第4話

 3


 数十年前に一人の高校生が死んで、その後から妙な怪談(かいだん)話(ばなし)が囁(ささや)かれるようになったらしい・・・・・・そんな話も中々に興味深いが。

 今の俺としては、自分の現在位置が何処なのかということの方が気になる。

 頼むから誰か教えてくれ。ここは何処(どこ)なんだ?


「・・・・・・」


 返事はない。当然だ。周りに人は全く見えないのだから。

 取り敢えず歩き出そうか・・・? それとも元来た道を引き返すべきか・・・? だめだ、来た道順(みちじゅん)すら記憶にない。こうなったら民家を見つけて、そこに住んでいる人に道を訊(き)くしか――――――田畑しかねえ。虫とか鳥の住処(すみか)なら沢山ありそうだが人の住むような家は・・・・・・あっ、あそこに点みたいな民家(?)が見える。

 ・・・・・・あそこまで行くしかないのか。

 結構な距離があるけど仕方ないか。このまま行く当ても無く彷徨(さまよ)い歩く訳にもいくまい。

 あの家の住人に住所を聞いて携帯電話のナビゲーションを使うか、近場の地図を書いてもらいソレを頼りに帰るか。

 どっちにしても小(こ)っ恥(ぱ)ずかしい話だ。この年で迷子って・・・・・・。もう高校生だぞ、俺。

 夕方もそろそろ終わりに向かいつつある。じわじわと周囲の暗さが増してくる。


「急(いそ)ぐか」


 俺は遠くに見える民家を目指して前進することにした。

 民家の手前にある高架橋のサイズのせいか距離感がおかしくなりそうだ。あのコンクリート製の橋型車道の高さを数字で何メートルかは知らないが、ひたすらデカいのは分かる。流石に高校の校舎よりは低いけど。

 トボトボと伏し目がちに歩く様は我ながら情けない格好だ。それも、夕日が沈むのに急かされるよう自然と歩く速度が上がっていくのは何とも臆病なものだと自笑してしまう。あー、冬美の奴。最後に余計な一言を残して悠々(ゆうゆう)帰って行きやがって。あんなオチを聞かされたら誰だった怖くなるって。

 他人に責任を押し付けているのは十分自覚しているが、そうでもして気を逸(そ)らしていないと、どうにかなっちまいそうだ。泣きたくなってくる。

 徐々に速まる足の動きはとうとう『走っている』状態へと到達した。

 加速度的に濃くなっていく影から逃げるように走り出す。

 だが重(かさ)ね重(がさ)ね情けないことに、俺の体力は元から褒(ほ)められたようなものでなく、既(すで)に息(いき)を切(き)らせ始めている。

 ゼエ、ゼエと喘息患者みたく息を荒らげながらも足を止められない。今なら殺人鬼から逃げるホラー映画のモブの気持ちが良く分かる。

 おまけに太腿の裏辺りが痙攣を起こし始める。

 それでも無理矢理に足を動かした結果、俺は足を絡(から)めて盛大(せいだい)に転んだ。

 咄嗟(とっさ)に前に出した手がアスファルトの道路に擦(す)れて掠(かす)り傷を負(お)う。俺の押していた自転車は悪運(あくうん)強(つよ)くも、俺とは反対方向に倒れてくれた。

 血の滲む手のひらを見ると、傷口に砂埃が食い込み、こびり付いている。自分の身体の一部だがゾッとさせられる光景だ。あまり長い間見ていたいものではない。

 俺はどうにかして痙攣する足で立ち上がる。生まれたての小鹿(こじか)に転生した気分だよ・・・。

 パッ、パッと手で土汚れの付いた制服を払うと、ついでに手のひらの砂粒もパラパラと剥がれ落ちる。・・・・・・計画通り(ニヤリ)。

 俺は自転車の前カゴから振り落ちた通学鞄を拾おうとする。その後、自転車を引き起こそうと心積もりしながら。


「よっと――――――」


 その時になって俺は初めて気付いた。

 その場に居たのは俺一人じゃなかったということに。




 ◆ ◆ ◆


『ファーストコンタクト』。

 日本語で言うと『初顔合わせ』か。

 中学生の頃、いつか言われたある教師による弁だと「初印象が九割方」だそうだ。

 成程、分かった。

「それじゃあ・・・」

 と、俺は取り立てて真面目でもなかった中学時代に戻った気分で、そう説いた教師へ訊いてみたいことがある。別に、その名前も覚えていない教師の考えを批判するつもりはない。ただ純粋に意見を訊きたいものだ。


