два

 俺と陽一郎は家に着くと、同窓会の準備を始めた。

 同窓会の開始は十七時きっかりなので、まだ一時間ほど余裕がある。時間に余裕があるからなのか、準備はゆっくりと進行していて、それにともなってなのか時計の針の進みがいつもより遅く思えた。


「そろそろ、オードブル届くよな?」

 俺はテーブルの上に紙皿と紙コップを並べながら、キッチンの方にいる陽一郎に尋ねた。

「あー、そうだな。十六時には届くって言ってたはずだけど、ちょっと遅れてるな。電話してみるか?」

 陽一郎はスマートフォンから目を離さずに答えた。

 遅れていると言ってもまだ時間はある訳だし、そんなに急かす必要もないだろうと思い「あと十分くらいは待ってみても良いんじゃないか」と返事をすると、タイミングを見計みはからったかの様にノックの音が部屋に響いた。


 待ってましたと言わんばかりにスマートフォンから顔を上げ、陽一郎が玄関に向かう。

 何故チャイムを鳴らさないのか疑問を抱きながら、陽一郎の浮かれた後ろ姿を目で追う。

 陽一郎が玄関扉のノブをひねると、冬時期の乾燥と冷気のせいで冷酷な印象すら受ける風が室内に吹き込む。それとほぼ同時に陽一郎が感嘆かんたんの声を上げた。玄関口で二言三言ふたことみこと何かを話してオードブルを受けとると、玄関は再び閉じられた。


 陽一郎は笑顔のまま戻ってくると、テーブルの上にオードブルを丁寧に置いた。室内の暖まった空気と引き換えに受け取ったオードブルは意外な程に豪華絢爛ごうかけんらんな出来で、俺もそれを見てしまうと笑顔にならざるを得なかった。

 二人してオードブルに見蕩みとれていると、陽一郎が生唾を飲み込むのが空気を震わせる音で伝わってきた。

「俺たち、準備も二人でやったんだし、少しくらいはいいよな?」

 陽一郎が横目でこちらをうかがいながら言う。

「ああ、少しくらいなら誰も気付きやしないさ」

 俺はその目を見つめ返して言う。

 オードブルの蓋に手を伸ばすと、テーブルの上に置いていたスマートフォンが振動を始めた。こんなタイミングで誰だと、内心で舌打ちをしながら画面を見ると涼香りょうかからだった。


 俺はオードブルの蓋に伸ばした手をスマートフォンに方向転換した。スマートフォンの画面に触れると、涼香の包み隠す気もない不満気な声が小さなスピーカーを大きく響かせた。

「ちょっと、あんたらさっさとここ開けなよ。さっきから何回もインターホン鳴らしてるんだけど」

 インターホンなんて一度もなっていない。故障でもしたのだろうと軽く考えながら、俺は陽一郎にオードブルの蓋を開けるなと目で訴えた。そんな俺の気持ちをしっかりと理解した陽一郎は残念そうな表情をして、オードブルに伸ばした手を引っ込めた。その姿が餌を目の前にしながら飼い主に待てをされている犬みたいで、なんだかおかしくなって俺は小さく鼻で笑った。

 それを曲解きょっかいして受け取ったらしい涼香は、一層大きく声を出しスピーカーを更に響かせる。

「何笑ってんだって。さっさと開けてよ」

「そう急かすなって。今開けるから」


 俺はそう言うと玄関に向かい、掴んだノブを捻った手に力を入れて、玄関を開いた。再び室内の暖まりかけていた空気を冷酷な風が奪い去る。

 そんな風の先に冷血な表情でたたずむ涼香がいた。涼香は俺の顔を見ると深い溜息を一つ吐いた。その涼香の影に隠れる様に、誰かが後ろに立っているそんな気がして俺は視線を涼香の後ろに向けながら言う。

「ごめんごめん、インターホン故障してるって知らなかったんだよ」

 視線の先の誰かの存在を認識しようと試みるが、どうやらそこには誰もいない様であった。

 俺は今感じた涼香の後ろの気配に気を取られていぶかな表情をしていたのだろう。

 涼香が言った。

「何? 謝罪と表情が一致してないけど? そんなに私が来たら迷惑だって言いたいの?」

 涼香は昔、不良連中とよくつるんでいたので、怒らせると正直怖い。俺は涼香の影に隠れていると思った何かの気配の事を、どうにか頭からつまみ出して、今出来る最大限の笑顔で涼香を迎え言う。

「そんな訳ないだろ。来て欲しくなかったら声なんてかけねえよ」

「まあ、いいけど。必死すぎでしょ。何その顔?」

 冷たく言い放つ涼香。呆気あっけなく俺の試みは見抜かれた様だ。


 涼香は「昔と変わんない。あんたは。相変わらずびくびくしてんのね」と俺の肩にぽんと手を乗せると、乱雑に靴を脱いで部屋の中に入っていった。

 俺はどうしても気になって、最後にもう一度涼香の背中の方に目をやるがやはり誰もいる訳なんてないし、当然何の気配も感じられなかった。

 ただ部屋の温度が、外の空気に冷やされただけではない様にがくっと下がった気がして、なんともに落ちない気持ちと不安がぐんるりぐんるりと渦を巻いて身体の深い所に沈んでいき、それは拾い上げる事が出来ない程に奥まで沈み込むと、俺の無意識と意識の狭間はざまにそっと自らの居場所を見付けとどまった。


 そんな俺の様子など知らず、陽一郎と涼香はテーブルの周囲に置かれた椅子に隣り合って座っている。

 陽一郎は時間より早く着いた涼香を、普段から遅刻の常習犯なのに珍しい事もあったもんだと何度も何度も冷やかして言った。

 その度に涼香は陽一郎を小突こづいているのだが、満更まんざらでもなさそうな様子から二人の仲の良さが垣間かいま見えて、俺は一人なんだか取り残された様な気がしてキッチンに向かった。


 スマートフォンでメッセージアプリを開くと、同窓会のグループに向けて、インターホンが故障しているのでノックしてくれとメッセージを打った。

 先程陽一郎がムラサキカガミの事をメッセージで送った時とは打って変わって、今回は誰からもメッセージは送られてこなかった。

 俺はスマートフォンをズボンのポケットに乱暴に突っ込んで、冷蔵庫から缶ビールを一本取り出すとプルタブを手前に引いて小気味こきみよい、かぷしゅという音を部屋中に響かせてから、炭酸の抜けるしゅぷーという音を一人で堪能たんのうした。


 なに勝手に始めてんのと涼香が言うと、そうだそうだと陽一郎が野次を飛ばした。そうする事で俺はもう一度、友達と言う世界の輪の中に入る事が出来た様な安心感を抱いて、機嫌を良くする。

 冷蔵庫を開けて陽一郎と涼香にビールを投げて言う。

「準備を頑張った俺たちにご褒美だよ」

 それもそうだと語気ごきを強めながら言う陽一郎の横で、私は何にもしてないけどねと言いながらも涼香はプルタブを手前に引いた。

 三人はビールを持った手を上にかかげて、揃わない乾杯の声を出すと各々おのおの好きなタイミングで缶に口を付けた。

 炭酸が喉を通る時の少しの痛みが心地良くて勢いよく飲み下す。その勢いで無意識と意識の狭間に留まっていた感情が流されてくれれば良かったのに、玄関の横に備えられた窓に、怪しい影の様なものがちらちらと見え隠れするのではないかと勝手な妄想で恐怖を自ら作り出して、俺の無意識と意識の狭間に留まる感情は大きさを増していき、無意識と意識の境界を曖昧あいまいにした。

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