第9話
8
俺の通う学校には奇妙な風習、というか伝統がある。
それは『屋上の鍵』が一つ、生徒の間でずっと昔から時代を経て受け継がれているということだ。
どれ位前からその伝統があるのかは知らないが、俺はそう言われて『鍵』を手渡されたのだ。
水島に目を付けられ、散々(さんざん)なインタビューに付き合わされた、あの気の毒な生徒会長から。
「他に質問がある奴は挙手(きょしゅ)してくれ」
誰も手を挙げなかった。
「それで・・・・・・俺の捻挫した右足首に貼る湿布を持っている奴は居るか?」
やっぱり誰も手を挙げなかった。
「お前らなあ。いくらなんでも、人を無理矢理引き摺って職員室まで連れて行こうとした挙句、俺の右足首を捻挫・打撲に追い込むことはねえだろう」
どうやって帰れば良いんだ、これ。
片脚で跳ねて、唐笠お化けみたいに帰宅しろって言うんじゃないだろうな。
「悪かったって。本当、調子乗りすぎただけで」
冬美は両手を合わせ片眼を閉じつつ、俺の様子を伺った。今日だけで何度目だろうか。このやり取り、不毛な無限ループに落ち込んでいる錯覚を覚える。
「それで『屋上の鍵』は?」
井之村(孫)はこいつで、殆ど反省する素振りも見せずに『鍵』を要求して来た。ふざけんな。
「黙れ、この窃盗犯が」
・・・・・・そう言われると口答え出来ないから言わないでくれよ。不意識の内に負け犬の鳴き声を発してしまったじゃないか。
そうだよ。確かに、あの哀れな生徒会長氏から渡された『屋上の鍵』は学校側に返却するのが正しい対応だったよ。でもさあ、だからって右足首を捻挫するハメになるのは割に合ってねえと思うぞ。本当に痛くて、一人で歩けそうにないし。
俺は井之村(孫)に渋々『鍵』を手渡しながら、オカルト研の部室に居残りしようかと考えた。
が。
「大丈夫! ウチが何も考えていないと思うの?」
と、井之村(孫)は俺の顔色を瞬間的に青ざめさせるような表情で言った。
要するに、この上なく悪意に満ち足りた百点満点の笑顔だ。
井之村(孫)はそう言うと、駆け足でどこかに走り去って行った。
小さな背中が点となり、完全に視界から消えて二、三分の間を置いて、井之村(孫)は戻って来た。
「あれはなんだ?」
俺は遠目でこちらに全力疾走してくる井之村(孫)を見ながら、冬美に話し掛けた。
話し掛けられた冬美は抑揚のない声で応えた。
「見れば分かるでしょ。ただの台車ね」
・・・・・・どうあっても俺を屋上まで連れて行く心積もりらしい。
◆ ◆ ◆
「はい、さっさと乗る! キビキビ動きなさい!」
満足に歩く事が出来ないから台車に乗る必要があるはずなのに、乗るのは俺の自己努力なのか・・・・・・。介護職だけには就いてくれるなよ、井之村(孫)。
俺は冬美と井之村(孫)に両腕を引っ張られる形で、井之村(孫)が運んで来た台車の上に搭載された。
「なんで二人ともそんなにやる気あるんだ・・・・・・」
「当たり前でしょ! 自分の推理の証拠を見付けられかどうかが掛かってんだから!」
「オカルト研部長としては真相解明は悲願だし」
二者二様の理由があるらしいが、俺は完全に巻き込まれてるだけだな。おい。
「別に良いじゃない。これも原稿代筆の報酬ということで」
冬美サン、感謝はしてるけど報酬は今晩の天体観測の手伝いで手を打ってもらったじゃないですか。
「今度は連載原稿を引き受けるから良いよね?」
斜め下からこちらの表情を伺うように見上げる角度は俺の好みをドンピシャに射止めており、ナイスアングルごちそう・・・・・・いやいや、残念ながら俺に新聞部(予定)の掲載記事内容決定権は持っていないから。そんな顔で俺を見つめてもOKサインは出せないからな。
「チッ・・・・・・」
「今、顔を逸らして。露骨な舌打ちしたな?」
「してません」
輝くような笑顔のまま首を横に振る冬美。女優にでもなったら良いのに。
「褒めても何も出ないよ?」
「褒めてねえよ」
「クソが。またイチャツキやがって」
誰か今、物凄く口悪くなかったか? 井之村(孫)。
「あのさぁ、その男には根本的に拒否権はないの。今朝、ウチのホットケーキとミルクを台無しにした代償が未払いなんだからさー」
ピキッ!
何か乾いた音がした気がする。
井之村(孫)の予期せぬ一言で冬美がキレt――――――
「ちょっと冬美サン。いきなりトップスピードは慣性の法則的にやば――――――」
「死・に・さ・ら・せえぇぇぇぇぇぇぇ!!! このロリコンペドフィリアァァァァァ!!!」
「だから、俺は断じてロリコンでは」
「誰がお子様ボディーだ!」
火に油が注がれた結果。
台車の車輪が不気味な摩擦音を奏(かな)で始めた。
◆ ◆ ◆
冬美のスタートダッシュは完璧だった。
「おぉぉぉぉぉいぃぃぃぃぃ。止まれ、一度止まってくれ」
俺は大声で叫びまくるが、やはり冬美は尽く無視をした。
冬美が無言のままに台車の持ち手を押し続けるものだから、俺は両手で台車板の両脇をどうにかしがみつくので精一杯。ビュンビュンと耳元を風が通り過ぎて行く。思わず顔の筋肉が強張るほどのスピードが出ている(おまけに絶賛加速中)。
「あっ、ちょっ」
目の前に迫る壁。狼狽しきった我ながら情けない悲鳴が零れ出る。
ギャリ、ギャリ、ギャリ、ギャリ!