 目の前に大きなヘッドバンドをしたロリ顔の女子高校生が路傍で横になって寝ているのを見掛けたというのがファーストコンタクトの場合、『初印象』はどう評価されて然(しか)るべきなんでしょうかね?


 俺は現在、眼前に進行形で広がる光景に唖然(あぜん)として立ち尽(つく)くしている。多分、これほどの衝撃は俺の人生において他(ほか)にない。

 どう見(み)繕(つくろ)っても小学校低学年の容姿(ようし)をした女子が俺と同じ高校の制服を着込んで寝(ね)っ転(ころ)がっている光景。あと百メートルすれば高架橋に差し掛かるところで、道端に植えられた木の影に隠れるように横になっていた。 一瞬死んでいるのかとも思ったが、ピクピクと微妙に瞼が動くことがあるので生きてるらしい。えーと、眼球運動とか言うんだったか。

・・・・・・待て待て、なんでこの女はこんなところで横になっているんだ?

 多分(たぶん)、木陰(こかげ)になっている場所を選んで寝て居たんではあろうが、それでも熱中症になる可能性だってあった訳で――――――あー、そうか。それで今死んだように寝ているのか。それなら納得できる。多分、彼女は自宅への帰り道の途中、日の当たりにやられて急に気分が悪くなり、ここへ一時避難したのだろう。そしてそのまま寝落ちしてしまったと。うーん、我ながら冴えた推理だ。

 しかし、だ。

 そうなると、この彼女(かのじょ)は結構(けっこう)危険(きけん)な状況であるということになる。熱中症で死んだ人間のニュースはよく聞き知っている。

 さっさと病院に連れて行くなり、救急車を呼ぶなりしないといけないのでは無いか?

 えーと、ともかくこの女子高生の意識を確認しないといけないんだよな。こんな時は。

 俺は寝っ転がる彼女の肩の傍に膝をついて、手のひらを熱中症にやられたと思しき少女の額に当てた。卑猥(ひわい)な目的など皆無のれっきとした緊急対応である。そうは思って居ても、不思議と手が震えてしまう・・・。

 さて直接手を触れてみたはいいが、そもそも女子高生の適正(てきせい)体温(たいおん)ってどの位(くらい)なんだろうか?

 頭で考えてみても、天啓(てんけい)みたく突然分かったりするハズもなく。彼女が発熱しているのかも自信を持って判別することができない。

 そう言えば、子供の体温は大人より高いって聞いた事があるな。

 うーん、そうなると子供体型の高校生の体温も高めになるのか?

 俺は、小柄な割にしてはソコソコある彼女の胸部を見下ろしながら、ふとそんな事を思った。

 まあ、なんであれ。体温は間違いなく生きた人間のものだし、息もしっかりしているから大丈夫だろう。・・・・・・大丈夫だよな? 救急車呼ぼうにも、俺は現在地点を分かってないからなぁ。手の打ち用が無い。


「おーい、もしもし」


 声を掛けてみるのは最初にするべきだったかも知れない。シレっと無意識の女子の額に手を触れさせた事を考えると、身体が火照ってきた。顔が朱色に染まっていくのが実感できる。

