第16話 交渉――それは、賢者の戦闘

 俺たち4人は、廃鉱山から地下ダンジョンに戻った。

 ダンジョン入り口の柵にロバが繋がれている。近くに白い修道服を着たリリーが熱心に何かを書いているような仕草をしている。

 リリーは、短い茶髪をペンで掻きながら、ふと顔を上げる。ちょうど俺と目が合ったようだ。嬉しそうにこちらに近づいてくる。


「リリー、お久しぶり」

「トール様、お久しぶりです。こちらは、今日までのレポートです。よろしくお願いします」


 リリーは、俺に先ほど書いていた紙の束を渡す。

 これが、ガルトの現状を知るための、リリーズ・レポート第1弾である。後でゆっくり見ましょう。


「リリー、お疲れ様。また、次のレポートを楽しみにしている。俺たちもチロル村へ行くんだが、一緒に行かないか?」

「はい。あたしは、大丈夫です」


 俺たちは、チロル村へ行く準備をする。

 リリーのロバに荷車を引いてもらう。

 積み荷は廃鉱山で産出した鉛、スズ、亜鉛の金属インゴット50キロずつだ。


「シャルとアンナはチロル村に行っても、追っ手とか大丈夫なのか?」

「大丈夫だと思います。テリウス王国の金薔薇とか昔は言われていましたけど――もう金メッキも剥げてます。それに民は、王族の顔は知りませんよ」


 シャルは自嘲気味に呟く。


「いや、そんなことは無いんじゃないか! 今の方が美しいと思うし、シャルの心の中は、昔より輝いていると思うが……」


 地位を取り戻そうとしていた時よりよほど、今の方が人間として輝いていると思う。


「トール様ありがとうございます。素直に嬉しいです」


 目頭に涙を貯め、頬を紅潮させて大げさと思えるほどに喜ぶシャル。

 隣に、青い髪を逆立てるアンナがいなければ、抱きしめてしまいそうだった。


「お盛んですね」


 リリーが、初めて会った時に見せたゴミを見る目をしている。ミカエルに洗脳されたわけではなく、自我があったんですね。

 もっと他の場面で気づきたかった!


「みんなで、チロル村に行って、モルゲン商会で金属インゴットを売る」

「「「「分かりました」」」」


 皆一様に返事をしてくれた。

 廃墟ダンジョンを抜け、川沿いのけもの道のような街道を、ロバと一緒に歩いて進む。チロル村まで一時間位の距離なのだが、ロバは疲れているようだ。

 積載限界のギリギリまで積んだのが悪かったのかもしれない。しかし、ロバによる陸上輸送が約150キロが限界というのは、今後のことを考えると色々と問題だ。

 今日は、晴れているが、雨が降ったら、土がむき出しの街道は、ぬかるんで荷車や馬車は通行出来なくなるかもしれない。


「リリー、今の季節は、ガルトでは、秋なのか?」

「ええ、今の時期は小麦畑の準備を始める頃です」

「そうか。この辺りでも農地はあるのか?」

「廃墟ダンジョンの近くにも、農地が点在しています。もっとも、廃墟になってからは、耕作放棄されていると思いますが……」

「そうか。その辺りも整備しないとなぁ。リリーの知り合いで農業してくれる人いないかな?」

「貧民街の人達だったら、希望者がいると思います。ですが、悪いことをしちゃうかもしれませんから自警団がないとトール様も困ると思うんですよ」

「なるほど、これは騎士のアンナはどう思う?」

「確かに、廃墟ダンジョンを守る員はいませんからね。スケルトンに警戒させても、いい印象を受ける人はあまりいない。まぁ、今は守るべき住人もほぼいないがな」


 スケルトンさんにお世話になっている身としては、身内びいきしてしまう。だが普通の人から見たら、やっぱり怖いと思う。

 見た目で判断してほしくはないけど、魔物がいるような世界ではしょうがない。

 平和ボケしている日本人でも、ゾンビがウロウロしていたら、高確率で有名ゲームの要領で撃ち殺す。

 多分、初期装備はベレッタM92FSだったか……。

 そういえば、ダンジョンからあまり出かけないから軽装備だけど、よく考えたら治安が悪い異世界なんだ。

 いつ廃墟ダンジョンが襲われるか分からない。資金が不足しているが、前倒ししてもっと武装を強化した方がいいな。やはり、モルゲン商会で武器防具を調達しなければならない。

 今のところ、魔物より人間の方が怖い。野盗とか山賊!




 太陽は、ちょうど頭上から、照り付けてくる。

 頬には涼しげな風が、心地よく当たる。

 ちょうどチロル村まで後半分。リリーと初めて会った緑の草原だ。


「皆さん、お昼ご飯にしましょう」 


 ミカエルがお昼宣言をすると、女性陣は準備を始める。

 前は、二人だったのに、いつの間にか五人になった。

 仕事優先の社会人生活で、気の許せる友達とリアルで会ったのはいつだったか。 前はミカエルと二人、あんなに余裕があったレジャーシートは、すでに俺が座れるスペースは無くなっている! あたふたしていると、


「徹さん、私の膝の上に座ってください!」


 流石に、この状況で女性の膝の上に座るのは抵抗がある。


「俺はいいよ。後で食べるから」

「ご飯は皆で食べるものなんですよ! 膝の上が嫌なら、私が徹さんの膝の上に座ります!」


 ミカエルは強引に俺の腕を引っ張り、レジャーシートの真ん中に座らされる。その前にミカエルがゆっくりと腰を下ろす。シャルとアンナに左右を塞がれている。これは、恥ずかしい。俺の背中に、軽い重さが伝わる。リリーがもたれ掛かっているのだろう。また小言を言われるのか。


