第41話 姫野桜香



 家を飛び出した和樹をまだ高い日が照らしている。和樹は前に送った道を辿りながら桜香の姿を探した。もしかしたら途中で出会う可能性があるからだ。しかし、途中で出会うことなく和樹は別れた場所まで来てしまった。


「ハァハァ、くそっ!」


 乱れた呼吸を整えながら和樹は悪態をつく。家が分からない以上、和樹は桜香を探す手段がない。こんなことなら連絡先くらい聞いておけば良かったと今更ながらに後悔する。そこで、和樹の携帯が振動した。和樹はポケットから取り出すと耳にあてる。


「もしもし……」

『あ、シロ君?』


 声の正体は雪だった。そういえば、PK騒動の時にちゃっかり番号交換していたのを忘れていた。


「なんだ、今ちょっと立て込んでるんだが」

『あのね、今あのコメントをした人の呟きをみたんだけど』


 どうやら雪もあの時、桜香に何か悪いことが起こると予感したのだろう。和樹ははやる気持ちを抑えながら雪の次の言葉を待つ。


「その人が一時間前くらいに呟いていたの。で、その内容なんだけど……」


 一時間前となるとちょうどイベントが始まったくらいの時だ。和樹は黙って雪の話を聞く。雪はあのコメントをした人物の呟きを読み上げた。


『ついに僕はあの子と結ばれる日が来た。僕の想いに答えてくれる彼女を僕は待ち合わせの公園で待っている。あぁ、早く来ないかな、早くあの子をこの両手で抱きしめたい、言葉を交わしたい。ってことだけど』


 寒気がする言葉の羅列に和樹は吐き気を覚えるが今はそれどころではない。和樹は雪が言った内容を反復させて考える。この場合キーワードは公園だ、この辺りで公園と呼べる場所は数か所あるが今和樹のいる所から近い場所と言えば一つしかない。場所も分かる、だが__


「……運の要素がだいぶあるが、賭けるしかないな」

『もしもしシロ君? 大丈夫なの、桜香ちゃんに何かあったの? 私も今その辺の公園探しているんだけど』

「これから何かあるんだと思う、お前はお前で続けてくれ。俺もこの辺の公園探してみるわ」

『うん、見つけたら連絡してね』

「あぁ、お前もな」


 和樹は一度通信を切ると再び目的地に向けて走り出した。



☆☆☆☆☆☆



 昔からこの声が好きじゃなかった。小さい頃からよくからかわれて、その度に何で自分だけ他の人と違うのだろうと思って泣いた。

 だけどあの時、大好きな人が私の声を好きだと言ってくれた。嬉しかった、そんなこと言われたの初めてだったから。その人と離れ離れになってからもそのおかげで少しだけ頑張れた。


 中学に上がると私は声優と言う仕事を知った。声で人々を感動させるその仕事はとても輝いて見えてなおかつ憧れた。調べると自分と同じように声にコンプレックスを持っている人が多くいたのが意外だった。その時から私は声優と言う職業を意識しだした。


 中学二年のある日、雑誌で声優事務所のオーディションの応募が目に止まった。受けてみたいと思ったけど人前に出るのが苦手な私はどうしようか悩んだ。その時、脳裏に浮かんだのは私の声を褒めてくれた男の子の姿だった。その姿を思い出すと私はオーディションを受けることにした。

 結果は何と合格、最初それを聞いて私は驚いた。それを両親に伝えると私以上に驚いてくれたけど学校のこととかあるし本当に大丈夫なのかと話し合いが行われた。両親としては私のことを心配してくれたんだと思う。けど、私はやってみたいって思った。不安もあるけどここでやめたらきっと後悔すると思ったから。転勤ばかりだった父の仕事も落ち着きを見せていたこともあってか親も私の意思を尊重してくれて私は事務所に入ることになった。


 最初の一年間はとにかく声優として必要なことを叩き込まれた。発声法や演技の基本など覚えないといけないことだらけでつらい日々が続いた。でも、それ以上に楽しかった。まわりには私と同じような目標を持っている人たちがいるから頑張っていけた。

 それからアニメのオーディションには積極的に受けた。最初は全然役を取れなかったけど受かった時は嬉しかった、ちょい役だったけど。それから順調にお仕事が増えていってある日、何度目か分からないオーディションで主役に選ばれた。驚きすぎて声すら出なかった。でも、それから歯車が狂い始めたのかもしれない。

 主役に選ばれたアニメがすごく人気になってありがたいことにどんどんお仕事が増えていった。色んな役をすることはとても楽しくて、ワクワクした。でも、ある時事務所公認のSNSに妙なコメントが現れた。


『芳さんの声、とても好きです!』


 最初はそんな感じで彼以外に声を褒められることに喜んだ。でも、その人からのコメントが段々と怪しげなものへと変わっていった。


『あぁ、君の声が僕の生きがいだ』

『君の顔を一目でいいから見てみたい』


 気持ち悪くなってマネージャーの荒木さんに相談してみたけど、人気が出てくるとよくある話だってことだったから様子を見ることになった。コメントはそれから止む気配を見せず、内容はエスカレートしていった。