 で。

 顔を赤くさせながら問い掛けてみたのだが返事はない。 

 声が届いていないのだろうか?もう少し耳元に口を近付けてみるか。

 手を地に付け、彼女の顔の横に付いた耳へ――――――


 パチリ


 と、そんな擬音が聞こえてきそうな風(ふう)に彼女の目は開いた。

 あんまりに急な出来事だったから俺は面(めん)食(く)らって固まった。


 超(ちょう)至近(しきん)距離(きょり)で見つめ合う二人。


 こう書けばとてもロマンチックな話に思えてくるかも知れないが。

 俺にしてみれば見知らぬ少女が道端(みちばた)に寝転がっていたのを心配に思い近付いただけであって・・・。

 それでは、その少女本人から俺が今どのように見えているのかという話だが。それは直ぐに分かった、耳が痛くなるほど思い知らされた。


「鬼畜(きちく)! 変態(へんたい)! 陵辱魔(りょうじょくま)!」


 悲鳴にしては語彙が豊富だ。それにしても、まさかこのタイミングで痴漢(ちかん)の冤罪(えんざい)を受けた男の気分を再現率百パーセントで共感することになろうとは、人生とは本当に分からないものだ。

 ・・・・・・そんな悠長(ゆうちょう)に構(かま)えてる場合じゃないな。心理的にもそうだが物理的にもヤバイ量のダメージが押し寄せてくる。

 まず、どう聞いても小学生(しょうがくせい)女子(じょし)にしか聞こえない甲(かん)高(だか)い声が俺の鼓膜に甚大な被害を与えた。とんでもない大声だ。思わず両耳を手で押さえる。

 そこへ止めとばかりに、滑稽な程に狼狽える俺の人中へ目掛けて、彼女の頭突きが炸裂される。完全に無防備だった俺は情けなくも呆気なく後ろに吹っ飛ばされた。




 ◆ ◆ ◆


「か、顔が平らになる・・・・・・」


 どうしてか、そう口走っていた。

 鼻に片手を当てて、もう一方の手で頭突きしてきた少女を牽制する。液体っぽい感触がするかと思って見てみれば鼻血が出ていた。


「は、鼻血まで出して・・・ウチの身体に欲情したのか!? この変態!」


 その幼児体型にどう欲情しろと? 生憎と俺にロリコンのケはないよ。

 ちょっとは落ち着けよ。そもそもこの鼻血はつい今(いま)し方(がた)の頭突きのせいであってだな・・・・・・。


「もしもし、警察ですか! 今、変な男に襲われて――――――」


 ロリ声によるそのセリフが聞こえてきたのには本気で肝を冷やした。

 顔の中央に残る痛みのせいで弁明することもままならない俺のジェスチャーすらも尽く無視して、その少女は西部劇ガンマンじみた早業で携帯電話を握り締めていた。いつ取り出し、ダイヤル操作したのかマジで見えなかった。

・・・・・・って何してんだ。おい。


「――――――ともかく助けて下さい。場所は」


 バシッ

 

 ギリギリのところで携帯電話を奪う。

 おかげで立場が余計に悪くなった気がするが、もうこの際「どうにでもなれ」だ。

 通話ボタンを容赦なく切る。

 ツー、ツー、ツー―――・・・・・・

 通話の切れた音が夕方末期の風景の中に響く。

 少しの間を置いて、大変勢いのある声が俺の鼓膜を襲った。


「な、なにすんの!」


 それはこっちのセリフだ。一体、なんのつもりだ。人の顔面にヘッドバット食らわした挙句、痴漢(ちかん)扱いするとは。その上、警察に連絡するなんて。せめて事情を説明する余裕ぐらいだな――――――


「人のファーストキス奪おうとしておいて、なにしらばっくれってるんだ!」


 ファーストキスまだなのか・・・・・・じゃなくて、言い掛かりだ。それは事実無根もいいところだ。


「じゃあなんで人の顔に口を超接近させてたのよ!」


 声掛けたのに起きねえから心配してたんだよ。事実だけど苦しい言い訳だとは自分でも思う。


「つーか、携帯返せ!」


 それは返すよ。


「はい」

「あっ、どうも・・・じゃなくて、ダメでしょうが! 被害者に携帯電話返したら!警察に連絡されたらどうすんのよ! つまらない!」


 返さない方が良かったのか、はっきりしてくれ。

 それと被害者が加害者に犯罪方法の甘さを指摘する図式ってどこかこう間違ってねえか? お互いの立場的にさ。その上「つまらない!」って・・・・・・。


「第一、アンタ誰よ!」


 誰ってお前。ああ、それじゃあ、ほい。

 俺は学生服の胸ポケットから生徒手帳を取り出し、全身の毛を逆立てている猫みたく全力で警戒してくる少女に放り投げた。漢字は読めるんだよな? そこに俺の名前、その他諸々書いてあるから、あとは自分で分かってくれ。


