第8話

 7


 蛇口を捻り、勢い良く流れ出した水道水に頭を突っ込む。

 気色の悪い髪のベタつきを完全に洗い流すのだ。


「冷た――――――、って。ゲホッ、ゲホッ、ゴホッ」


 き、気管に水が――――――。


 パシャリ!


「なんのつもりだ?」


 俺は携帯電話をカメラモードにする冬美へ顔を向け、訊ねた。


「洗髪で苦しむ男子高校生の図、を激写」


 何に使うつもりだ。そんな写真。


「・・・・・・やっぱ削除するわ」


 その言い方、なんか腹立つぞ。

 というか、なんで冬美が洗面所まで付いて来てるんだ。井之村(孫)はどうした? あれで怖がりな所があるから、あの怪談話(?)の直後に一人きりは流石に可哀想だろう。


「先にオカルト研の部室に送っておいたわ。私は小畑が遅いから、わざわざココまで向かいに来て上げただけ」

「嬉しそうだな。なんとなく、俺がそう思ってるだけかも知れんが」


 冬美は携帯電話をスカートのポケットに戻しながら、首を小さく上下に振った。


「そりゃあね。あの小畑クンが水島さん以外の女の子と仲良さそうにしてるのを見るとね・・・・・・」

「言いたいことがあるならハッキリ言えよ」

「君はマゾ気質でもあるのかい?」

「この俺の事を、犬に襲われるのが趣味の、キス魔で、マゾ気質ありありの変態だと思うのか?」

「掌を伏せてターンエンド」


 いつでも手のひら返し出来るってか? 知り合って間もないとは言え、信用無さ過ぎるだろう。


「人同士の信頼って最低ラインから始まるものじゃない? 奈落から這い上がりなさい」

「最低ラインが存在しないから『奈落』なんだろう。俺は冬美に信頼されることは無いということを暗示しているのか? そうだとしたら、さっさと逃げ出した方がいいぞ。

 冬美の論理で行くと、俺は真性の変態らしいからな」


「私はてっきり『水島さん』のことが好きだと思ってたんだけど?」


 前々から思っていたが、女子の『笑顔』ってのは『裏表』がありそうで。

 その上、俺には判別出来なさそうで怖いと思ってるんだが。

 今の冬美の笑顔ははっきり判別出来る。

 これは『裏側』の『笑顔』だ。


「あんなに膨大な仕事量押し付けられて、普通に人付き合い続けるなんて異常でしょ」


 冬美の笑顔は瞳も含めて、頭の旋毛から、足のつま先に至るまで全ての要素が『笑み』を表現していた。

 だけどその『笑顔』は間違いなく『負』の方向に振り切られている。

 冬美にはサド気質があるみたいだ。


「てっきり、水島さんと付き合ってると思ったんだけど? なのに二ノ宮クンが水島さんと付き合い始めたんでしょう? なんで邪魔しなかったの?」


 二ノ宮告白の全容を完全に知っているような口振りだ。

 しかし確信は知り得ていない口振りでもある。

 だから俺自身に訊ねかけているのだ。尋問しているんだ。俺を。

 「小畑紫おばたむらさきは水島部長(予定)のことを好きじゃないのか?」と。

 その質問に対する答えを隠すつもりはない。


「大っ嫌いだよ」


 俺の言葉を受けてポカンと口を丸く開けている冬美の顔は、なんとなく俺の心を満足させてくれる。

 どうやら『結論』に至る『理由』を聞く気力も失ってくれたようなので一安心だ。




 ◆ ◆ ◆


 井之村(孫)が待つというオカルト研部室に至るまでの徒歩移動中に、冬美はもう一つだけ訊ねかけてきた。

 今度はさっきと打って変わって年頃の乙女らしい仕草で。・・・・・・やっぱり、どこか嘘っぽいな。


「女の子は好きなの?」


 茶かコーヒーを飲んでいたら吹き出していただろう。

 俺は目を白黒させて、冬美の真意を瞳孔観察から導き出そうと躍起になった。

 が、当然俺にそのような特殊技能はないので徒労に終わった。


「もしかして俺が『ゲイ』だっていう噂でも広まってんのか・・・・・・?」


 だとしたら情報源は誰だ?


