第6話

 5


「あああああいいいいいいいいううううううううええええええええええおおおおおおおおおお」


 俺は意味不明に『あ行』を喚き散らしながら走り出していた。

 全力疾走(ぜんそくしっそう)。

心頭滅却(しんとうめっきゃく)。

 井之村家の軒下に保管されていたマイ自転車も置き去りに、俺はひたすら無我の境地に至ろうと足を動かす。「悟り」を開くまで、どのくらい走り続ければいいのやら。

 『例の高架橋下』も走り抜け、民家の見当たらない道をひたすら前進し、昨日冬美と別れた場所にまで足を酷使した所で俺の体力は底をついた。

 だめだ、足の裏が道路と接着し始めてんじゃないのか。動けねえ。


 シャーーーーー


 足を棒にする俺を嘲笑うかのように、隣を自転車が快速で通過して行った。

 なんで自転車置いてきてしまったんだろう・・・・・・。

 一心不乱に身体を動かして嫌な思いを打ち消すつもりが、逆にマイナス要素『後悔』を追加された。


 キイィィ


「ん?」


 俺は両足の間に見えるアスファルト地面と睨めっこしながら、自転車タイヤの摩擦音を聞いた。今横を通り過ぎて行った自転車が急ブレーキかけたのだ。

 危険運転だな。

 反射的に顔を向ける。

 と、どこかで良く見た顔が『悪い笑顔』を浮かべていやがった。

 しかも俺の自転車に乗ったまま。


「へい、乗ってくかい! ・・・・・・な訳ねえだろバァカ!!」


 瞬時に手のひら返しをしやがった小型女子高生、正式名称『井之村(孫)』はそのまま颯爽と疾走して行った。

 そういや、自転車の鍵掛け放しにしていたな・・・・・・記憶がなんか曖昧だけども。

「って、おい。待てよ」 

 俺が叫ぶ頃には既に小型少女は点みたく遠ざかっていた。

 よく分からんが、すごいパワフル。体力の使い所を間違っているとしか思えないけども。


 全身から力を抜けさせ、生(い)ける屍(しかばね)よろしくふらついた足取りで高校に向かう。

 身体的な疲労は己の体力が貧弱なせいだが、精神的なものについては大体どこぞの小型女子のせいだ。 ゼエ、ゼエと乱したくもないのに呼吸が荒っぽくなる。最初に飛ばし過ぎたな。

 そういや、井之村(孫)は土曜の学校に何の用があるんだろう。


「ちょっと待った!」


 はい?

 後ろからそんな声が聞こえたので、俺は気まぐれな考え事を一時中断させて振り返った。


「いっ」


 肩を竦め、鳥肌が立つ。

 なんで?

 犬のせいだ。

 それも・・・・・・地獄の番犬みたいな巨大な奴。

 その大きな顔が俺の顔面めがけて飛び込んで来たのだ。


「うあああああぁぁぁ」


 今、一瞬目が合った。獲物発見した猟犬の目だ。

 ・・・・・・地獄のドッグレース開幕である。

 事件とは常に唐突・・・・・・だとしたら死にたくなってくるぜ。なあ。




 ◆ ◆ ◆


 弱(よわ)り目(め)に祟(たた)り目、踏(ふ)んだり蹴(け)ったり、オーバーキル・・・・・・朝からこのレパートリーはごく一部の趣味を持つ人間にしか喜ばれないぞ。

 運命の神を呪いつつも、俺は休息を要求する足をコキ使い続ける。背に腹は変えられない。

 自転車は奪われるぐらいならまだしも、『謎の大型犬』に追いかけられているこの現状は笑えない。さっき「ちょっと待て!」と叫んでいた飼い主(と思われる男)はどこ行ったんだ。早く俺を助けろ。

 チラリと背後の駄犬を振り返ると、この世のものとは思えないほど凶暴性に溢れる声をお出しなさった。

 軽く死を覚悟できる。

 もしかして、「朝食前のランニングです。なお朝食は現地調達でして」とか笑えないジョークを飛ばしてくるんじゃないだろうな。頼むから、これ以上の刺激を俺に与えないでくれ。人生に必要な衝撃は、期末の成績表だけで十分だ。

