第五話 緑

yksi

 目に飛び込んでくるのは、美しく彩られた樹木と葉が作り出す自然界のパズル。

 秋になると現れるそれは、この辺りに住む人間が唯一自慢できるところではないだろうか。

 電気は通っているが、ガスはプロパンだし、水は井戸水。道路だってちゃんと整備されていなくて、更に勾配がきつい事もあり車でも苦労する。そんな不便な道の先にある山の中の集落。

 しかし唯一自慢できるその光景は、そんな不便をしてでも余りある程の感動を与えてくれる。

 

 その光景を作り出す樹木や葉は、夏が終わる前から静かに準備を始める。

 それは普段から自然と共存するものでなくては気付かない程小さな変化で、都会の騒々そうぞうしさやあわただしさの中にいる限り、誰もが見落としてしまう様な些細ささいなものである。

 私も以前、神戸こうべの中心地に住んでいた時には、そんな変化に気付いていなかった側の人間だった。しかし訳あってここで暮らし始めた事で、自然の厳しさ、それに立ち向かう困難、その先にある自然の偶然が生み出す美や荘厳そうごんさを知った。それともう一つ知ったことがある。

 それは、人の優しさ。


 神戸に住んでいた時の私は、近所に住む人の事なんて誰も知らなかったし、知ろうとも思わなかった。きっと近所に住む人達もまた同様だったのだろう。今思うと、それはとても不気味な事である様な気がする。

 本来同じ種族同士は協力し合って自然界を生きていくもので、それは動物でも植物でも同じなのではないかと思う。

 動物や植物に対して特別詳しい知識を持っている訳ではないけれど、この集落で生活している内に、周辺に生えている植物や、山の中を闊歩かっぽする動物達が身を寄せ合い助け合って生きていると感じる出来事がいくつもあった。

 それは集落の人々も私も同じ事で、この集落には神戸では存在しなかったそれがしっかりと根付ねづいている。


 目の前に広がる自然界のパズルとは違い現代日本というパズルのピースである人間の多くは、上下左右のピースを見付ける事をこばみ続けているので、すかすかで何の魅力もない絵しか作り出す事が出来ないのが現状だ。

 私もここに来るまではその大多数の上下左右が空白のピースの一つだった。


 だが今は違う。


 私のピースの上下左右には、たゑさんとそれ以外にこの集落に住む八人の人達みんなと密接な関係を築いた事によるピースとピースの結び付きがしっかりと存在しているのだ。

 自分の事を変えてくれた、この美しく荘厳な自然界のパズルを都会の人間にも見せる事が出来れば、少しは何かが変わるのではないかと、私は信じている。

 少しの変化でもいい。私は現代社会というパズルの完成形が魅力ある一枚の絵であると信じて、それを完成させる手助けがしたい。眼前に広がる樹木と葉は、静かに、ゆっくりと、自己の存在を発散し続けて終わりへと向かっている。


「ダム建設の予定地になるって。県からの要請みたいだから色々と補助金とかが出るみたいで、町としても喜んで引き受けるとかなんとかって」

 たゑさんの言葉に驚いて、私は何も言えなくなる。

 この集落に引っ越してきて三年が経過し、生活にも慣れてきたので、ここの魅力をどの様に都会の人間に知らせていけるか方法を考え出している矢先の出来事だった。

 せっかくのこんなに美しい景色を奪い去って、無骨ぶこつで巨大で美しさの欠片かけらもないダムなんて建造物を作り出すのは馬鹿げている。と上の人間が考える事に腹を立てて、頭の中でぐるぐると数々の罵詈雑言ばりぞうごんが巡り巡る。


 そんな気持ちがありありと表情に出てしまっていたのか、たゑさんは私の眉間に指をそっと添えて、皺を伸ばす様に動かした。

 歳上の人にこんな事を言うのは失礼かもしれないが、その姿がなんだかかわいく見えた。

「皺なんか作って。せっかくのかわいい顔が勿体ない」

 そしてなにより、この心遣いが胸にすっと染み渡り、それは血液を介して全身へ巡り、私の身体を温かくした。更に恥ずかしさも合わさって頬が赤くなるのを感じた。

「やめてよ、たゑさん。私もう子どもじゃないんだから」

 照れ隠しもあってか、たゑさんの指を自分の額からそっと離す。本当はもっと触れていて欲しいし、その指から感じる優しさと温かさは一生でも感じていたいと思えるものだった。


「この集落のもんはみんな、早苗ちゃんの事を娘だと思っとるよ」


 そう言って皺だらけの顔で微笑むたゑさんを見ていると、こんなに見ていて心が安らぐ顔が出来るのなら、いくらでも皺が増えても良いな。と私の怒りはどこかに消えてしまった。

 しかし、ダム建設についてはそうそう受け入れられる問題ではない。私の前で微笑むたゑさんの為にもこの自然を守らなければならない、そんな使命感の様なものが沸々ふつふつと芽生えた。


「本当にそれは感謝してます。みんないい人だし、いつもお世話になりっぱなしで。でも、ダムの事は真剣に考えないと。このあたりは、私たちの大事な場所だから」


 そう言うとたゑさんは再び私の眉間に指を添える。

「また怖い顔して、早苗さなえちゃんは笑顔が一番似合うてる」

 また表情が険しくなっていたみたいだ。

 私は笑顔を作って、たゑさんを見る。

 とりあえずダム建設の事は自宅に帰ってから考えるとして、今はみんなで育てた玉ねぎとじゃがいもの収穫を急ごう。日もそろそろ落ちてくる。いつまでも時間をかけてはいられない。

 たゑさんの指が離れるのを待ってから、再び作業に取り掛かった。

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