第5話

 4


 俺はロリコンじゃない。

 こんな下らない、それでいて重要なことを説明するのに十分も時間が掛かった。

 クソジジイめ・・・。


「おお、そりゃあ大変だったな。家に上がってくれ。おう、響香はそのままバックに入れておいてイイから」


 それでイイのか? 孫の扱いは。

 とか思いながらも、俺はジイさんの言った通りに彼女をカバン詰めにしたまま家屋に上がり込ませてもらった。

 趣ある・・・というよりは古びた、と表現した方が似つかわしいかも知れない。でも、こういう生活感の溢れる家は見ていて気分悪くなることもない。なんというか、この少女と老人の性格が随所に感じられる。


「お邪魔します」


 とりあえず棚の上に飾ってあるものは何ですかね?

 珊瑚礁(?)に、空の水槽、熊の掘りもの、その他諸々。どういうことなんだ。このレパートリーは。


「ああ、それは旅行の土産」


 どこに旅行して来んだろうか。

 いちいち疑問に思っていては前に進めない。俺はバック入り少女を肩に掛けたまま彼女の自宅に上がり込んだ。

 えーと、それで彼女はどこに置けば良いんですかい?

 ヒョイと少女の(たぶん)祖父は階段を指差した。

 見れば分かるが二階に繋(つな)がっている。

 で、その指差しはどういう意味なんですかね?

 グッと老人は親指を立てる合図をすると、終始無言のまま奥の部屋に消えていった。

 ・・・・・・おい、クソジジイ。どういう意味だよ。その「グッドラック!」的なサインは。

 あの老人は、どうやら俺が痴漢でも誘拐犯でもロリコンでもないことを理解した代わりに、俺のことを『別の身分』としてインプットしてしまったらしい。このバック入り娘がその事を聞いたら俺にどんな仕打ちをするか、想像するだけ顔の中央が痛くなってくる。完全無欠のトラウマだ。

 だけど、また十分間も説明するのは御免(ごめん)被(こうむ)りたい。こうなったらソッとこの少女を彼女の自室に寝かしつけて早々に退散させてもらうとしよう。

 俺は悪運が強いのか、さっき見た高架橋が今朝から気になっていた事件の現場だと知ることができた。おかげでニュース記事から現在地の住所も分かり、これで携帯電話の地図機能を使えば俺の自宅まで問題無く帰れるようになった。だから帰り道について心配する必要はもう無い。

 ギィ、と階段の床板が軋む音に若干ビクつきながら階段を上がる。とても心臓に悪い。

 ところで、どの部屋に運べば良いんだろう?

 と思ったら二階へ上がりきった瞬間、『響香の部屋』なる札が掛けられているドアが目に入った。

 やたらめったらファンシーな造りで、「これがウチの趣味だ!文句あっか!」的な決意すら感じられてくる。普通、ここまでやるか?

 ・・・そうして俺は彼女の部屋の前に立った訳だが。

 入る前に一つ決め事をしておこう。

 いくら子供じみた容姿をしていたって、レディと言えばレディなんだろうからな。余計な物は一切見ないようにしよう。・・・どうか部屋を片付けているタイプの女子であってくれ。本当に頼むから。

 俺は泣きそうな顔になりながら、彼女の部屋の扉をゆっくりと開ける。半目を閉じつつ・・・・・・。

 ガンと硬い音が。


「うっ・・・・・・」


 視界不良のせいで足の親指を部屋(へや)堺(ざかい)の段差にぶつけた。

 涙が出てくる。比喩なしで、実際に泣く羽目になるとは思ってなかったよ。




 ◆ ◆ ◆


 生まれて初めて女子の自室にお邪魔した、その瞬間。

 俺は蹴(け)躓(つまず)いた。

 なにかの啓示(けいじ)だろうか?

 小さな溜息を吐きながら、慎重に部屋の中へ本格的に足を踏み入れる。不幸中の幸いか、件の少女は自室を掃除できる女子であるらしい。良かった。

 もしも「女物の下着を誤って踏んづけた・・・」なんて事が起きてたりしてたら、俺は具体的な首吊り方法について考えていただろうね。ま、今回はそこまでの精神的ダメージを受けることはなさそうだ。あとは粛々(しゅくしゅく)と彼女をベットの上に寝かせ、さっさと俺には秘境同然である『女子の部屋』から脱出するだけ。

