第43話 番外編 尾行



 それは、桜香の事件から一週間ほど経過した頃だった。全ての授業の終了を知らせる鐘が鳴ると生徒たちは一斉に各々、教室から出たり近くにいる友達にこれからの予定を話したりしている。

 雪はその日、帰りの支度をすると席から立ち上がり前に座っている桜香に近づいた。


「桜香ちゃん、一緒に帰ろう」

「はい、いいですよ」


 あの日以来、桜香と雪の仲も良好となりよく一緒に下校することが多くなった。雪はさらに桜香の横の席にいる和樹に声を掛ける。


「白井君も一緒にどう?」


 だが、和樹は早々と帰りの準備を済ませると席から立ち上がっていた。


「悪いけど今日も用事あるから」


 和樹はそう一言告げると二人に簡単に挨拶して教室から出ていった。その光景を眺めながら雪は怪訝な表情を浮かべる。


「何だか最近、白井君の行動が変な気がする」

「そうですか? いつもと変わらないと思いますけど」


 確かに以前から和樹は雪と一緒に帰ることを拒む場面が見られたが嫌なら嫌とはっきりと言う和樹が最近、ああやって足早で教室から出ていくことが多くなった。理由は分からないが何か隠していることは明白である。


「そういえば、和樹君昨日私が一緒に帰ろうって誘ったも断られました……」

「やっぱり変だよ」


 雪の誘いを断るならまだしも桜香の誘いを断るということはやはり和樹らしくない気がする。和樹は桜香と仲良さげにしているし。雪は和樹が出ていった扉を見ながら考えにふけっていた。一体彼が何を隠しているのだろうか。


「よしっ」

「??」


 何かを決心した雪を支度を整えた桜香が首を傾げながら眺める。その顔は決していい考えを浮かべている人間の顔ではなかった。



☆☆☆☆☆☆



「ゆ、雪ちゃん、本当にこんなことしていいんですか?」

「桜香ちゃんは白井君の隠し事気にならないの?」

「そ、それは、気にはなりますけど……」


 今、桜香たちは、電柱の陰に隠れながらひそひそ話をしている。そして、雪たちの前方では悠々と歩ている和樹の姿があった。雪が思いついた考えというのは和樹の尾行である。

 急いで和樹の後を追いかけた二人は現在、学校近くの住宅地のほうにいた。


「一体どこに行くんだろう?」

「普通に家に帰ってるだけでは……?」

「う~ん、私の思い過ごしだったかな」


 一見いつものと変わらない和樹の様子を見て雪は自身の認識が間違っているのではと感じ始める。だが、そこで和樹の行動に変化が起こった。


「あ、右に曲がりましたよ」

「ほんとだ、確か白井君って反対方向だったはずじゃ……」


 いつも登校時に合流する場所は今、和樹が曲がった方向とは逆の道のはず。つまり、和樹の通学路とは違う道を和樹は歩いて行ったのだ。


「……これは本格的に怪しくなってきたね」

「あっちって確か駅の方向ですよね。そっちに何か用事があるんじゃ……」

「よし、追いかけよう」

「ちょ、ちょっと待ってください雪ちゃん!」


 和樹の姿が完全になくなるのを確認すると雪はすかさず尾行を開始させた。

 和樹は二人に気づく素振りを見せず、淡々と駅のほうへ歩いて行く。雪と桜香は決して見失わないくらいの距離を維持しながら和樹の後をつけた。やがて、静かな景観が変わっていきビルや飲食店が立ち並ぶ光景が広がる。未だに和樹の行先が予想出来ないまま、尾行を続ける二人。


「ほんと、どこに行くんでしょうか?」

「ねえ? 本屋とか雑貨屋はすでに何件か通りすぎたし…」


 すでに和樹が寄りそうな本屋や雑貨屋なんかはいくつも通り過ぎており、二人はますます彼の行く場所が検討がつかなかった。すると、ある食料品店から一人の女性が出て来た。その女性を見た和樹は笑みを浮かべて近づいて行く。女性も和樹の姿を確認すると微笑みながら手を振った。


「な、なにあの女の人……」

「し、知り合いなのかな……」


 二十代後半くらいだろうか、一目から分かるくらいの可憐な美人さんである。そんな女性の登場に心中穏やかになれない二人。これは、本当に和樹が何か隠しているという確信がよぎった。

