たッぴつ

久保田万太郎の「三の酉」(青空文庫)に次の文章がある。

『で、そのあと、三人が家に帰ると、茶の間には、もう、あかあかと眩しいほどの、たくさんの料理の皿が並んでいたばかりか、長火鉢の、につがれた火のうえにかゝった鍋の中には、みるから食慾をそゝるおでんが、ふつふつと煮えていた』


この「たッぴつ」の意味がわからずにいろいろと調べたがよくわからない。

漢字で書けば達筆しか思い浮かばないのだが、それでは意味が通らない。

それではと用例を調べてみると、次のふたつが見つかった。


久保田万太郎「春泥」(青空文庫)

『――に惜しげなくついだ備長の匂があかるい燈火のなかにうごいていた』


久保田万太郎「流寓抄」

に雲水炭をつぎくるゝ」


久保田万太郎しか用例が見つからないので、彼の造語なりなんなりなのだろうか。

この人は東京育ちなので東京の言葉なのかもしれない。


用例は久保田しか見つからず、辞書の類も役に立ってくれなかったが、上に挙げた三つの用例から察するに、この「たッぴつ」というのは「落とし」のことではないかと思う。


落とし

木製火鉢の内部の、灰を入れる部分。銅などでつくる(広辞苑)


「落とし」であれば、三例とも意味は通じる。

しかし、「たッぴつ」とは「落とし」のことであるといちおう納得しても、それでは「たッぴつ」はどこから来た言葉なのかという問題が残る。

私が思いついたのは、びつをタンビツと読み、それをさらに変化させて「たッぴつ」になったのではなかろうかという考えである。


しかし、炭櫃は「いろり。炉。一説に角火鉢」(広辞苑)を意味する古語であり、「落とし」の意味はない。

それではと、「たッぴつ」にいろりや炉を当てはめると、文章がおかしくなる。


というわけで、いろいろと考えた結果、私の結論は次のようになった。

「たッぴつ」は久保田万太郎独自の言葉で、漢字で書けば炭櫃、しかし意味は炭櫃から乖離した「落とし」である。

調べた限りでは上のような結論になったが、久保田のような大文人がそのようなことをするとは思えないので、たぶんまちがっているように思う。

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