 ・・・カバンからの取り出し作業。

 これも緊張の一時だ。

 心を落ち着かせてからカバンを床に置く。元から閉じていなかったから、俺がやることは絶賛(ぜっさん)睡眠中の彼女を抱え上げ、ベットの上に下ろすだけ。そう、ゲームセンターのUFOキャッチャーみたく機械的な作業。やましい感情なんて湧(わ)くハズがない。

 でもその途中で彼女が起きたら絶対タダじゃ済まないんだよなー。頼むからもう少し眠っていてくれよ。

 俺はニトログリセリンの原液を取り扱う心持ちで神経を研ぎ澄ませる。

 トサリ

 ベットに置かれる時の音も軽かった。


「・・・・・・ふう」


 無事、成功。

 扱いに、こんな神経使う奴は初めてだ・・・。

 ようやくこの部屋から離れられる。

 三分も経ってないのに、やけに疲れた。

 スヤスヤと寝息を立てる彼女を後にする。寝顔の覗き見なんて無粋(ぶすい)な真似(まね)はしない。

 トッ、と俺のつま先が床から離れるか否か。

 そのタイミングで。


「・・・・・・」


 キュッ


 彼女の小さな手が俺の袖口を掴んだ。

 ・・・目が覚ましたのではない。単に寝言、無意識の行動の延長だったんだろう。

 一言だけ消え入りそうな声で聞こえた。


「・・・・・・ゴメンね」


 ・・・何がだよ。

 夢の中ではナーバスな性格、であるのかも知れない。そう思わせる寝言だった。

 彼女の手から力が抜けていく。

 ベットからだらりと脱力しきった腕が垂れ下がる。

 なんか血の巡りが悪くしそうだな。一応、彼女の腕をベットに上に改めて載せておく。

 もう、いいだろう。

 今度こそ出て行く。そう思い扉の方へ向き直す。


「ああ・・・」


 扉の脇に置かれた本棚が目に入った。

 いくら俺が間抜けでも、一つぐらい分かる事があった。

 本棚の中身、集められた本のレパートリーを見れば誰でも気が付くことだと思う。

 『金田一少年の事件簿』、『名探偵コナン』、『Q.E.D証明終了』。どれもポピュラーな推理漫画。

 ここまでは分かるんだが、『脳噛ネウロ』あたりから「ん?」と思った。『推理』ではないだろう。『娯楽』というジャンルでは似ているかも知れんが。

 しかし『MMRマガジンミステリー調査班』はミステリーではなかったと思う。SFミステリーと言われるならまだ分かる。人の好みに口出しするつもりはないけども。

 だが、この漫画本たちを見てみると。

 あの高架橋下で自信ありげに推理してみた彼女の様子は、今にして思えば少し楽しそうだった気もする。

 ようするに、井之村響香は『名探偵』に憧れているんじゃないだろうか・・・と、俺は思った。




 ◆ ◆ ◆


 彼女の部屋から静かに出て行く。

 そういえば、珍しくトラウマになりそうなことはなかったな。

 そこに至る過程はどれも心の傷になりそうだけど。自業自得だから甘んじて受けるとしよう。


「あーあー」


 俺は階段を見ながら眉をしかめる。

 井之村(祖父)氏がニヤニヤして、コッチを見上げていやがるからだ。


「一応、言っておきますけど。そういう関係じゃないですからね」

「そういう関係ってどういう関係だい?」


 狸ジジイめ。

 からかうような笑みにイラッとくる。


「だいたいバックの中に孫入れた男見ても不審に思わんのですか」


 俺が不思議に思いそう聞くと、ご老体は逆に不思議そうな顔をして。


「ん? だって昔からそうだからなー。しょっちゅう気失って、友達にカバンへ入れられて帰ってくるよ」


 そんな事が常習的にあるのか? ますます彼女が心配になってくる。まあ、心配したからといって、俺に出来ることなど――――――


「あの一件以来、人死に対して拒否反応するようになってな」


 間髪入れない老人の言葉は致命的なまでに、易々と俺の頭へと侵入してくる。


「あの一件?」


 スルーすれば良かったのだろうが、新聞部(仮)に一ヶ月ばかり居たせいで悪い癖が染み付いてしまったようだ。

 老人は「知らないならいいんだ」とだけ言った。

 気になる。

 非常に興味が出た。

 かなり不躾(ぶしつけ)な老人が初めて孫への配慮を見せたようだったからな。その理由に好奇心が向くのも当然だ。

 ――――――だからと言って、何をすることもないんだがな。

 それじゃあ用事は全部済んだし帰らせてもらおうか。