 和樹は女性が持っていた袋を自分が持ち、そのまま女性と一緒に歩きだした。二人は鬼気迫る勢いで尾行に熱を入れた。

 女性と会話をしながら歩く和樹の様子はどこか楽し気に二人は見えた。コソコソと隠れながら尾行を続けていくと和樹たちが暗い路地裏に入っていくのを確認した。


「本当に和樹君どこ行く気だろう」

「…………」


 もはや、桜香の言葉にすら反応しなくなった雪。その表情はさながら餌を探す肉食動物のようであった。和樹たちが路地裏に消えるのを見届けると急いで雪たちも路地裏のほうへ向かった。だが、いざ路地裏に入ると二人の姿がなくなっていた。


「えっ、た、確かにここに入っていくのが見えたはずなのに」

「どこに行ったんでしょう?」


 突然姿を消した和樹たちに雪と桜香は焦りの色を見せる。だが、そんな二人のすぐ近くの扉から聞き慣れた声が聞こえた。


『それじゃ、これここに置いておきますね』

『ありがとうね和樹君。今、ウチの人出られないから助かったわ』

『いいえ、これくらいお安い御用ですよ。じゃあ、俺は色々と準備しておきますね』

『お願いね。私も着替えたらすぐにいくから待っててね』


 扉から漏れる会話を雪と桜香は聞き耳を立てて聴く。


「じゅ、準備って……」

「き、着替えって……」


 なぜか扉の向こう側から流れる会話を聞いていると嫌な予感がする二人。すると、桜香が扉の近くに小さな窓があるのを発見した。


『あ、和樹君、ちょっとこっち来て』

『はい?』


「雪ちゃん……」

「うん」


 二人の会話を聞きながら二人は意を決したかのように窓を覗き込んだ。バレないように少しだけ顔を出すと二人の前に信じられない光景が広がった。

 和樹の顔に先ほどの女性が顔を近づけていた。どんどんと距離を縮めていく両者の顔。やがて、その顔が完全にくっつく……


「「ダメ~!!」」


 その瞬間、思わず大声を上げながら二人は扉を全力で開けていた。


「えっ?」

「何?」


 突然開いた扉を見て驚愕する二人。だが、扉の近くで立っている人物を確認した和樹がさらに驚きの声を上げる。


「なっ、柊!? それに桜香も、何でお前らがここに!?」

「そんなことはどうでもいいよ! それよりシロ君! この人誰!? どういう関係なの」

「はあ? ちょっと、お前何言って……」

「和樹君、実は年上の女の人が好みだったの? それならそうと言ってくれれば、シクシク……」

「何で桜香は泣き出しそうな顔してんだ!? 何、何が起きてんの、頼むから説明してくれ!」


 そこからはもはやカオスであった。我を忘れて雪は執拗に女性との関係についての説明を求め、桜香は顔を俯かせて今にも泣き出しそうな様子で、とうの和樹は一体何が何だか分からず、混乱してまともに二人と話し合いが出来なかった。和樹の近くにいた女性はあらあらとまるで他人事のように傍観していた。



☆☆☆☆☆☆



「「バ、バイト!?」」


 しばらくカオスが続いたが落ち着きを取り戻した二人は場所を移動させられて、カウンター席で向かい合っている和樹から説明を聞いていた。


「そう、ここのマスターが父親の学生時代の知り合いで、新しく喫茶店を経営するからしばらく手伝ってほしいって頼まれたんだよ」


 和樹に言われて周りを見渡すと確かにレトロな雰囲気にテーブルや椅子は全て木製で出来ているという見えないところのこだわりを感じさせる内装となっていた。


「じゃ、じゃあ、最近妙に忙しそうにしていたのって」

「店のことで色々とやることがあったからな」

「そ、そちらの女の人は?」

「マスターの奥さんでオーナーしている絵里さん」

「初めまして、内津ないつ絵里えりと言います」

「それで、こっちがマスターの内津たかしさん」

「ハハハ、いや~、まさか和樹にこんな可愛いガールフレンドたちがいたとは驚きだよ」


 そう言って笑うマスターの隆は二人にココアを差し出した。二人は恐縮しながら頭を下げる。


「そ、そうだったんだ~、ってそれならそうと言ってくれればよかったのに」

「言ったらお前、絶対冷やかしに来るだろうが。まさか、尾行してくるとは想定していなかったがな」


 言いながらジト目で雪と桜香を見る和樹。和樹の冷たい視線を浴びて二人はすぐに顔を逸らした。


「まぁ、今回は言わなかった和樹が悪いな」

「そうね、隠し事は良くないわよ和樹君」

「え、俺が悪いの?」


 息の合った夫婦の言葉に理不尽さを感じる。説明が終わるとどっと疲れが出て来た和樹、まだこれからって時に妙な客の登場のせいで疲労が半端なかった。だが、和樹の説明を聞いてもまだ納得しない顔をする雪。