『君に手紙を送ったよ』


 そんなコメントが出た時、事務所に一通のファンレターが届いた。ファンレターだけならよく届くことがあったが中身はびっしりと文字が書かれた半紙と一枚の写真だった。写真には一人の男性が映し出され、手紙の内容は私への受け付けられない愛の言葉が永遠と書かれていた。正直、背筋が凍るかと思った。

 それから手紙はどんどんと送られてくるようになった。でも、私はそれを読むことはしなかった。だけど、恐ろしいことが起こった。

 あの人からの手紙が自宅に届いたのだ。これに、両親と事務所の人も黙っているわけにはいかなくなり警察に相談したが直接的な被害は出ていないから難しいと言われた。当の私は恐ろしさのあまり体が震えた。


 どうして家の場所が分かったの? どうやって調べたの? 家の場所が分かったなら私の顔だってバレているかもしれない。もしかしたら、私が気づいていないだけで傍までいるのかもしれない。そんな最悪な状況が頭から離れなかった。そう思い始めると仕事が手に着かなくなっていた。いつどんな時にあの人が近づいてくるか、自分が最悪な目にあう夢を毎晩のように見てうなされる日々が続いた。

 怖さのあまり私は外に出る事すら躊躇うようになった。そんなある日、父が海外に転勤になることになり、一緒について行くことも考えた。しかし、仕事を辞めたいとはどうしても思えなかった。でも、状況も状況のため黙って娘を置いていけないと両親は言った。そこで事務所と相談して私は仕事を減らし、祖父母のいる昔住んでいた懐かしい土地へ引っ越し、学校も転校することとなった。

 そこで、私は彼と再会を果たすこととなった。



☆☆☆☆☆☆



 日が傾き始めた頃に和樹はようやく目的の公園にやって来た。息を切らしながら周りを見渡して桜香の姿を探す。そこに、一人の少女の声を和樹の耳が拾った。


「あの、もうこういうのやめてください……」

「どうしてそんなこと言うんだい、僕は君の事をこんなに想っているのに……」


 和樹は乱れた呼吸を整え、遊具の陰に隠れた。陰からそっと声がする方向を見ると桜香と一人の男性がいた。彼女の前にいる男性は和樹たちがVR機を買った帰りに雪とぶつかった男性だった。どうやら、予想通り桜香は出会いたくないものにたまたま出会ってしまったようだ。だから、あの時あんな怯えた表情を見せたのだろう。

 男が一歩、桜香に近づく。


「僕は本当に芳ちゃんのことが好きなんだ。君の声を聞いた瞬間、僕は君の虜になったんだ。写真を見つけた時、興奮したよ声も可愛いけど顔もこんなに可愛いなぁって」


 桜香が足を後退させる、男はさらに一歩近づく。


「いつも君のことばかり考えていたよ。でも、最近まるで出番が減っているから心配していたんだよ、本当に心配で心配で」


 じりじりと桜香との距離を詰めて来る男。ずるずると後ろに下がる桜香の背中が壁に触る。


「でも、この町で君と出逢えるとは思ってなかったよ。やっぱり君と僕は運命の赤い糸で結ばれていたんだよ、好きだよ芳ちゃん、抑えられないほどに!!」

「や、やめてください! 迷惑なんです!!」


 勝手な男の愛情表現に桜香ははっきりと拒絶の意を唱える。その叫びに男がピクっと動きを止めた。

 崩壊したダムのように彼女の叫びが流れる。


「どうして私の家の場所が分かったんですか! どうしておじいちゃんおばあちゃんの家が分かったんですか! どうして私の顔が分かったんですか! どうして私にこんな手紙を送ってくるんですか!!」