「こ、これはウチの学校の生徒手帳・・・!」


 おお、一目見ただけで分かってくれたか。そうだよ、俺は君と同じ高校の生徒なの。不審者じゃねえんだよ。


「変態の上に、高校生のコスプレマニアなのね! ますます怪しい! しかも生徒手帳まで偽造する程なんて!」


 おい、こら。どうしてそうなる。

 ほんとーに、止まらないな。このロリ娘(こ)。ブレーキはどこに付いてるんだ?




 ◆ ◆ ◆


 これを不幸と言わずになんと言おう。

 道端に倒れ伏す少女を介抱(かいほう)しようとしたら、その少女が急に目を覚ましたかと思うと俺のことを親の敵みたく執拗(しつよう)に不審者(ふしんしゃ)扱(あつか)いしてきやがった。


「なに遠い目してんのよ。この変態!」


 そう、いきり立たないでくれ。さっきから君の甲高い声が耳に響くんだからさ。

 そんな見た目でも一応、高校生には変わりないんだろう? 俺がそんなに不審者じみて見えるか。


「見えるね!」


 即答かよ。・・・・・・地味に傷付くぜ。

 で、そう思うならさっさと逃げたらどうだ。


「だって逃げても追って来ないでしょう」


 その通りだが、まさか追い掛けられたいのか?

 そういう趣味でもあるのかよ。


「違うわ! ・・・追って来ないなら逃げる必要もないでしょうって話だ」


 そうかも知れんが、それなら俺への不審者認定を取り消してくれても良いんじゃないか。追いかけねえってことは不審者じゃない証拠だろ。


「ダメ! 新しいタイプの不審者かも知れないし」


 面倒な奴だな・・・。あと『新しいタイプ』がなんなのか気になる。

 えーと、生徒手帳以外に身元を証明できそうなものはないかね。あっ、キャラメルならあった。

 俺は手探りでバックの中を漁った末に数日前に入れたままにしておいたお菓子ひと箱を発見した。

 ・・・・・・まさか、な。いくら見た目が子供でも。

 試しに一粒だけ差し出してみる。


「これ、食べるか?」


 ヒュン

 差し出した手に『何か』が物凄い勢いで衝突した。

 ガサガサ、パクッ、モグモグ

 想像通りの効果音が続いた。


「ああ、ええと。気に入ってもらえて良かった・・・」


 ロリ少女は文字通り目にも止まらぬスピードで俺の手のひらにあったキャラメル一粒を掻(か)っ攫(さら)うと、これまたえらい速さで包み紙を引っペがし、パクリと満足そうに口に放り込んでしまった。他人事だが、この子の両親が彼女に施した教育に重大な欠陥(けっかん)があるように思えて仕方ない。

 俺は口の端(はし)を引(ひ)き攣(つ)らせながら、一生懸命に口を動かす少女の様子を眺めた。

 無言のままで。


「・・・・・・」


 彼女の咀嚼(そしゃく)スロットが徐々に落ち始めた頃、スッと小さな片(かた)掌(てのひら)が差し出された。

 なんだ、その手は。


「こんなもので買収されるほどウチは子供じゃないし!」


 言葉と行動が全く一致してないんだが・・・。


「あと三個で手を打つよ!」


 俺は「うわー」と自分の目が語っているのを自覚しながらミニマムサイズ女子を見下ろした。

 ブラックな新聞部の部長を務める水島にしても、こっちの想像を遥かに超えてくるぐらいに活動的なオカルト研の冬美に対しても、今まで初対面の女子には抱いたことのない感情を湧き上がってきた。断っておくが一目惚れしたとかじゃないぜ。