「じゃ、じゃあ、あの時のあれは何だったの?」

「あれ?」

「ほ、ほほほら、私たちが飛び出してくる前、絵里さんと白井君、そそ、その、き、きききキスしよってしてなかった?」


 よっぽど恥ずかしい発言だったのか顔を真っ赤にしながら言及する雪。すると、和樹と絵里が「あぁ~」と気の抜けたような声を出した。


「あのね雪ちゃん、あれ、和樹君の顔にゴミがくっついていたから取ろうとしていただけよ」

「……はぇ?」

「あのな、この人、えらい若く見えるけど実際は40代後半だからな」

「え……えぇ~!!」


 和樹と絵里の答えに雪は二重の驚きを見せた。だって、雪の目にはどう見ても絵里が自分らより少し年上程度にしか見えないからだ。だが、和樹たちの様子から嘘を言っているわけでないのが分かった。


「やだ、和樹君、女の年齢をばらすのはマナー違反よ」

「俺がここに来た時、歳聞いたらすぐに教えてくれたじゃないですか」

「ハハハ……俺の嫁に手出したら許さんぞ和樹」

「出しませんし、だからその殺気をさっさと抑えてください。お客さん逃げちゃいますよ」


 唖然とする雪と桜香を傍にまるでコントのようなやり取りを見せる和樹たち。と、そこで店の扉が開き、扉の上に設置されている鈴が鳴る。反射的に隆と絵里がお客さんに挨拶をし、席へと案内する。


「っと、いい加減仕事に戻ろないと、和樹も着替えてきてくれ」

「はーい、んじゃ、ちょっと行ってくるわ」


 和樹は雪たちに一言言ってから店の奥へと引っ込んでいった。


「あ、だったら私たちもそろそろお暇しようか」

「いいのよ。二人はゆっくりして行って」


 席を立とうとする雪と桜香に絵里が微笑みながら言う。


「え、でもご迷惑じゃ……」

「いいのよ、二人ともお客さんなんだし。それに、二人は見たくないの? 和樹君のウェイターす・が・た」

「「!?」」


 悪戯っぽい笑みを浮かべながら言った絵里の言葉に雪と桜香は宙に浮かせていた腰をその場に下ろした。その光景を見て、絵里は「若いわね~」と呟きながら先ほど入店したお客さんに水を出しに行った。


「? どうかしたのか」

「「……ふぇ」」


 そこに絵里と入れ替わるようにやって来た和樹。その姿を見て、二人は自然と声が漏れていた。そこにはいつもの制服から黒を基調といたウェイターの制服に着替えていた和樹。さらになぜか黒縁眼鏡をかけていおり、知的さを醸し出し、いつもより大人っぽくなっていた。

 思わず見惚れている二人を和樹は首を傾るがすぐに我に返った雪と桜香は慌てて言葉を紡ぐ。


「あ、いや、何でもないよ! そ、その制服似合ってるね」

「そ、それに、その眼鏡も和樹君にぴったりって感じですよ」

「あぁ、この伊達眼鏡は絵里さんの趣味でな。正直何がいいんだかよく分からん」


 眼鏡の淵を持ちながら呟く和樹。だが、その眼鏡の効果なのか普段、無口な和樹が眼鏡をかけることによって知的クール系男子を演出しており、一部の女性客から人気があることを彼は知らない。

 和樹が眼鏡の効果に疑問を感じている時、再び扉が開きお客さんが入ってきた。


「おっ、じゃあ、俺は仕事してるから二人はゆっくりしていけば? 何か注文したかったら俺か絵里さんに言ってくれ」

「うん、分かった」

「はい、お仕事頑張ってください」


 二人の声援を軽く受けて和樹は入って来た客を席に案内する。そして、注文を受けるとカウンターにいる隆に伝えた。そこから、お客さんも増えていき、忙しそうに和樹は動き回った。時折、厨房へ行き隆の手伝いをしたり、客と世間話をしたりと普段見られない和樹の姿を二人は何時間と見ていた。一体、何杯飲み物を飲んだのかは本人たちも分からなかった。




 

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