 帰宅コースを頭に思い浮かべ始める俺。

 自分の世界に入りつつあった俺を、かの老人の一言が現実に引き戻した。


「何言ってるんだ。ここら辺は最近、熊やら狐が出るんで、夜の一人歩きは危ねえぞ。今日は大人(おとな)しく泊まってけ」


 俺の繊細(せんさい)なガラスのハートを粉(こな)微塵(みじん)にまで叩き割るようなことを平然と言いやがる。

 いくら俺が多少の変人気質を持っていたとしても初対面の女子のお宅にひと晩厄介になるなんてありえない。

 俺は丁重にお断り申し上げてから、入って来た時と同じ戸に向かった。


「今日はトンカツなんだぞ!」


 なんでそんな必死に引き止めようとするんだよ。

 「結構です」俺は顔を向けずに言い放ち、逃げるように戸を開けた。

 ガラリと小気味いい音がした。

 で。

 外に出た瞬間、大量の光り輝く瞳たち・・・が血走り、殺意剥き出しに俺を見つめていた。狐、狸、猫、それと・・・・・・あれはトトロの『幻影』だよな?


 バタン


 高速で戸を閉める。緊急回避。

 なんだこの危険地帯は・・・。

 ・・・・・・・・・・・・。


「俺、実はトンカツ大好物なんですよ」


 老人のガッツポーズにやたらと腹が立った。




 ◆ ◆ ◆


 この老人が親切にしてくれるのは本当にありがたいが、ここまでされると裏があるのではないかと勘ぐってしまう。あと、トンカツが滅茶苦茶(めちゃくちゃ)うまい。


「ほい、食後のお茶」


 このジイさん随分と家事スキルが高い。


「あの子の両親は共働きで忙しくな。今では俺が家事の殆どをやってるよ」


 そうなると、お祖母さんは亡くなったということか。


「俺の嫁さんはまだ現役のキャリアウーマンだよ。俺は専業主夫だからよ」


 OL姿のシワクチャ婆さんを想像して、トンカツを吐き戻しそうになった。俺の豊かな想像力が恨めしい。なんでこっちに向かって、片足立ちのままウィンクしてくるんだよ。それとスカート丈が短過ぎるだろ。


「嫁さんが、家事の方はからっきしでな。しょうがねえから、俺が家事・育児に専念したわけよ」


 ということは、井之村(孫)は祖父のエキセントリックな性格と祖母の残念家事スキルを継承(けいしょう)したのだろうか。


「何言ってんだ。あの子、最近部屋を掃除することを覚えたぞ」


 やっぱりじゃないか。


「それにしても狐や熊が本当に出るとわビックリしましたよ」

「おお、そうか。ここら辺じゃウジャウジャいるけどよ」


 愉快な森の仲間たち(実写版)。

 彼らには二次元のファンシー世界に留まっていて欲しかったな。


「でも、本当に良いんですか?泊まらせてもらって」

「おう、俺は別にいいよ。響香の友達に会うのも久し振りだから、ゆっくり話も聞きたいし」


 うーん、残念なお知らせになるだろうが、俺は貴方のお孫さんについては全くと言っていいほど何も知らないんですがね。


「最初は皆、そんなもんだろ。友達ってのは」


 そりゃあ、そうなんだけども。


「――――――何かあるんですか? 響香サンのことについて」


 老人が指先を震わせた。

 その様子はまさしく図星を突かれた男のものだった。


「なんにもないよ」


 嘘だ。

 だけど、アンドロイドみたく無感情に言われては、何も言い返せない。

 俺は押し黙るだけだった。どうやら地雷を踏んでしまったらしい。


「そろそろ風呂が――――――」

「今日は汗かかなかったので大丈夫です」


 これが俺の最後の意地だ。何事にも限度がある。

 本当は汗を大量にかいた一日だったが、言わなきゃ分かるまい。多分、これほど冷や汗かいた日(ひ)は他にないな。


「そうだ、君が寝る部屋は空き部屋にするつもりだけど、それで良いかい?」


 万事オーケーですよ。余計な手間かけさせてすいません。ありがとうございます。


「っと、その前に。悪いけど響香の奴を起こして来てくれないか?もう、ご飯時だからそろそろ起こしても大丈夫だと思うんだが」


 ・・・一転しての、その老人の良い顔は俺に嫌な予感しか与えてこない。

 そうは思いつつも、俺は再び二階に向かう。家主の頼みは断れない。

 後ろから小声で。


「押しが肝心だよ。婿殿」と言われた気がしたのは。


 これはいくらなんでも気のせいだろう。・・・・・・だよな?