 ・・・・・・俺は本気でドン引いただけだ。




 ◆ ◆ ◆


「・・・甘い! ・・・うまい! ・・・甘い! ・・・うまい!(以下ダカーポ)」


 壊れたオルゴールみたく延々と同じセリフを続けながら、彼女は俺のやったキャラメルをパクつく。少しは人間としての自尊心をだな・・・・・・いや、言っても無駄か。俺は知っている、この手の奴は人の忠告はきかねえと相場が決まってるんだ。この食欲の化身め。


「あんた・・・モグモグ・・・良い人・・・モグモグ・・・なのね」


 食うのか喋るのか、どちららかにしてくれ。

 俺は食いっぷりがやけに良すぎる少女へ呆れ果てた表情を向けた。しかし彼女は俺の目線など微塵も気にすることなく好き勝手に話し掛けてくる。


「ひと箱丸ごとくれるなんて太っ腹ね、あんた」

 ロリ娘(こ)はそう言いながらペロリと手の先に付いたキャラメルの甘味成分を舐めとった。子供かよ。

 もう全部食いきったのか・・・。どんだけ甘い物に飢えてるんだ。


「まあ、ちょっと物足りないけどね。とりあえず、お礼は言っておく」


 ああ、そうかい。お礼を言われてもあまり嬉しくないけども。そもそもキャラメルをあげるまでの経緯が酷過ぎた。


「で、あんた。こんな所で何やってんの?」


 『こんな所』ってのは、つまり俺にとっては全く見知らぬ土地で、周りは見渡す限りの田畑が広がっている情景(じょうけい)の場所ってことだ。

 そうだな、それは俺も知りたい。俺は一体、何をやってるんだろうか?


「まさか迷子?」


 半信半疑を体現したかのようなジト目が俺を見詰めてくる。視線が痛い。殺傷能力があるんじゃないか、この視線はよ。少なくとも心理的ダメージはかなり喰らった。


「まさかね」


 一通り俺の全身を舐めるように見回すと、彼女は鼻で笑いながらそう言った。

 おかげで「実はそうなんです・・・」と切り出しににくくなっちまった。ちくしょう。


「で、なにしてんの? 君は」


 ズイと全身余すとこなくロリな少女は、刑事ドラマに出てくる辛辣鬼刑事みたいな威圧感を背(せ)にこっちに一歩踏み寄って来た。正直、怖い。


「えーっと」


 俺は避けるように半歩後ろに下がった。男のプライドを掛けても半歩分の勇気にしかならなかった。

 ――――――そうだ、ナイスな返答を思い付いたぞ。


「じ、実はあの家に用事があってだな・・・・・・」


 俺は高架橋の向こう側に見える民家を指差した。当然誰の家かさえ知らないが、口から出任せでも用事があるように思わせておけばいいさ。そうすれば不審者疑惑も晴れるだろうし、俺が今現在高校生にもなって絶賛迷子中であることも気付かれない。よし、脳内シュミレーションは完璧だ。


「へえ、ウチの家に用があんの? おじいちゃんの知り合いかなにか?」


 俺の心の中で何かが崩れ落ちる音がした。こう、ガラガラッとな。

 二の句が継げないとは正まさにこの事だ。


「じゃあ、一緒に行きましょうか。もう暗いし。あっ、でもおじいちゃん今留守だから」


 女子と一緒に下校するこのシチュエーション。

 トラウマにならなければ良いんだが・・・。


 俺は力なく首を横に二、三度振ると。トテチテと先を行く(色々な意味で)小さな少女の後を追った。




 ◆ ◆ ◆


 足取り軽く前を進む少女が急に立ち止まった。

 丁度、高架橋の下に差し掛かるところだ。


「どうした?」


 俺はてっきり誹謗(ひぼう)中傷(ちゅうしょう)もしくは罵倒(ばとう)のいずれかの暴言が飛んで返ってくると思ったのだが。幸か不幸か、前を歩くマイクロ女子は無言のまま、表情で心情を語るだけだった。