「リリー、不可抗力だぞ」

「別に、沢山の人と一緒に食事するのは問題ないです」

「そうなのか」

「ええ」


 リリーはどんな顔をしているのだろう? 年相応な笑顔だといいが……。


「「「「私の体はどうにかできても、心までは――。くっころ!」」」」


 未だに慣れない。四人同時にされると、鬼畜な人間になった気がする。

 食べたサンドイッチの味は、よく分からなかった。

 



 チロル村に入ると、石造りの立派な建物が見えてくる。

 モルゲン商会の軒先では、灰色の軍服のような作業着を着た白銀ツインテールが店の前で、荷下ろし作業を監督している。監督というより独裁者の風格だ。

 以前会った時と服装が全く違うが、あれは、紛れもなくモニカ・モルゲン様だ。

 俺たちは、挨拶を交わすと、ロバの積み荷を降ろす作業を従業員に任せる。

 俺とミカエルは、モルゲン様と応接室で商談をすることになった。


「今回の金属インゴットは合計で200万ガルでどうでしょうか?」

「今後も金属の取引をお願いしたいのですが」

「えぇ、もちろん! こちらも価格高騰中の金属です。寧ろお願いしたいぐらいです。また色を付けた方がいいかしら?」

「今回はお願いしたいことが三つほどあります」

「何かしら?」

「一つ目は、ダンジョンに必要な物資や人材の取引をしたいのです。モルゲン様にどこかご紹介していただきたいのですが、どうでしょうか?」

「それは、構いません。こちらも、トール様のダンジョンが発展するのは好都合ですから大丈夫ですよ」

「ありがとうございます。二つ目は、ダンジョンから金属インゴットを輸送する方法を河川を利用した水運で行いたいのです。そのために協力をお願いしたい」

「陸上輸送では、難しいですか?」

「輸送経費をモルゲン商会で持っていただけるのですか? 私としては、陸上輸送と水上輸送のメリット、デメリット、経費を考えたら、水上輸送を選びます」


 トラックだったら、ここまで言わなかったかもしれない。

 いや、トラックでも、あの街道を雨天時に輸送するのは骨が折れる。

 今日ロバを使って分かった!

 約150キロの物資を運ぶのに苦労する。今のところガルトの兵站は、陸上輸送だけでは無理だ。絶対現地調達になる!


「なるほど。今後とも、取引をしたいということですし、船を用意いたします」


 この件は、モルゲン商会にも、メリットがあるので、大丈夫だと思っていた。問題は次だ。


「最後に、うちのダンジョンにモルゲン商会チロル支店の出張所開設をお願いしたいのです。せめて倉庫だけでも、ダンジョンに置いてもらえませんか?」

「正直あまりメリットを感じませんが……」


 モルゲン様は眉間にしわを寄せ、薄紅色の唇に手を当て、難しい顔をする。

 モルゲン商会には、うちのダンジョンに出張所や倉庫を出さなければならない理由は無い。

 どうすれば、このお嬢さんを篭絡できる? やはり、正攻法で彼女の性癖を刺激するしかない。

 俺は、用意していた資料をモルゲン様に手渡す。

 そこには、今後必要となる武器防具の急激な伸びを示す棒グラフや数字が並ぶ。


「正直な話、武器防具等を大量に購入したいのですが、資金がありません。ですが、出店場所、保管場所は用意できます」

「金属インゴットやハイポーションの取引を担保にすれば、ある程度は融通いたしますよ。なぜ、出張所や倉庫が必要になるのですか?」


 嗜虐心しぎゃくしんが見え隠れするエメラルドのような双眸が、俺を捉える。


「私は、担保程度で融通されるの武器防具等では足りなくなると思っています。大量の在庫を常に手元に置いておきたいのです」

「わたくしの商会をあなたの武器庫にしたいということ? きな臭いですわね」

「モルゲン商会ならば、戦争に備えて大量の武器があるでしょう。資料をご覧ください。我々が望まなくとも、早々に戦火にいざなわれます。その時我々が取る武器に白のイーグルの紋章が必要なのです!」

「凄いきな臭い。いい香りがしてきましたわ。しゅごぃい――」


 声のトーンが上がり、弱く喘ぎ、熱病にうなされたようなトロンとした表情。

 場違いな反応! やはり、この人変態だ――。

 その時だった。思考がスローダウンする。

 何百、何千と顧客と交渉したが味わえなかった何か――感覚。

 暗闇の中、点が線になるイメージ。

 分かる。これが、ゾーンか。

 俺は確信する。

 あと一息で、この交渉勝てる!

 波多野徹、乾坤一擲の大勝負参ります!


「敵は強大です。しかし、われが剣、われが盾をお貸しいただけるならば、このトール必ずや、勝ってご覧にいれます。どうかご英断を!」

「いぃよぉ! こにょ、ぐぐって伸びる棒がしゅごくぃぃい――!」


 モルゲン様は、髪を振り乱しながら、大絶叫すると、事切れた人形のようにソファーに倒れこむ。汗ばんだ顔に張り付くほつれ毛が艶めかしい。

 惚けて俺の隣に座っていたミカエルが駆け寄って、モルゲン様を介抱する。


「モルゲン様――大丈夫ですか!」

 

 ナニコレ?

 相手は逝っているが、交渉は生きたのか分からん。

 棒グラフで逝ったのか! そんなに良かったのか?

 アンナが必要兵員をデフォルメ人型にした棒グラフ、何となくに見えなくもないが――。 

 折角のゾーン。交渉の極意がぶち壊しです。

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