第四話 黒

uno

 俺の視界の右端に見えるのは、昨今さっこん若者の間でブームになっているスポーツサンダル。

 全体が黒色で、甲の部分とくるぶしの前、かかとの三点をベルクロでしっかりとホールドしていて、ソールの部分の少しいかついフォルムからすると、テバのハリケーンXLTだろう。

 彼女はそのスポーツサンダルに赤色の靴下を合わせて履いていた。俺はしっかりとトレンドを押さえているなと思った。しかし俺が見えるのは、その足元だけで、服装までトレンド押さえているのかどうかは分からない。


 何故足元しか見えていないのかというと、俺自身状況を把握はあく出来ていないのだが、彼女は俺の右後方に座っていて、そして俺自身はどうしてだか首から下を全て地面に埋められているのだ。

 振り返ろうにも自分の長髪があだとなり視界をさえぎっていて、彼女のズボンのすその方がぎりぎり見える程度である。


 あまり深く考えていなかったのだが、これは何かの拷問なのだろうかと今更ながら思い始めると、波の音が聞こえる事に気付いた。

 先程までこんな音はしていなかった様に思ったのだが。

 俺は身体で動かせるのは首より上だけなので、そんな役に立たない部分ではなく脳を動かし思考する事につとめる。

 正直に言うと身体を動かせないのはかなり辛い。

 フィジカルよりメンタルに多くの疲労が蓄積ちくせきするので、俺はそれを誤魔化ごまかす為、気をまぎらわす為に思考を続ける。


 その間にも彼女はくすくすと笑い続けている。完全に俺のこの姿を見て楽しんでいるのだろう。

 笑い声の雰囲気からは比較的若い女性といった印象を受ける。

 俺の様にもうおっさんといって差し支えのない年齢の男からすると、若々しく張りがあり甲高くて耳が痛くなる様に感じてしまう、そんな少女の様な声色こわいろ

 そんな年齢で俺の様なおっさんを埋めて楽しむなんて嗜虐しぎゃく性を秘めているのかと思うと、煙突の中みたいにきたならしくすすけて光が届いたところで、見えるのは結局深い黒色といった感じに、表面化されたどす黒さを持った人間が現れる社会が訪れてしまったのかと俺はなげいた。


「あなた、今どんな気分?」


 右後方の彼女が突然口を開いた。

 俺の思考が一瞬止まった。そして次の瞬間から先程にも増して脳が動き出し、思考の連続は打ち寄せる波の様に、俺の前頭葉ぜんとうようを刺激した。

 俺は気付いた。

「お前、井上いのうえか? そうなんだろ」

 右後方の誰かのくすくすとした笑いが止まった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る