neljä

 古く大きな柱時計が、ごぉうおーんごぉうおーんとけたたましく、しかし間延びした様に鳴り響き、私とたゑさんだけの静謐せいひつな空間を引き裂いた。


「もうこんな時間か。はよ帰らんとじいさんに怒られるわ」

 たゑさんはそう言うと、大量の玉ねぎとじゃがいもが入った籠を持った。

 そして、さらさらと水が低い方低い方に流れていく様な滑らかさと柔軟さをもって草履ぞうりに足を通すと、親指と人差し指の間に自ら飛び込む勢いで鼻緒はなおが入っていった。

 その一連の所作しょさは、やはりたゑさんの歳からは想像できない程に流麗りゅうれいな動きだった。


 私は何故かあの日に戻ってきた。


 何が起こったのか分からずほうけている間に、たゑさんは家から出て行った。

 代わりに少し間を置いて、スタンスミスを履いた彼女が靴の音を家の中にぬるりとまとわりつく様に響かせながら入ってきた。

 顔には相変わらずシニカルという葉を大量に貼り付けていて、殊更ことさらに不気味さを演出している。

 彼女は言った。

「今度はどう奔走してくれるの?」


 その言葉を聞いて私は気付いた。

 そうか、もう一度やり直せるのか。

 私は彼女が何者であるのかよりも、もう一度ここでやり直す可能性を見出せたという事実に気持ちがたかぶった。

 私は意識を、戻ってきたこの世界にしっかりと固着させて身体を動かす。

 机の上に置いてあるノートパソコンと一眼レフカメラを手に取って立ち上がると、彼女の横をすり抜けて車に乗り込む。向かう先は昔懐かしい神戸こうべの地。

 車のなかではいくつかの妙案みょうあんが思い浮かんでいた。


 SNS上に集落から見えるあの美しく彩られた自然界のパズルを投稿して、観光客を増やし活気が出れば町としても利潤りじゅんが発生するので、ダム建設の話も頓挫とんざし得るのではないかと考えたのだ。

 しかし私にSNS上で投稿を多くの人に見てもらう程の地盤がないのは知っているので、大樹だいきに協力をあおごうと考えたのだ。大樹ならプロの写真家としての実力と地盤が整っている。

 なにより向こうが浮気をして私とは別れたのだから、お願いを断りづらいだろうと踏んだのだ。


 もう一度訪れたチャンスに心臓が早鐘はやがねを打つ。

 しかし何故だろう、たゑさんの流麗な動きを思い出すと、心の奥の更に奥の隅の方にこの世界に亀裂が入った様な、しくは綻びが生じた様なあの感覚が、もやの如く不定形で不鮮明な姿をちらちらと現すので、私は身震いした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る