 ◆ ◆ ◆


 コンコンと、リズミカルにドアを叩く。


「・・・・・・」


 やはり返事はないか。

 仕方ない。

 ・・・戻るか。大して話したこともない男子に無理矢理叩き起こされては、彼女が可哀想だ。

 ジイさんに頼むとしよう。

 俺は大人しく踵(きびす)を返そうとすると。

 バサッ

 扉越しに布(ぬの)擦(ず)れの音が聞こえた。布団を蹴り飛ばした感じの音だ。

 起きたみたいだ。

 ここでかち合うのはマズい。さっさと一階に下りよう。

 この時――――――

 俺はうっかり、すっかり忘れていた。

 井之村(孫)の機動力を。

 部屋からバタバタと大きな物音がする。

 井之村(孫)が飛んだり跳ねたりしてるらしいのだが、俺はそう分かっていながらポカンとしていて、身構えることもなかった。

 そしたら、とてもファンシーに飾り付けられた扉が内側から開かれて。

 それが唖然とするほどの勢いで迫って来ると。

 結論、その木製の板は俺の背中と腰に強打した。


「あっ、ちょっ―――」


 その衝撃で俺は階段に転げ落ちつつあるわけで。

 今も未来も怒濤(どとう)の激痛が襲ってくる今日この頃。

 必死に両手両足を階段の床、壁に引(ひ)っ掻(か)けようとしたけど。


 どうもその後の記憶が曖昧(あいまい)な辺(あた)り、俺は最後の足(あ)掻(が)きに失敗したようだ。




 ◆ ◆ ◆


 起きてみた時、直前の記憶がないというのは恐ろしいもんだな。今なら実感できる。

 気絶(きぜつ)癖(くせ)があるとは、井之村(孫)も不憫(ふびん)だ。

 ま、今の俺に人のことは言えないか。


「・・・・・・」


 気が付いて、目を開けようとすれば『何か』が俺の目の前に迫っている。

 多少驚かされたが今日一日で色々経験値が増えているので、平静を装(よそお)い目を閉じ直(なお)した。

 それも、これも心当たりがあったおかげだ。

 ツンと冷たい指先、というか尖(とが)った爪先が俺の頬に刺し込まれた。

 怪我人に対する思いやりはないのか、井之村響香サン。

 目を瞑(つむ)っていても気配を感じる。脳内シルエットはパキケファロサウルスを参照したような頭突き娘だ。

 中々立ち去らない気配に怯え、目を固く閉じている内に。


 ――――――俺はそのまま寝落ちしてしまった。




 ◆ ◆ ◆


 夢を見た。

 それも普段では絶対見ないようなタイプのやつを。

 俺の深層心理が夢の内容に反映された・・・・・・としたら一体俺の心の奥底がどんな人外(じんがい)魔境(まきょう)になっているのか想像するのもいやになってくる。

 やたらファンシーな見た目をした二足歩行をする狸、狐、マングースがキャンプファイヤーの回りを延々グルグルと踊り続ける夢、を見るやつの精神が真っ当だとは到底(とうてい)思えない。

 微妙(びみょう)に狸、狐、マングースのイメージ元が分かるのが無駄にリアリティある。要(い)らないんだよ、睡眠中の戯言(ざれごと)に現実味なんてのは蛇足(だそく)もいいとこだ。

 キャンプファイヤーと愉快な動物たち以外の風景が全て黒(くろ)塗(ぬ)りになっていたのも気になる。おかげで不気味な童話の世界に入り込んだ、的な気分を味わった。ホラー過ぎる。


 目が覚めた頃には寝汗(ねあせ)がひどいことになっていた。最悪の目覚め、だ。


「ぁぁ」


 瞼(まぶた)を上げると、井之村響香のクリクリした両目がこちらを覗き込んでいる。俺は声を裏返させた悲鳴を上げた。

 もしかして一晩中そうして居たのか?

 心底驚き、訊(たず)ねようとし。

 一度、瞬(まばた)きをする。


「あれ?」


 目を開き直したあとには、井之村響香の姿は綺麗(きれい)さっぱり消失していた。

 幻覚(げんかく)か・・・?

 それとも幻影(げんえい)・・・?

