閑話休題

nula

 俺はJR三ノ宮さんのみや駅北側のタクシーロータリーの横にある喫煙所で煙草を吸っていた。

 二年前に止めた煙草を久し振りに吸うと、俺は一度だけせてしまったが、昔の感覚をすぐに取り戻して、それ以降は以前の様にその自らをむしばむ煙を体内に取り込み、そして吐き出しを繰り返し、身体を犠牲に気持ちを落ち着けた。

 斉賀朗数さいがろうすうという人物は、男なのか女なのかも分からない。俺はただ斉賀朗数が現れるのを待った。

 時刻は九時五十五分。

 約束の時間まで、あと五分。


 十時三十分。

 俺は苛々としながらも、斉賀朗数を待っていた。

果たして本当にやってくるのだろうか。腕時計をもう一度見る。時刻は相変わらず十時三十分のままだ。

 来るのが面倒になったのかもしれない。

警察だと聞き取りをする際にどうしても時間の都合が合わないからと、後日に聞き取りを行う事もあるのだが、存外ぞんがいに面倒と言う理由で待ち合わせに来ない人間は多かったりする。

俺は溜息を一ついた。


「今の生活に満足している?」


 喫煙所の何処どこかで誰かが言ったその言葉に、俺はから身体を硬直させた。

「満足かって言われると正直満足ではないよね。バイトもキツいしそれに……」

 俺は過敏になりすぎていたのかもしれないと思いながら、硬直していた身体を弛緩しかんさせながら振り返る。

今時のお洒落な服装に身を包んだ若い女の子が二人、俺の視線に気付く事もなく、生活への不満を口にしていた。

流れでその周囲にも目をやる。そこにはスーツのジャケットの腹の部分が張ってぼたんが取れてしまいそうになっているサラリーマン風の男や、個性的な服を着てナンパでもしようとしているのかきょろきょろと周囲を歩く女性ばかりに熱い視線を送る若い男の子、自分が吸っていたものかどうかも怪しいしけもくを吸う身形みなりが汚い女性、そんな面々がそれぞれの生活に不満でも抱えているのかどうかは分からないが、煙草を吸う前、しくは吸った後に溜息を吐いている事に、俺はしばらく様子を見ていて気付いた。


 現代社会の中で悩みが無い人間なんていないのだろう。

俺はそんな当たり前の事を考えて、もう一度腕時計を見た。

時刻はもう少しで十一時になろうとしていた。

今日は諦めて帰ろうかと思った時、ジャケットのポケットに入れていたスマートフォンが震えた。俺はスマートフォンを取り出すと、画面を確認する。斉賀朗数からのメールだ。メール画面を開いて内容を確認する。

もう少しで着くらしい。

俺は寒さを我慢しながら胸ポケットに入れた煙草を一本取り出して火を点ける。息を吸い込むと、冬の冷気が嘘の様に、温かい、そして不純物の多い煙が体内に溶け込んでいく、そんな錯覚を覚えながら、雲の多い空を見る。


 斉賀朗数は女だった。そして斉賀朗数と名乗る本人が、後藤ごとうみかだった。

 俺は最初警戒して話を聞いていたのだが、この目の前にいる女は自分が連続行方不明事件の犯人であるとすぐに自白した。

なんだか拍子抜けした気分になりながらも、逃げる気配が微塵みじんもないので俺は少しだけ立ち話をしていた。

本来であれば署に戻り話を聞くべきなのだろうが、俺は警察官としてではなく、村田一むらたはじめとしてどうしても聞きたい事があったのだ。

「先輩を、森川恭平もりかわきょうへいをどこにやったんだ」

 彼女は言った。

「私は確かに犯人ですが、犯行は私が行った訳ではないので分からないんです」

 俺は彼女を睨みつける。

「なにふざけた事いってるんだ?」俺は感情がたかぶり口が悪くなりそうなのを必死にこらえて、なるべく平静へいせいよそおって続ける。

「まあいい。それなら誰がやったって言うんだ?」

 彼女は重力に逆らうように綺麗な放物線を天に向ける長い上の睫毛をこちらに向けて、二重瞼でぱっちり開いているからなのか目力がある瞳で俺を射抜いて言った。


「私じゃない私がいるのです。私の中に」


 彼女は真剣そのものだったが、俺はそんな彼女の発言を認める事を拒んだ。。

「多重人格とか言って言い逃れでもしようとしてるのか? 無駄だぞ」

 彼女は小さく首を振ってから言った。

「あなたの持っているその本」彼女は俺が鞄の中に入れている本の事を指摘してから言う。

「それはこの世界のものじゃないのですよ。きっと養父やぶ市で手に入れたんでしょうけど、あそこはこことは違う次元に繋がっている場所ですから。女隠しの事は聞きましたか? あれこそが証拠と言えるものであります。何故女ばかりがあの集落で消えていったのかと言うと、土地の名前で見ると一目瞭然いちもくりょうぜんで御座いましょう。本来あの土地は女系じょけいの家庭ばかりが集っていたのです。彼女らは長い歴史の中で、男と言うものに一つの信仰の様なものを持っていました。しかし集落の中ではどうしても男が産まれないので極端に男の人口が少なく、他の土地から男を招き入れなければならなかった。その結果生まれたのが悪しき習慣である女隠めかくしだったんですよ。なぜ集落から女が消えるのか。それは男を養父町に招き入れる為に、女が日本の各地へ飛ばされていたからなのです。日本の各地で男を捕まえては養父市に婿に来るように仕向けていた。それでも男は貴重な資源だったのですから、丁重にもてなされていた。だから養父と言うのは義理の父などと言う理由で付いた名前ではなくて、養われる父と言う意味なのです。貴重な男は、子どもが産まれても働きもせず、子どもが大きくなって父を養う程になるまで丁重な扱いを受けた。それほどまでに貴重な存在として扱われていた事が地名としても残ったと調べの結果分かっています。どうして女性の一部がそんな自由を制限されて、無理に男を養っていかなければならないのでしょう。わたしは養父の生まれですが」


 彼女がそこまで言った時、彼女の瞳から蝋燭ろうそくの火に息でも吹きかけた様にふっと光が消えた。

「まあこんな話は余計だったかしら? 余計ついでにもう一つ教えといてあげる。何故わたしが神戸こうべに住んでいると思う? 分かる訳ないわよね。神戸も地名にもとづいて考えてみれば容易に想像出来るんじゃない? 単純な事よ。神の扉で神戸。戸の字は扉の上半分の名残なごりって訳。神戸は神の世界と繋がっているのよ。でもわたしが神って訳ではないわよ。もし神だったなら、こんな世界わざわざ来ないもの」

 彼女は光が消えていたその瞳に、いつの間にか先程とは違う別の光を宿やどして俺を見据みすえていた。

 身体から力が抜けていく気がした。

 先輩もこの化け物と対峙したのだろうか。

 視界がぐにゃりとゆがむ。

 ぐにゃりといびつな世界で地が空に、空に地が向いている中、空に向いた地に足を向け、地に向いた空にこうべを垂れるなんてびを見せる事はしない彼女は言った。

「わたしは神の世界へ向かいたいだけ。その為に少しの供物くもつを頂戴しているのよ。この世界で一番の供物である生贄を」

 俺は彼女のシニカルな表情を見て、自らの行く末を悟った。

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