 俺の願いとは裏腹に、追い掛けてくる犬公は止まる気配を見せない。

 俺の移動速度など、犬である奴にとってはノロマそのものだろうに、なんでか追いつき噛みついて来ることはない。これは、あれか。嬲り殺しというやつか。

 完全に追い付かれることはないが、俺がわざと走るペースを落とすと加減なしで牙を立ててくるのが性質たち悪い。ドネル=ケバフになった気分を味あわされる。

 横断歩道に立つ歩行者信号が俺の到着する前に赤く点灯する。

 絶望だ。

 育ち過ぎた駄犬が待ちかねたように俺の『生肉付き骨』を味わおうとしてくる。甘噛みのつもりかも知れないが十分痛いんだよ。それと、ヨダレが学生服について気分悪い。

 歩行者用信号機が前進を許可してくれるまで、仕方なく俺は両手で犬公を制止させようとする。案の定、言うこと聞くはずもなく、元気一杯に襲いかかってくる。

 パッと青色に変わる。

 俺は一目散に駆け出した。立ち止まって少しは呼吸を整えられたおかげか、若干ながら犬公との距離を開くことに成功する。もう後ろを振り返るのは止めにする。

 獣の吠え声が遠ざかっていく。あっちも追い掛けるのに飽きてきたんだろう。そうでもないと逃げ切れるはずないし。所詮は畜生といったところか。

 犬の鳴き声等が完全に背後から消えたのを見計らって立ち止まる。


「ついに・・・・・・やった! やってやった!」


 しょうもないことなのに、一塩の達成感がある。


 朝から良い運動した・・・・・・と思っておこう。

 俺は高校への道を急いだ。

 が。

 気だけ疾って、足の方は鉛が詰め込まれたように重い。

 ・・・・・・朝から無理し過ぎたな。これは。

 目的地(高校)まで、もう少しだ。




 ◆ ◆ ◆


 犬ってのは思ったより賢いのかも知れない。

 そう思ったのは他でもない。

 『この犬』のせいだ。

 今まさに俺の目と鼻の先に飛び掛かって来ている『例の犬』のせいだ。


 必死に突如出現した巨大犬の追走を振り払い、心身共にボロボロとなって登校を果たした・・・・・・と思ったら。

 さっきまで俺の後ろを駆けていた犬が校門の前で大人しくお座りしていやがった。

 なんだその顔は。ラスボスのつもりか。

 その犬公は、俺の怪訝な顔を見るや盛りついたみたくホップ・ステップ・ジャンプ。


 ――――――そして現在に至る。


「近い、近い、近い」


 ヌメったい感触は不愉快だが、犬公の犬歯を両手で掴んで最後の一線を超えないよう踏ん張る。

 やばい、三途の川が見えて――――――




 ◆ ◆ ◆


「ぉーぃ!」


 ・・・・・・ん? 誰か呼んだか?

 最近多い空耳か?


「おーい、昨日ぶり! 頼まれてた原稿あるけど、そっち行けばいい?」


 空耳じゃない。幻聴でもない。

 ギリギリと犬の牙を掴む両腕筋肉を酷使しながらも、目の向きを変え声の主を見ようとする。


 ――――――居た。


 我が校の魔境、新聞部(予定)とオカルト研究部の部室前廊下に備え付けられた窓枠から身を乗り出している。


「冬美さん。見てないで、助けに来てくれ。俺、なんか喰われそうなんですけど」

「そこまで行くの面倒(めんど)い!!」


 せめて納得できる言い訳考えてくれ。というか、自分で口にしていた「原稿を俺の所まで持ってくる」という選択肢はどうした?

 後生だから、その面倒を踏み倒してくれ。このままじゃ、この駄犬の朝飯になっちまう。

 ところで、この犬。見れば首輪付けてるじゃないか。やっぱり飼い犬だ。飼い主は一体どんな教育してんだ。顔を見てみたい。そして俺を助けてくれ。


「頑張れ!」


 体育会系三つ編み少女はそれだけ言って奥の方へ引っ込んでしまった。鬼だ。

 で、見捨てられた俺は仕方がない。地面に背を付けた姿勢のまま、足をシャカシャカ動かして少しずつ生徒玄関扉まで移動しようと頑張る。制服がドロドロ、ボロボロになっていくのが感触で分かる。あとで母親になんと言われることやら。その前に水島にどう笑われるのかも頭痛の種だ。『頭痛お花畑』が満開だな、おい。  

 惨めな格好と動きで、厭味みたいに真ん丸の太陽を掲げる晴天を眺めながら、這いずり校門を通過する。

 その辺りで、俺の上でガウガウ喚いていた駄犬がバッと飛び退いた。

 もしかして学校の敷地内には入らないのか?

 理由は知らんが、どうやら命(と制服総買い替え)の危機を脱したらしい。

 直前まで殺意剥き出しだった大型犬はすごすごと、俺に背を向け元来た道を引き返して行く。

 どうやら学校の敷地には入らないよう教育されているらしい。

 ・・・・・・ふむ。

 校門を通れないんだな?

