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 その後黙々もくもくと作業を続けた成果は、うずたかく積みあがった大量の玉ねぎとじゃがいもの山を見れば一目瞭然だろう。

 その山にある一つ一つは形もいびつで、スーパーなどに売られているものと比べると見劣りする出来ではある。しかし実際に家庭菜園でもやった事がある人なら分かるとは思うが、自分で作った野菜や果物は何故かびっくりするほど美味しく感じるものなのだ。


 私がここを訪れた当初、たゑさんが作ってくれたじゃがいもの煮っ転がしを食べて、あまりの美味しさに感動した事があった。

 確かに味付けが上手だったのは認めよう。でもそれ以上に、じゃがいも本来のうまみが圧倒的に市販のそれとは違った。

 驚いている私にたゑさんが言った言葉を私は一生忘れないだろう。


「売り物のじゃがいもが不味まずいとは言わんよ。でもね、食べてくれる人の顔を思いながら、その人に向けて作ったじゃがいもには思いが詰まっとる。流通させる程ぎょうさん作ってたらその思いも薄まって思いが伝わらない。じゃがいもだって生きてるんだから、思いを込めたら思いに応えてくれるんだよ」


 たゑさんは、そう私に言ったのだった。


 そんな事を思い出し感慨かんがいふけっていると、たゑさんが「これ、早苗ちゃんの分な」と言って玉ねぎとじゃがいもを数個ずつ渡してくれた。

 その玉ねぎやじゃがいも一つ一つの歪さがそれぞれ特徴的で私は微笑む。

 あるものはじゃがいもとは思えない様に長細くなっていて、さながらきゅうりの様に見えるし、また別の玉ねぎは丸々と太っているわりには頭の出っ張りの部分が小さく、ころっとしたフォルムがかわいらしい。

 そんな玉ねぎとじゃがいもが愛おしく見える様になるなんて、神戸こうべにいる時は思いもしなかったのだが、実際に私は今そういう風に感じている訳であって、それに私は幸福を感じている。


 今たゑさんと会話を続けて、目の前に無造作に置かれた玉ねぎとじゃがいもを愛おしく感じているこの時間は、神戸にいた時に感じていた幸福とは毛色けいろが違うものだが、人間らしさで言えばこちらの方が何倍もとうといものであるように思えた。


 何て事のない会話を続けていると、部屋の中でも比較的目立つところに置かれた古く大きな柱時計がごぉうおーんごぉうおーんとけたたましく、しかし間延びした様に鳴り響き、私とたゑさんだけの静謐せいひつな空間を引き裂いた。

 その音を聞いて「もうこんな時間か。はよ帰らんとじいさんに怒られるわ」と言って、たゑさんは大量の玉ねぎとじゃがいもが入った籠を持った。


 そして、さらさらと水が低い方低い方に流れていく様な滑らかさと柔軟さをもって草履ぞうりに足を通すと、親指と人差し指の間に自ら飛び込む勢いで鼻緒はなおが入っていった。

 その一連の所作しょさはたゑさんの歳からは想像できない程に流麗りゅうれいな動きで、私はそれを現認していながら、なぜか真実だと思えなかった。


 気付くとたゑさんはもう家を出て行った後だった。

 さっきのたゑさんの流麗な動きを思い出すと、この世界に亀裂でも入ったのか、しくはほころびの様なものが生じたのではないかと思って私は身震いした。

 今晩は、妙に底冷えする。

 私は浴室に移動して、いつもより熱めにお湯を張った。


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