viisi

 世界に亀裂が入った、しくはほころびの様なものが生じたと感じる出来事があったなどすっかり忘れて、私は一年間集落から見える美しく彩られた樹々と葉が作り出す自然界のパズルを世間に認知させ、ダム建設によってこれがなくなろうとしている事実を批判し、実際に現場を訪れてもらう事で人間本来のあるべき姿を自然界から見出みいだして、現代社会のパズルを埋めていく事の手助けをする事に奔走ほんそうした。


 大樹だいきの協力もあってか、集落から見える自然界のパズルは大きな話題になって秋の内だけではなく、冬も、春も、人が多く訪れ、ダム建設反対の署名には多くの名前が連なった。

 そしてここに訪れる観光客が動かす経済への影響もあったのだろう。町はダム建設を中止した。

 夏になっても人は途切れることなく訪れ続け、もう一度秋になり、自然界のパズルを多くの人の目に焼き付ける事が出来た。

 私の努力は報われた様に思えた。

 しかし、実際は違った。


 観光客が増えると、施設が多く必要になる。

 この集落には元々個人の家しかなかったので、近くのこの集落よりはまだ利便のいいところにコンビニエンスストアや簡易的ではあるが宿泊施設などがいくらか作られた。それが、集落とここの樹木や葉、この山に住む動物達の運命を大きく変えた。

 まず人が多く訪れた事によってごみの投棄が問題になった。ペットボトルやビニール袋などは自然に帰るものもいくつかはあったが、全てがそうとは限らない。

 自然の循環のシステム外に位置するそれらの物質は、取り除けど取り除けど、数は増えていく一方で、結局山の中に堂々たる顔をして居座り続ける事になった。

 そして施設が出来るという事は多少ではあっても、山を整備する必要があって、その際には当然樹木は伐採され、動物達の縄張りは侵されていった。

 その被害は甚大じんだいで、生ごみであればそこに住む動物達の食糧事情を変えてしまい、動物を含め昆虫など生物全体のバランスが崩れて生態系に問題が出てくる可能性があると専門家に指摘された。

 問題はそれだけに留まらなかった。

 煙草の問題と言うのも浮上した。この一年の間で火の不始末によるボヤ騒ぎが四度も発生していたのだ。


 そして、遂にそれは起きてしまった。


 その頃私は神戸こうべで一週間を過ごしたら次の一週間を集落で過ごす、そんな生活を送っていた。

 私は丁度神戸での一週間を終えて、集落へと車を走らせているところだった。何度も何度もスマートフォンに着信がかかってきていたが高速道路を車で飛ばしている最中だったので、その着信に出る事が出来ないでいた。

 そして休憩をしようとパーキングエリアに入った際に画面を確認すると着信は大樹からだった。

「おい、梨華りか、燃えてるぞ、燃えてる」

「大樹、落ち着いて、何が燃えてるの?」

 大樹は落ち着きを取り戻す事なく、やりで突く様に自分の言いたい事を私に突き立てた。


養父やぶの集落だよ」「養父の」「お前の住んでる」「養父の」「集落が燃えてるんだよ」


 私は高速道路のパーキングエリアで茫然ぼうぜんと立ち尽くした。

大樹が突き立てた言葉は、私もその場に突き立てた。しかし私は向かわなければならない。集落へ。


 足をどうにか前へ前へ、重たい頭陀袋ずだぶくろを引き摺る様に動かして車の座席に身体を沈めて、右足でフットブレーキを踏み込んでイグニッションキーを回す。エンジンがかかったのを手に伝わる感覚と音で理解する。シートベルトを装着するや否や、パーキングブレーキを解除し、左足でクラッチを一気に踏み込む。ギアをニュートラルからローに入れる。フットブレーキにかけた右足を離してアクセルを踏むと、同時に、クラッチにかけた左足を少し上げて半クラ状態にすると、エンジンの動力がクラッチ版を通してタイヤに伝わっていくのが、左足を通して私の足にも伝わる。右足でアクセルを更に踏み込んで、左足をクラッチから離すと車は闇の中へ転がり出した。

 ヘッドライトを付けるのを忘れていたので、ライトスイッチを奥にひねって、道路に光の道を作り出した。


 急いで集落に向かう。車を飛ばす。飛ばす。

 田舎を通る高速道路の暗さには光量が足りていないし、本数も少ない左右の外灯が視界の前から後ろに光線の様に長く伸びて流れていく。

 月光の光が揺蕩たゆたう森を駆け抜ける様に、私はこの曖昧あいまいな世界を突き進み、他の車の姿が見えない高速道路のカーブに差し掛かる。タイヤがわずかに横滑りしたのをハンドルから伝わる振動で感じた。

 体制を立て直そうとハンドルを反対に切る。しかし、それは誤った判断だった。

 向かう先に見えるかすかだが視界に激しく飛び込んでくるきらめきに私は飛び込んだ。

 視界の先で炎が、見えた気がした。

 身体が宙に舞う感覚は一瞬の事で、直後に身体に衝撃が走る。その衝撃は脳を揺らし骨をしならせ血液を逆流させた。

 私は目を開いたまま、二つ並んだ光量の弱い月を見て、集落に思いをせる。


 後部座席の方から声がした。

「気分はどう?」

 私は振り返った。視界はぼやけ、骨はきしみ、声を出そうとしても喉の奥から空気の音が惨めに漏れ出るだけであった。

 しかし、そこに彼女がいる事は分かっていた。

「喋れないのね。いいわ、見せてあげる」

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