 ・・・・・・つーことは、今まで散々噛み付かれた恨みを晴らすのは今を置いて他に無い訳か。




 ◆ ◆ ◆


 俺は犬公への報復を決意し、即座に行動へ移った。


「おい、この犬公。さっきはよくもやってくれたな。ほら、かかってこいよ。俺は逃げも隠れもしないぜ。それとも御主人様からのお仕置きが怖いのか?」


 全力で小馬鹿にした動きも添えて犬を煽る。

 何を言おうが犬に人の言葉による罵倒は伝わらないだろうし、飼い主から高校の敷地内へ侵入しないよう教育されているらしいから危険はない。

 ・・・・・・そのハズだった。


 立ち去ろうとしていた犬がピタリと立ち止まった。

 そして振り向く。

 そんでもって・・・・・・笑った。

 両眉を上げ、口の形を弧にする。

 あれだ。日頃馬鹿にされていた奴隷が、今まさに主人へ復讐を敢行しようとしている時の顔だ。実際に見たことはないが、絶対にこんな顔するのだろう。

 ようは、恐ろしく凶悪な笑顔ってことだ。

 ルール違反を楽しむ悪ガキが作るような、そんな小憎らしい顔だ。


「やばい」 


 俺は地雷を踏んでしまったのだと自覚し、すぐさま方向転換して校舎の中まで走り出した。

 だが、俺より犬公の方が万倍身軽で素早い。

 開いていた俺との距離など丁度いい助走幅ぐらいにしか認識していないようで、驚異的な大ジャンプを披露しつつ俺の後頭部に飛び掛る。


「やめろ・・・・・・髪だけはやめてくれ。うぎゃあああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」


 俺は再び、謎の犬公に襲われた。


「ちょっと、なにやってんの!? 君!」


 やっとマトモな反応を聞けた気がする。


 「め、女神ですか? それとも戦乙女ですか?」 


 思わず、そう尋ねそうになった。

 誰だ、と思って声のする方に目を向けると。

 ・・・・・・第二の絶望が。


「「・・・・・・」」


 おお聞き覚えのある声だと思えば、昨日の一、二限目にあった数学授業を担当していた新米女教師が玄関扉の近くに立って居らっしゃるじゃないか。

 あれだ。後ろの席のバカと一緒になって泣かせかけてしまった御方だ。

 あのー、先生? そのゴミ虫見下すような目はなんですか? あからさまに助けるの嫌そうな顔されても・・・・・・待って、生徒玄関に鍵かけないで。

 新米女教師はSの境地に目覚めたみたいな笑顔を魅せる。

 ちょっと勘弁してくれよ。

 俺は必死こいて走る。

 背後霊の如く付き纏う犬を引き摺りながら、希望に満ちた楽園がっこうないへ向けて――――――。

 カチャリ!

 無情な金属音。

 そして――――――


 ガブリッ! 


 あっ――――――・・・。




 ◆ ◆ ◆


「なにやってんだ? 紫(むらさき)」


 謎の大型犬にビーフジャーキー扱いされている俺を誰かが見下ろしていた。

 つーか、聞き覚えのある奴の声だ。

 奴というか、ストー・・・・・・


「断じてストーカーではない! 愛の求道者(きゅうどうしゃ)と呼べ!」

「どうでもいいから、早く助けてくれ・・・・・・」


 かなり屈辱的だが、こいつに頼むしかない。

 ・・・・・・けれども俺の精神的苦痛は無駄になってしまった。

 盛りついたように俺の頭をしゃぶついていた駄犬は急に口をモグモグするのを止めた。


「「あ?」」


 と驚く野郎二人を蚊帳の外に置き、その犬はサッサと元来た道を帰って行く。

 今度こそ、本当に。

 同じ轍は踏まないよう、一言も捨て台詞は言わないでおいた。

 黙って犬公の凱旋を見送るしかない。

 ちくしょう・・・・・・納得いかねえ。

 味を失い吐き捨てられたガムのように、俺は地べたにへばりついていた。


「――――――んで、お前は何をしに来たんだ。二ノ宮? 今日、土曜日だぞ」

「犬にしゃぶりつかれていた変人にそんな怪訝な顔されたくねえなー」

「誰が好きで犬に頭噛まれる奴がいるんだよ。どう見たって襲われてただけだろ」

「そうなのか? てっきり新たな嗜好に目覚めたのかと・・・・・・」

「お前と一緒にするな。つーか、お前。まさか、休日だってのに水島を追っかけて来たんじゃないだろうな?」

「愛の求道者に休日はないんだよ」


 なんて悪質なストーカーだ・・・。

 しかし相手が悪いだろう。あの水島に付き纏(まと)うなんて、きっと命の保証はないぞ?


「まだ話し掛けたこともないから大丈夫だ」

「一つとして大丈夫な要素が見当たらねえーよ」


 なんでこんな朝からダウナーな気分にならなくちゃいけないんだ。今日は厄日か?


「あのさあ、二ノ宮。お前、ツラはスポーツマンらしい爽やか青少年なんだから、正攻法でアプローチした方が手っ取り早いんじゃね?」

「ふっ・・・・・・俺は恋愛も過程を重視するタイプなんだよ!」

「じゃあ、もう手遅れだな」

「どういう意味だ?」

「最後まで言わせるなよ。俺だって、変態とは言え後ろ席の級友クラスメートをむやみに傷つけたくはない」

「すでに十分ダメージ入ってるって・・・・・・」


「それ、なんの話?」

「「えっ??」」


 ――――――いつの間にか、俺たちの背後に水島鈴音が立って居た。

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