 悲痛の叫びが誰もいない公園に響く。そして、桜香は手に持っていた手紙をその場に叩きつけた。その様子に男は唖然とした表情を浮かべる。


「ど、どうしてって僕と君は運命の赤い糸で結ばれているからに決まっているからじゃないか。どうしてこんな、こんなことを、君を、芳ちゃんのことを想って書いたのに……」

「私は三倉芳じゃありません!」


 怯えた表情を浮かべながらも桜香は真っすぐと目の前の男を見る。目を背けて来たことに決着をつける覚悟が和樹に伝わってくる。

 そこに立っているのはフィーリアであり、三倉芳であり、そして両者でないたった一人の女の子。

 華奢な体で、目には涙を溜めて、でもしっかりと相手を見つめる彼女の姿はとても毅然で美しく見えた。

 少女は叫ぶ。宣言するように、相手の胸に刻み込むように声を、言葉を用いて。


「私は……私は姫野桜香です!!」


 はっきりと堂々とそう言い放った桜香。その姿は普段顔を俯かせる少女ではない。

 覚悟を決めた者の雄姿であった。


「どうしてそんなこと言うんだい? 僕は、僕はこんなにも君のことを想っているのに……」

「こ、来ないでください」


 退路がない桜香は近づいてくる男を拒絶するが男は襲い掛かる勢いで歩みよる。涙目で男を見る桜香。はらり、と彼女の目から水滴が落ちた。

 その時、和樹の脳内で今まで不足していたパーツがはまるような音がした。そして、和樹は思い出す、かつてこの公園で声をバカにされて涙を浮かべていた女の子の存在を。

 桜香の傍まで近づいた男が彼女の肩を掴んで、壁に押し付けた。


「だったら、僕がどれだけ君のことを想っているのか今から証明するよ。そうすれば、芳ちゃんも分かってくれるはずだよ」

「いや! 離してください!!」


 桜香の叫び声を聞いて、いい加減放っておくわけにいかなくなった。和樹は遊具の陰から出てくると明らかに二人に気づかれるように声を出し、男の腕を掴んだ。


「……何やってんだあんた」

「はっ!?」


 誰もいないと思っていた男は和樹の登場に動揺した。一方で、桜香は突然出て来た和樹に唖然とする。


「こんな人気がない場所で、女性を暴行ですか? こりゃ警察沙汰ですね」

「ち、違う、これはそういうのではない!」

「へ~、これを見てもそんなこと言えるんだ?」


 そう言って和樹は手に持っていた携帯を男に見せつける。


『僕は本当に芳ちゃんのことが好きなんだ……』

「なっ、それは!」


 和樹は男が桜香の肩を掴むまでの一連のやり取りを動画に押さえていた。決定的な証拠に男は顔を青ざめる。


「これって、立派なストーカーってやつですよね。警察にバレたらどうなるんすかね?」

「ち、違う! 僕はストーカーなんかじゃない。大体、君こそ何なんだね、いきなり出て来たかと思えば人を見に覚えのないストーカー呼ばわりなんて!!」

「……へぇ、身に覚えのない、ねぇ」


 和樹は呟くと男の方へ顔を近づける。カッターとか持ってたらどうしよかと一瞬考えたが体が自然と動いていた。鋭い目つきで男を牽制すると男はまるで蛇に睨まれた蛙状態でビビった顔をする。


「身に覚えがないだぁ? ふざけんなよテメェ、俺はばっちりとあんたがこの子に迫るのを見たし動画も取った。次、この子の目の前に現れたら動画とテメェの手紙を持って警察行くからな、覚悟しとけよ!」

「ひ、ひぃ!?」


 和樹の冗談と呼べない殺気を感じたのか完全に戦意を失った男。ふん、とつまらないとばかりに和樹は掴んでいた腕を離した。腕が解放されたのを確認すると慌てて逃げようとする男に和樹は忘れていた質問に答えた。


「あぁ、あと俺が何かって聞いたよな。答えてやるよ」


 そう言って和樹は桜香をチラッと確認する。二人の関係を適格かつ短的に言い表す言葉といえばこれしかないだろう。


「俺はこいつの『幼馴染』ってやつだよ。納得?」


 だが、それに答える余裕がない男は脱兎のごとく走り去っていった。見た感じ、聞こえていないみたいであるが、まぁいいだろう。

 恐怖が終わって、安心してしまったのか桜香は体から力が抜けてその場にへたり込んでしまった。慌てて、和樹は桜香の元へ駆け寄る。


「……大丈夫か?」

「は、はい、ちょっと腰が抜けただけですから」

「……そうか」


 色々と言いたいことがあったが今は不要だろう。和樹がそう言うと桜香は控えめに笑った。そこには達成感のようなものがあるのを感じた。


「で、でも白井君どうしてここが?」

「まぁ、ひとえに柊のおかげだな。あいつも随分と心配していたみたいだぞ」

「そうですか……」


 桜香は顔を俯かせ、涙を隠した。二人に迷惑をかけたんじゃないかと不安に駆られる。


「ご、ごめんなさい。わ、私……」

「別にいいよ。俺は気にしてないから」


 だが、桜香の不安は杞憂に終わる。彼の言葉に桜香はどうしてか安堵した。


「白井君。私、頑張ったよ」

「あぁ、そうだな」


 桜香の言葉に和樹は頷く。一体彼女がどれだけの勇気を振り絞ったことだろうか。怖くて恐ろしくてそして、逃げてきたものと偶然遭遇してまた怯えて、恐怖に駆られて、だけどもそれを人に打ち明けられずに孤独になってどんどんと自分が追い込まれる感覚に陥ったことだろう。だけど、桜香は自分の意思でそれに立ち向かうと決心したのだ。それがどれだけの恐怖なのか他人には分からない、しかし、そこにとんでもない気力と勇気を使ったことは和樹には理解出来た。


「でも……怖かった」

「……お疲れ様」


 涙目で笑いかける桜香に和樹は短く応えた。余計な言葉は不必要だ、今くらいは褒めても罰は当たらないだろう。しばらく、桜香が落ち着くまで和樹は桜香に寄り添っていた。



 

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