「そういう事じゃないから」


 幸いにも、そういう事ではないらしい。

 ・・・・・・なら、なんで「女の子は好きなの」かと訊ねられたんだ?

 質問内容の詳細を聞こうとしたが、不幸(幸運?)にも冬美はこちらに背を向けると恐るべき速さで歩き去ってしまったのでその機会は失われてしまった。

 一度タイミングを逃した後、別の機会を期待するほど俺は気長では無いので、この疑問が晴れることは一生ないのだろう。

 まあ、なんであれ。

 「現状維持」とは素晴らしい言葉だと思う。


 俺は結局、最後にオカルト研部室の扉を開けることになった。

 最初に目に飛び込んできたのは、マグカップを両手で持ち口に近付ける井之村(孫)の姿だった。

 こう、なんと言えば良いのか。

 とてもマグカップが大きく見えた。多分、比較対象となる井之村(孫)の『手』等が一際小さいためだろな。

 カップの中身はきっとココア的な甘い飲み物だと勝手に当たりを付けつつ、俺はオカルト研部室のパイプ椅子に腰を下ろした。これで、この席に座るのも二度目か。

 昨日と変わらない席に座る冬美をぼんやり見ながら、なんとなく水島と二ノ宮は今上手くやっているのか考えた。良くも悪くも、あの二人の上下関係が既に決定付けられているのは最早運命と言う他ないさ。

 俺と冬美は黙って、井之村(孫)が飲み終わるのを待った。


「さて」


 一服を終えた井之村(孫)は思慮深げな顔をして、思わせ振りに身体を揺らした。

 平常時に比べて声が幾分か低くなっている。

 目を閉じれば『名探偵』が居るのかも知れないが、俺の目には『迷探偵』しか見えていない。




 ◆ ◆ ◆


「まあ、そういう訳で犯人は被害者の同級生女子ね」


 そういう訳って何一つ説明が為されていないのだが?

 見ろ。冬美に至っては口をポカンと開けっ放しにして絶句しているぞ。


「えっ、だって当たり前じゃない?」


 井之村(孫)は「むしろこっちが驚いてるんですけど」と言いたげな顔をした。

 俺が理解できたのは、井之村(孫)にどこぞの名探偵のような推理ショーをするのは無理だという事だけだ。


「ええっとだ。なんで犯人が『被害者の同級生女子』という結論を出したのかはひとまず置いておいて。先に二つ、疑問を解決させてくれ。

 つまり『何故、死んだはずの女子生徒が死亡推定時刻以降に目撃されたのか?』、『何故、女子生徒が落下死など起こり得りそうにない教室で転落死したのか?』ということだ」


 そもそも本当に実在した事件なのかは知らないが、パッと聞いただけではデタラメな怪談話としか思えない。

 だけど井之村(孫)は退屈そうにしながらも俺の予想を軽く飛び越えてきた。


「まず第一の謎の答えね。とても単純なことだけど、死人は歩き回れないから目撃された女子生徒は『死んだ女子生徒』とは別人に違いないわ」


 ただの見間違い? 随分と面白くない結論だな。


「そうでもない。第二の謎の答えによって、第一の謎の答えは全く別種の性質を持つことになるから・・・・・・」


 井之村(孫)は大仰(おおぎょう)な仕草(しぐさ)で腕を組んだ。

 嬉しそうに口の両端を上げて、笑いを堪(た)えているように見える。

 よっぽど『探偵役』が気に入ったようだ。

 仕方ない。話を先に進めるか。

 俺は相の手を待ち続けているらしい井之村(孫)を炊きつけるように話し掛けた。


「それで、その第二の謎の答えとは何なんだい? 『ホームズ』?」

「・・・・・・目撃された少女こそが、女子生徒殺害の犯人ってこと」

「んん? 一体、どんな過程を経ればそんな結論が出るんだ?」

「なに、初歩的なことだよ。

 件(くだん)の『歩く死体』の目撃者が精神・肉体的に健常(けんじょう)とするならば、その目撃証言に出て来る少女は確かに実在したことになる。

 一方で、その話を聞いたアタシたち自身も精神・肉体的に健常(けんじょう)ならば、当然『歩く死体』なんて話を真に受けるのはバカだ。

 よって『死んだはずの少女』目撃事件はただの見間違いと結論付けるのが賢明だ。

 しかし、だ。

 その『歩く死体』が見間違いだったとしたら、その見間違われた『少女』は『死んだ少女』本人を発見していなければおかしいと思わないか?

