第6話 叡智の光

 林を二人で進んでいると、けもの道のような、土がむき出しの部分が遠くまで続いている場所に出くわした。


「どっちに行けばいいのかな?」

 

 ミカエルに聞いてみる。


「とりあえず、あっちの方へ行ってみませんか?」

「そうだな。どっちに行けばいいか分からないし――」


 しばらく進むと、道は2つに分かれている。分岐の中心には道しるべなのだろう板が刺さっている。板には、変な記号――多分文字――が彫られている。全く読めない。


「ミカエル、俺多分ガルトの文字読めないわ――てか、ガルトの言葉も話せないかもしれない」


 どうしょうって顔でミカエルを見る。


「いきなり言葉をしゃべれて、読み書きできたらすごいけど――。女神には叡智の石がありますからねぇ」

 

 不敵な笑みを浮かべるミカエル。


「叡智の石?」


「旧約聖書の創世記11章のバベルの塔の話を思い出してください」

「ミカエル、ゴメン。俺、敬虔な方じゃないから覚えてない」


 正直に申告する。


「しょうがないですね――」

「――全地は、同じ発音、同じ言葉であった。東の方から移動した人々は、シナルの地の平原を得て、そこに住みついた。彼らは互いに言った『さあ、煉瓦を作ろう。火で焼こう』。彼らは石の代わりに煉瓦を、漆喰の代わりにアスファルトを用いた。そして、言った。『さあ、我々の街と塔を作ろう。塔の先が天に届くほどの。あらゆる地に散って、消え去ることのないように、我々の為に名をあげよう』。主は、人の子らが作ろうとしていた街と塔とを見ようとしてお下りになり、そして仰せられた。『なるほど、民は一つで、同じ言葉を話している。この業は彼らの行いの始まりだが、おそらくこのこともやり遂げられないこともあるまい。それなら、我々は下って、彼らの言葉を乱してやろう。彼らが互いに言葉が通じなくなるように』。主はそこから全ての地に人を散らされたので。彼らは町を建てるのをやめた。その為に、この街はバベルと名付けられた。主がそこで、全地の言葉を乱し、そこから人を全地に散らされたからである――」

「――つまり、言語を操るのは神の御業ということです」


 よく覚えているなと感心してしまう。これが信仰というやつか。


「バベルの塔では、統一言語をバラバラにしたから、バラバラの言語を再統一することも神の御業ならば可能ということかな?」

「分かっていただけましたか」

「うん」

「やり方ですが、叡智の石を私と徹さんが恋人つなぎで覆います。で、イニシエの叡智の言葉『バベル』を唱えます。バベルの塔を滅ぼした非常に強い青い閃光が出ます。絶対に私がいいというまで目を開けてはいけません!」


 ミカエルの真剣な顔を初めて見た。


「分かった! 絶対にミカエルの指示どおりに目を開けません」

 

 俺は、ミカエルに固く誓う。


 ミカエルは、一つしかない遮光メガネを掛けて準備万端。

 俺たちは、二人で鈍く青く光る叡智の石を恋人つなぎで覆う。

 恥ずかしい。

 キョロキョロと周りを確認する。

 三分待った。儀式を邪魔する人はいない。


「徹さん、目を閉じてください。私がカウントダウンしますから! いいですね」

「わかった」

「いきますよ。3、2、1」

「「バベル!」」


 目を閉じていても、瞼が透ける! 冷や汗がどっと出る。

 慌てて、ギュッと力を入れて瞼を閉じた。瞼の向こう側では凄まじい量の青い閃光が洪水のようにあふれているのだろう。

 長い時間が過ぎたような気もするし、一瞬かもしれない。

 目を開けたい衝動に駆られるが、ミカエルとの固い約束を思い出す。

 ――そうだ、絶対に守らないといけない。


 その時だった。

 唇に、感じたことのないやわらかい感触が伝わってきた。

 耳は、唇同士のやさしい接触の、ほんのわずかな音を聞き逃さない。

 暗闇の中、唇だけが生きていることを証明しているようだった。

 俺は、何も考えられず、ただ呆然としてしまった。


「……徹さん、もう大丈夫です」


 どの位の時間が過ぎたのか分からない――。突然現実に引き戻された。

 恐る恐る目を開ける。

 心配そうに、俺を見つめるミカエルと目があった。

 一瞬で顔が赤くなるのが自分でもわかった。

 取り繕うように、ミカエルに抗議する。


「ミカエル、『目を開けるな絶対!』とか言って、不意打ちでキスするの性格悪くないか?」

「徹さん、何言ってるの?」

「なにって、ミカエルがさっき俺にキスしただろ!」

「えっ? 私そんな大胆なことしてないよ――」


 遮光メガネのレンズに隠れて目の動きは分からないが、白い肌が、一瞬で朱色に染まる。

 あれ? 本当にミカエルじゃないの……?


「その、今、徹さんが私にキスしたら、体験したキスとやらが本当だったか分かるんじゃない?」


 ミカエルが悪戯っぽく、唇を突き出してキスの仕草をしている。


「いや、気のせいかもしれない」

「そんな――」


 がっかりするミカエル。

 本当にあの体験は、何だったんだろうか?

 ただの勘違い? ミカエル? 他の誰か?

 人間は目が見えないだけで、こんなにも判断力が落ちてしまうのか。

 ふと、気づくと林の奥には、うっそうと茂った藪が広がっていた。

 でのファーストキスの真相は藪の中か――。

 神の御業である、叡智の光をしても、混沌とした藪の中は照らせないものなのか。

 ミカエルが、俺のファーストキスの話をしろって言い始めた。

 困ったな、完全に藪蛇だ!



 

 ガルト歴982年豊穣の月12日、大陸南部の最大の国家、マンデリン帝国。

ガルト大陸には大小さまざまな国家がひしめきあっている。大陸南部の最大の国家、マンデリン帝国の外交部は慌てていた。テュルク王国やアレン公国等様々な国から集めた資料が読めるのである。

 翻訳による誤訳が無くなっただけではない。軍事技術などの技術論文で、謎の単語やその意味や方法の解釈など非常に理解を妨げていたものがあっという間に無くなってしまったのである! 

 二人の少年少女が起こした奇跡が、世界を変え、時代の大きな歯車が動き出したことにこの時二人は気づかなかった。





 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る