sieben

 私は確かに彼の手の中で抱かれて死んでいった事があって、その記憶は私の脳内だけの出来事ではないはずなのだ。


 私の至福の瞬間。

 愛。


 あの感覚が虚構であったなら現実というのは何をもってして現実というのか。

 あれは確かに私の心を温かくする慈愛じあいに満ち溢れていて、その時の慈愛の感情が私の中には残っているのだ。


 慈愛の感情?


 私はそこに違和感を覚えた。

 何故慈愛の感情があった事を、受動者である私が認識出来ているのだろうか。

 享受きょうじゅする事は出来るかもしれないが、感情そのものを認識する事は能動者しかあり得ない。

 希望的観測である可能性も考えてみるが、心を掴んで離さないこの粘っこく纏わりつく感覚があまりにも生々しく、希望的観測である可能性を真っ向から否定している様に思えた。

 能動者でないとあり得ない認識が私の中にある理由。

 私自身が能動者である可能性。

 私が彼である可能性。


 その可能性について考えだした途端、あっけなく違和感の尻尾を掴む事が出来た。

「そう。思い出したのね」

 とても簡単な事だ。


 私自身が能動者であるが故にこの記憶が生々しく残っているのだ。

 可能性ではなくそれは事実なのだ。

 つまり私であった抜け殻を抱える彼も、また私自身なのだ。


 私は私の世界で一人、ただ一人で生きていたのだ。


 私は一人でいながら一人を恐れて、自分自身に彼という存在を作り出して、それすら私で演じた。

 彼女が何者であるかは知らないが彼女の協力によって、私はこの内向きの一人の世界を一人で構成して、演出して、そして演じきろうとしていたのだ。


 あの至福の瞬間はこれから上演される私の一人芝居の初演をラストまで完璧に演じきった時を思っての高揚感と、この作品への愛であって、それは当然私の役への愛であって、彼もまた私の役でしかなく、当然私を愛する事は彼も死に逝く私も愛する事となり、作品への愛が私を包んで、円で私を包んで、円で包まれているのだから当然出発点と終着点は繋がるのだ。

 だから縁だと思ったものそれ自体も円に辿りつくのだ。


 しかし、私は最後の最後で協力者だと思っていた彼女という特異点により、作品に、私の円にひずみが生じて、それを修復出来ぬまま、ただ死を死んでいくだけなのだ。

 円は途切れる事がなく一度描いてしまえばもう出発点も終着点もすべてを包括ほうかつして、故にそれは無限とも受け取る事が出来る完全な形と言えよう。

 私はその完全や無限や永遠こそが美だと信じていたので、彼女という存在そのものを耽美だと思ったのだろう。私も彼女の様に完全なえんで円を終焉しゅうえん出来ればさぞ耽美であっただろうと思うと後悔の念が、抑鬱が、私を苛む。


 今までどこにいたのかは分からないが、不意に私――幽体――の視界に姿を現した彼女は、純粋さの欠片も残さないシニカルな表情でこちらを見ている。

 八体の私――剥製――と私――抜け殻――と私――彼――と私――幽体――の中央に立ち全てを見通している彼女は、この円の円周上ではなく円の中心にいて、それはすなわち彼女が世界の中心である事を表している事になるのであって、やはり彼女は私が抱いた予想通り、神や天使、もしくは悪魔のたぐいなのだろう。

 私は世界の歯車にも組み込まれていない。


 私はただの猫であって、ただ死の形を表現するだけのモチーフでしかないのだ。


 それに気付いたところで、何かを出来るわけでもない。

 死を死んでいく事を繰り返すのは生きているとも死んでいるともどちらとも言えるし、どちらとも言えないのだろう。


 それは出発点と終着点を包括する円と同様である。


 彼女は円の中心で色々な私を順々に眺めていく。

 その円になった光景を見て満足したのかどうかは分からないが、もうここに用事は無いとでも言いたげに、退屈そうな声で、悪魔は囁いた。

「今の生活に満足している?」

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