 ここからはちょっと飛躍した推測になるけど、恐らく『生きた少女』が『死んだはずの少女』と見間違われたのは、目撃された場所が『死んだはずの少女』の死体発見場所に近かったせいだと思うよ? 目撃した人、本人も最初は気にも止めてなかっただろうけど。翌日に事件の事を知って、思い返せば自分がスゴいモノを目撃したと気付いたんだろうね」


 そこで井之村(孫)は懐かしい日を思い出すように目を閉じ、しばし物思いに耽った。事件の謎解きに陶酔し切っているのだろうか?


「さて、話のスポットライトを『目撃された少女』に移すと共に。『第二の謎』を凡骨男子高校生にも分かるように説明してあげよう」


 少々(鯨の背骨ぐらいの大きさのが)喉元に引っかかる言い方だな。


「・・・・・・思うに、教室の中で転落死するというのは完全に有り得ない話ではない。例えば、椅子や机の上から頭から落ちたりすれば運悪く死ぬ時もあるだろう」

「だけど、もしも椅子か机から落っこちたとしたら事故死って事になるし。死体の直ぐ傍に椅子なり机なり踏み台になるものが転がっていたら、警察が直ぐに気付くはずだろう? 流石に、あの連中もそこまでバカでもない」

「ああ、バカなのはアンタだけで十分だよ」


 頭突き大好き少女はつまらなそうに溜息を付いた。




 ◆ ◆ ◆


「何度も言っているだろう。目撃された少女は生きていたんだ。

 だとしたら、なぜ彼女がその場に居た事に理由を、必然性を求めない?

 放課後、夜も深くなってくる時刻に。死体の転がる直ぐ傍(そば)で、その少女は一体何をやっていたんだい?」


 井之村(孫)の思わせぶりな喋り方に俺は唖然(あぜん)とした。口を開けっ放しとするのに気を取られて、自分で井之村(孫)の話から推理する余裕はなかった。

 井之村(孫)の質問に答えたのは、俺ではなく冬美だった。


「ああ、目撃された娘こは転落の原因となった『踏み台』を片付けていた・・・・・・と言いたいのね。井之村さんは?」


 井之村(孫)は年寄りぶって目を閉じながら首を縦に振った。

 そして付け加えるように言った。


「『踏み台』を片付けた動機は、生徒の転落事故によって文化祭の開催が危ぶまられるのを嫌ったのか。

 もしくは犯罪の証拠隠滅だろうね」

「犯罪? 『事故死』じゃなくて『殺人』なのか?」


 俺は井之村(孫)の顔をジロジロ観察した。正気を保っているかどうかの判別を付けようと思ったのだ。


「『踏み台』にちょっと細工しておけば――――――具体的には、椅子の足を簀子で削り、人が上に立てば倒れるようにしておけば、ひと一人を転落させ――――――あわよくば殺害することも可能だよ」

「その推測が本当なら、犯人は本当に上手くやったものだな。完全犯罪だぞ。もう何十年も前の話なら証拠も残っていないだろうし」

「だからアンタはバカなんだよ。小畑(おばた)紫(むらさき)クン」


 井之村(孫)は俺を哀(あわ)れそうな目で見た。

 身長差があるので物理的に見下すのは無理だったようだ。椅子(いす)の上で背伸びする姿は、身体を大きく見せて敵を威嚇する小動物の風情で。少し、和む。


「この犯人、つまり目撃された『生きた少女』はとんでもない阿呆だよ。

 手の込んだ細工した『踏み台』をどうやって処分した、って言うんだい?