台車のタイヤと廊下床が痛々しい摩擦音を生じさせる。
俺を載せた台車が、減速することなくほぼ直角に廊下の曲がり角を通過する。無駄に高度な台車ドライビングテクニック。俺は振り落とされないよう必死に両腕に力を込めて、遠心力で台車から振り落とされそうになるのをなんとか耐え切る。心臓に悪いぞ、コンチクショウ。
「――――――って、冬美サン。前、前、前。エレベーターの扉が迫って来てるって」
流石にこの時ばかりは冬美も『無視する』のを一時中断してくれた。
「・・・・・・あれ? この台車のブレーキって何処にあるの?」
「台車にブレーキなんて無いからな」
「え? じゃあ、どうやって止めるの?」
「もう、これ以上余計な事するな。冬美」
「うん、分かった!」
「は?」
ガクンと身体に掛かる慣性の力が変動した。
こう、宙ぶらりんのなったような感覚。
つまり・・・・・・冬美が台車の持ち手部分から手を離した、ってこと。文字通り「手を引きやがった」。
「せめて最後まで責任持てよ」
気付いた時には叫んでいた。魂も震えるし、膝も震える。
俺は高速で後ろへ遠のいて行く冬美に抗議の姿勢を取りながら、一直線にエレベーターの硬い扉へ急接近する。
このスピードで正面衝突は本当に洒落にならない。
「――――――あっ、ああああぁぁぁぁぁ」
俺はまだ無事な左足を限界まで前に突き出す。力一杯蹴り飛ばすように。
直後、滅茶苦茶な圧力を足の裏で感じ取れた。これで左足まで駄目になった。
続いて金属と俺の肩が激突する音が鳴り響き、俺を搭載(とうさい)していた台車は盛大にクラッシュした。
カラカラと、仰向けに倒れた台車の車輪が空回りする。俺は全身を駆け抜けた衝撃の余韻を振り払うのに少し時間を要した。復帰までの時間はむしろ早い方だと思う。
「大丈夫!? 小畑くん!」
近付き呼び掛けてくるのが冬美だと判別出来るぐらいにはショックから回復しているらしい。
「大丈夫な訳無いだろ。大ダメージだ」
俺が返事をする頃には、冬美が廊下に倒れ込んだ俺を見下ろしていた。
本気で心配している顔だ。裏(うら)表(おもて)の余地もない。
「ところで冬美、あの台車はあとでお前が片付けろよ。井之村
(孫)に置いてあった場所をしっかり聞いてさ。
で、肩を貸してくれると有難いんだけど? ここまで痛い目にあったら、是が非にでも井之村(孫)のあてっずぽう推理が合っているのか自分の目で確かめてやる」
「私が言うのもなんだけど、普通酷い目にあったら謎解きなんて嫌にならない?」
「冗談だろ」
むしろ燃えて来たぜ。
――――――その前に眼前の味方(てき)をどうにかしないとな。
◆ ◆ ◆
「えーっと、何の茶番してんの?」
遅れてやって来た、大体の原因(孫)が呆れ果てて俺を見下していた。
「茶番とはなんだ。大体、お前のせいだろう」
「人に責任押し付けるなよ。そういうのはクズでロリコンな奴がすることだぞ」
「だから俺はロリコンでないと何度言えば分かるんだ・・・・・・いや、それは置いといて。どっちでも良いから引っ張り上げてくんない?」
「嵐らんに頼めば?」
井之村(孫)は俺を避けてエレベーターのボタン前に歩を進めた。
パチッ の音と共に上矢印ボタンが点灯する。
起き上がらないなら、俺は置いていかれるらしい。
冬美、お前は手を貸してくれるよ・・・・・・な?
「・・・・・・ポッ」
「いや、なんでだよ。顔赤らめる場面じゃないだろ。普通に手を貸してくれよ。両足首に力込められないんだって」
「分かってるって」
ようやく冬美は手を差し伸べてくれた。
「どうも――――――」
冬美の手を借りて、腰を浮かす途中。
ソイツはやって来た。
「ちょっと貴方たち何やってるの!?」
某今朝の女教師が両眉を上げて急速接近。
騒動を聞き付け、様子を見に来たらしい。
よくよく考えてみれば、俺は生まれて初めて女子高校生の手に触れていたのだ。
それを実感する前に、スルスルと冬美の手が離れていく。
おい、待て。まさか――――――
「「屋上は私たちに任せろ! だから、そっちは頼んだぜ?」」
こんな時だけは息ピッタリの女子二人は既に遁走を開始しつつあった。無駄にカッコイイ台詞を置き土産に、俺を見捨てることを躊躇なく決断しやがった。せめて道連れにしようと、足首に手を伸ばしたが華麗に躱された。
遠退いてゆく冬美と井之村(孫)の足音と対比するように、女教師の怒鳴り声が接近して来る。
「また君か! ・・・・・・って、なんで泣きそうになってんの!?」
「もう先生でもイイんで手貸してくれません?」
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