っていたではありませんか。忍という字は、刃で心を抑えるものだと。ニンジャであるあなたは、自分の心を抑えることが出来るのではないのですか?」

「そうでござる」

 拙者は大仰に頷いた。そしてマスク越しに、フランクリンの両目を射抜くように見つめ、口を開く。


「それでも抑えた刃は、心を断てなかったのでござるよ」


 自分を押さえつける刃にも断てぬ、負けぬ心。

 その心を持っているものこそ、真の忍。

 だから拙者は、言わねばならない。

「服という鎧に身を守られているあなた方に、拙者のように体が傷つく生き方を、考え方を無理に押し付けることはしないでござる。だが、この場にいる人なら、わかるはずでござろう?」

「え、ヒロキさん? きゃっ!」

 ロロ殿を抱きかかえ、拙者は観客席に向かい、あらん限りの声を張り上げた。

「パラメータと言う一つの大陸に住まう、同じ人という生き物ならば理解できるでござろう!」

 今はこの人を守らねばならないという自分の心に従い、拙者は叫んだ。

「傷付けられても、なお戦おうとするロロ殿の姿勢! この姿が一番魅力的でなくて、一体何が魅力的だと言うのでござるかっ!」

 静寂という名の返答を背に受けて、拙者はロロ殿をひな壇まで案内した。

「では、拙者はここまででござるな」

「ヒロキさん?」

 ロロ殿に答えることなく、拙者は出入口まで到達。観客席、ひな壇に一礼する。

「お見苦しいところをお見せした。失礼するでござる」

 そして拙者は、会場を後にした。

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