 アタシが思うに、足の折れた椅子を学校のゴミ捨て場に置くにしても、家に背負って持ち帰るにしてもとても目立ってしまうよ。その不自然な椅子を一目見れば、誰だって女子生徒転落事件の真相に思い至る」

「推測に推理を重ねた結論のくせに、随分と自信有りげだな。証拠があるのかよ?」

「もちろん!」


 井之村(孫)は快活に満面の笑みを咲かせた。

 嫌な予感をいち早く察知した俺は、直ぐにその場から逃げ出そうと腰を浮かしたが。

 俺の逃走をさらにいち早く察知した冬美に、首根っこを掴まれる形で阻止された。

 次の井之村(孫)の台詞は俺にでも推理出来る。


「事件に使われた、不審な『踏み台』がこの学校の何処かにあるはずよ!!!!!」


 ・・・・・・と、彼女は断言した。




 ◆ ◆ ◆


 『不審な踏み台』探索ツアー。

 その場に居る者は全員、強制参加。

 一体、どういった特徴があれば具体的に『不審』と見られるのかは一切説明無し。

 多分、上に人が乗れば絶対転落するような状態を指しているんだろう。


「・・・・・・で、心当たりはあるのかよ?」


 何の行動予定も聞かされず取り合えず廊下に出された俺は、最後に部室から出て来た井之村(孫)に訊ねた。俺の知ってる『名探偵』たちは大抵、事件の証拠は自分の足で探していたぞ。安楽椅子探偵なら例外かも知れんが、『探偵役』が同伴するのでは安楽椅子探偵として本末転倒だ。一人で行くか、部室でお留守番するかどちらかにしろよ。


「うるさい。ウチは人のことを物理的に見下す奴の言う事は聞かないことにしてるんだよ!」


 だとしたらお前は世界の大部分の大人の言う事を無視するのか。とんだ不良娘だな。


「第一、もしも本当に物証があるのなら一番最初に発見したいし!」


 『一番最初』って意味が重複して・・・・・・まあ、そこは置いてくとして。


「だったら心当たりの一つはあるんだろうな? バカみたいに学校中の椅子やら机やらを調べ回るなんて無理だし、嫌だぞ」

「ウチの推理では警察すら見落とすような予想外の場所にあるはず」

「まずお前はは図書室に行って『心当たり』の意味を辞書で調べて来た方が良いな」

「下らないこと言ってないで、アンタも推理してよ! 一つぐらい心当たりあるでしょ! 殺人に使った凶器を、誰にも発見されないよう隠せる都合の良い場所を! この学校の何処かに!」

「いきなりそんなこと言われても心当たりなんぞ・・・・・・あっ、あぁ――――――」


 そういや一つだけ心当たりがあったな。

 ガシッ!


「両肩に指を食い込ませるのを止めて下さい、冬美サン。

 頭突きの助走準備するのも止めて下さい、井之村(孫)サン」

「「さあ白状しなさい! さあ! さあ!! さあ!!!」」

「やかましい。お前らは歌舞伎役者か、卓球選手か」


 こっちにも都合ってものがだなあ・・・・・・とハッキリ言うわけにもいかず、延々と不毛な押し問答という名の、ただ一方的にサンドバッグ扱いされた俺は。結局、ボソボソと心当たりを説明するハメになった。


「・・・・・・ええと、あれだ。ほら、学校の屋上だよ」

「「屋上? いや、でもあそこずっと鍵が掛けっぱなしでしょ。生徒が好き勝手に開け閉め出来ないって」」

「うーん、実はだなぁ。はい、これが『屋上の鍵』で――――――」


 ボグッ!

 冬美のジャブが俺のボディーへもろに入った。

 井之村(孫)はゴミを見るような目を俺に向けた。


「い、いきなり何すんだ・・・・・・。あとその目は止めて、マジで凹むから」

「あのさー、小畑クーン。いくらなんでも入学して一ヶ月も経ってない内に『屋上の鍵』を盗むのはおイタが過ぎるでしょう?」

「違う、違うんだって。いや、ある意味違わないんだけど。――――――この鍵、生徒会長から貰ったんだって」

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