鎮南都護
















鎮南都護は、唐が現在のハノイに置いた鎮南都護府の長官。

唐では支配下に入った周辺諸部族の土地を六つのブロックに分け、それぞれに都護府を置いて統治した。鎮南はそのひとつ。

都護府の長官や軍隊は中央から派遣された。


鎮南都護府が統括したのは、現在の中国南部・ベトナム北部とのこと。

なお、鎮南を称したのは十年ほどで、安南都護府と呼ばれた期間が長い。

都護を現代の感覚で例えれば、アメリカの州知事のような地位だろうか。


この鎮南都護に任じられていた日本人が阿倍仲麻呂である。

当時の都護にどれだけの権限があったかは不明だが、楽な仕事ではなかったにちがいない。

文人として名高かった仲麻呂だが、軍の差配はどうだったのだろう。

中国において文人はたいてい官僚であり、官僚が軍の指揮を執ることもあったので、名高い文人が軍事に参加している例は多い。


鎮南都護のあと、仲麻呂は安南節度使に就いている。

唐王朝が傾きはじめると、都護府の権限では辺境の治安が維持できなくなり、より権限を有する藩鎮が置かれ、その長官を節度使と呼んだようだ。

唐王朝から見て、都護府は徴兵、藩鎮は傭兵ようへいというのが大きな違いか。

都護府や節度使は時代ごとに内容が変わるので私の手には余る。

節度使は後に半独立的な軍閥と化した。


仲麻呂が都護・節度使として実際に現地へ赴いたのか、またどのような役割を果たしたのかについては調べる気力がない。

仲麻呂は長安で死んだ。七十三だった。



ブリタニカ国際大百科事典、世界史事典

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