 うげっ。

 どっちにしても赤面ものだ。

 女子の幻を見るなんて・・・・・・どんな精神状況なんだよ。

 俺、本当にどうかしてしまったのか?

 うぅ、まじで恥ずかしい。

 ん、そう言えば。もう朝か。完全に失念していたが、たしか冬美が怪談特集の草稿を持って来てくれるのは昨日の明日つまり今日だったような。やばい、さっさと学校に行かねえと。 

 いつの間にか入っていた布団から這い出る。身体を動かすと少し頭が痛んだ。昨日、階段からあのまま落ちていたのだろうか?

 身体のどこにも打撲(だぼく)痕(あと)は見当たらないから、多分大丈夫だったんだろうけど。それなら、どうして気を失ったのか理由が分からないな。

 そんないくつもの疑問を捨て置いて、俺は布団の近くに転がっていた通学カバンを拾い上げ、寝ていたその部屋から飛び出すことにした。




 ◆ ◆ ◆


 ガン、と大きな音がした。

 衝撃的な出会いその二。


「痛(つ)ーッ!?」


 身体を『く』の字に曲げ、額に手を当てる小型少女が目下に居た。

 やっちまった。

 最悪なことに某少女はコップに牛乳を入れて運んで居たらしく、現在ヒジョーにまずいことになってしまっている。

 牛乳をぶちまけ、少女自身もびしょ濡れに浴びて。

 ハチミツたっぷり載(の)せたホットケーキは床の上に頓死(とんし)。


「だ、大丈夫・・・・・・?」


 俺のガラス製ハートは恐怖で崩壊寸前。

 緊張でろれつが回らない。


「そっちはどうなの?」


 白い液体(卑猥(ひわい)な意味ではない)を頭から被(かぶ)った少女はオウム返しみたく聞いてきた。


「お、俺は別になんともないけども・・・・・・」

「そう・・・・・・」


 そして少女はとても嬉しそうに笑顔で。


「それじゃあ、今から私がやられた分だけやり返しても問題ないよねぇ!!!」


 俺をボコボコにした未来、を思い浮かべての満面の笑み。

 最早、『問題』でない部分を探す方が難しい。


「話せば分か――――――」

「問答無用!」


 お前はどこの軍隊の青年将校だ。

 あっ、ちょっと・・・・・・。

 この女、どういう訳か尋常(じんじょう)じゃない馬鹿(ばか)力(ぢから)だ。俺は為す術なくマウントポジションを取られ。


「おい、絵柄的にマズイ状況になってるって」

「あぁ?! ウチのホットケーキが不味くて喰えないというのかぁ!」

「マズイって、そういう意味じゃねえよ。『絵柄的』にって言ってんだろ」


 そもそも俺はコイツ手製のホットケーキなんて食ったことはない。


「それじゃあ刮目(かつもく)するんだ! はい、アーン!」

 結論、そう言いながら井之村(孫)は廊下に落とされたばかりのホットケーキを掴むと、力尽くで俺の口内に押し込んでくる。

 思わず目を剥いた。有言実行少女ここにアリ。無理矢理、刮目させられた。

 「食事の介助」、つーか「異物で窒息させに掛かって来ている」としか思えない。


「どうだ! うまいか!」


 (シチュエーション的に)とんでもないことを嬉しそうに聞いてくる。なんて猟奇的な笑顔をするんだ。


「熱い!」


 俺は口の中に侵入してきた「ホットケーキであったもの」をもぐもぐ顎を動かし処理に努めながら言った。なにが「熱い」ってホットケーキ本体もそうだが、何よりその上に掛けられた大量のハチミツに熱が帯びていて大変な破壊力を発揮してくる。もう口の中どころか、鼻とか目にまで魔の手を伸ばしてきている。新手の拷問かよ。

 俺が必死に強制摂食介護の中止を嘆願(たんがん)するのを見て、彼女は現時点で十分高過ぎる「妙なテンション」を更に上げていく。加速が止まらない。

 人間にとって大切なものを振り切りそうな勢い。


「熱い!? 大丈夫、冷たい飲み物もあるから!」

「はい? さっきコップに入った牛乳落としてただろ。他の飲み物をどこに隠し持ってんだよ。お前は」

「なにを勘違いしているの? 『覆水盆に返らず』という言葉を知らないの? 名言だよ、今のアンタにとってはね!」


 全く何を言っているのか見当も付かない。

 呆ける俺の髪の毛を、凶暴少女は引っ掴んだ。

 そしてグイッと顔の向きを返させる。


 牛乳で汚れた床・・・・・・床に溢(あふ)れた牛乳とご対面(たいめん)。

 おい、まさか。嘘だろ・・・・・・。嘘だと言ってくれ。井之村(孫)。


「ウチは『犬』が好きだ! なんと言ってもコップが無くても飲み物が飲めるところが最高にイカしてる! ワイルドって奴だよ!」


 それ、全然褒め言葉になってない。 

 第一、それは犬に限ったことじゃねえだろ。その理由からすると大体の生き物がこの小型女子の好きな動物になってしまうぞ。それでいいのか? 哺乳類どころか、蛇やら亀やらの爬虫類だって含まれるし、両生類、魚類も脈アリになってしまう。本当に、いいのか?

 と、現実逃避していると滅茶苦茶な頭痛で現実に引き戻された。引きずり込まれた。


「おい、おい。いくらなんでも、これはやり過ぎだって。ドアぶつけたのは悪かった。もう許してくれ。こっちは既に口内全域が絶妙に焼(や)け爛(ただ)れてんだよ」

「ん? ドアをぶつけったって、誰に?」


 この女、最早自分が暴れている理由は忘却(ぼうきゃく)の彼方(かなた)へと追いやってしまったらしい。 

 一体、その頭の中には味噌の代わりに何が入っているんだ。キャラメルかハチミツでも詰め込まれているのか? 糖分がないと頭は働かないと言うが、糖分だけでも頭は機能しないんだろ。

 小さな掌が凄まじい馬力で俺の頭頂部を鷲掴みする。頭が割れそうだ(比喩ではない)。


「さあ、覚悟しなさい!」

「うっ・・・・・・」


 鼻先が床に飛び散った白い液体(卑猥な意味ではない)に掠る。万事休すか。


「しっかり喉の渇きを潤すとイイわ!!!」

「や、やめろ――――――」


 次々と、俺の大切な諸々(ものもの)のモノが振り切られていく・・・。




 ◆ ◆ ◆


「い、いい加減にしろよ」


 俺は背筋をフル稼働させて口と床の距離を空けようとする。

 だが如何せん敵にマウントポジションを取られていては、俺の必死の反抗もパリ=コミューンで政府に反旗(はんき)を翻した労働者たち以上に勝ち目がない。


「うぶっ」


 あえなく撃沈。

 床に散らばる牛乳は遠慮なく俺の顔を濡(ぬ)らしてくる。表面張力と俺の背に座るチビ女に対して、軽く破壊願望を抱きそうだ。

 俺が牛乳責めに苦しむ姿を鑑賞するのを堪能し切ったのか。しばらくすると井之村(孫)は、抵抗するのに体力を使い果たした俺を置いてどっかに行ってしまった。

 吹雪(その二)は過ぎ去った・・・・・・多分。


「あーあ」


 学生服が牛乳塗れになってしまった。これから学校に直行しないといけないのに。

 溢れた牛乳の半分ほどを、俺の制服が吸収してしまっている。残り半分は牛乳運んで居た井之村(孫)が被ってしまったから(以下略)。

 一度自宅に帰って制服を置いて来るのは正直面倒だ。洗濯物する母上殿としては一刻も早い帰還を待ち望んでいるんだろうか――――――

 ・・・・・・そう言えば。

 今、思ったのだが。


 俺、昨日自宅に連絡したっけ?


 俺は必死に昨日の夜の記憶を思い返してみたが、生憎と自分の家族の誰かに井之村氏のお宅にひと晩泊まらせて頂くことをお知らせた記憶が微塵もない。

 俺のガラスのハートが木(こ)っ端(ぱ)微塵(みじん)になりそう。

 俺は脱いだ上着学生服を横に置いて、持っていた学生カバンの中を漁る。無造作に放り込まれていたマイセルフォンを小ブラックホールと化した荷物袋から救出する。

 見てみると、一件メールが入ってる。着信を知らせる点滅灯が鬼火のように瞬(またた)いている。

 恐る恐る携帯電話の画面を開くと、母からの電子手紙が来ていらっしゃる。

 ここから先は、地雷原に自ら足を踏み入れるようなものだ。

 ちなみに俺の拒否権はない。

 携帯電話を連続で押し、最短最速でメールの本文を開封。

 中身は一文だけだった。


『明日の晩御飯は赤飯にしますね(〃゜д゜〃)』


 ハルマゲドン並みの衝撃が俺の脳天を突き抜けた。

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