 それを見て、俺は「訊ねなけりゃ良かった」と思った。

 何だ、その顔は。泣きそうな顔で笑みを浮かべられても不穏な気配しか感じないんだよ。


「これ・・・・・・」


 彼女は口数少なく、小さな手の指先を斜め下に向けた。

 ええと、それは――――――白い花束。白百合か?花の種類は定かではないが。なんとなーく、この少女の言いたいことが分かってきた。

 真新しい花束が道端に供えられている。どう見たって、あれだ。あれ。


「もしかして、今朝ニュースになってた事件か?」


 コクリと、彼女は黙ったまま首を縦に振る。

 そうか、ここが例の・・・・・・高架橋なのか。不審死体が発見されたってのは、俺の今立っている場所のすぐ前ということか。コンクリート製の自動車用橋の真下、ちょうど中央部分だ。

 やっぱりアレか、交通事故か? ここら辺、見渡しが良いのにどうしたんだろうな。


「・・・・・・違う」

「ん?」


 一人で納得を押し進める俺を、彼女はあっさり否定した。

 その不安げな顔は、彼女を三割増しに大人びて魅せてくる。そのついでに俺の出自不明の恐怖心が三十倍ほど増幅される。俺の持つノミ並みの心臓ははたして耐え切れるのだろうか。色んな意味で。

 一体、何が違うって言うんだ。ああ、そうか。もしかして交通事故じゃなくて、ただ単に病気で人が倒れたとかいう話か?それとも、なんだ。ほら、それこそ熱中症とかが原因とか・・・?


「・・・・・・」


 何も言わないが、彼女の目が違うと言っている。

 じゃあ何なんだよ。


「―――――――――」


 大人びた感じを魅せるロリ少女(何を言っているのか俺にも分からんくなってきた)は非常に簡潔に教えてくれた。

 聞いた俺はどこか得心するような気分になったが、それ以上にどうしようもない後悔の念が押し寄せてきた。今ならシェイクスピアの悲劇の登場人物を熱演できる自信がある。演劇部に掛け合って文化祭で出演させてもらえないだろうかね。

 冗談だよ。分かってるって、いくら後悔に満ち溢(あふ)れた感情を再現出来ようが。膝(ひざ)が笑って一歩も動けねえような奴に役者は無理だろうからな。


 「転落死」だと?


 それも橋の真下で。


 ふざけんな、そんなことあるハズねえだろ。死んだのは天井に張り付いて居た蜘蛛人間か何かなのか? そうだとしたら、そいつが死んだこと以上に、そいつが存在していたことに驚いてしまうぜ。そうだな、未だに天動説を主張している名探偵が存在しているよりも確立は低いだろうさ。そんな事件の実在なんて。・・・そうは言えども。今、俺の目の前で顔色を真っ青にさせている彼女が嘘を吐いている可能性も薄そうだ。

 俺は今日さっき聞いたばかりの話を思い出し、戦慄した。

 冬美のやつ。確かに別れ際に言ってたよな・・・?

 昔、うちの学校の教室内で転落死した生徒が居たって。

 偶然か? これは?

 あり得る筈のない転落事件が二つ揃って俺の前を通りがかった。

 空は憎たらしいほど黒く染まってしまっている。




 ◆ ◆ ◆


 天井の真下で転落死など、それこそ天井を逆(さか)さで歩ける特技でもないと無理だ。だってそうだろ。普通なら転落しようがない場所なんだから。

 高架橋の下での転落死だと? この実年齢に比べて見た目のかなり幼い彼女にどうして断言できるのかと考えてみれば、きっと彼女の勘違いだろう、と思えてくる。

 大方、交通事故に遭った歩行者が全身を強く打っていたからパッと見では転落したようにも考えられたのだろうさ。詳しい死因は検死してみないと分からないだろうし、そのせいで今朝方のヘッドラインニュースにはっきりした死因は書かれず、不審死というフレーズが使われたんじゃないだろうか。つーか、そうだよ。違うってのか。


「違うわよ」


 迷いのない声が俺の考えを否定した。なんなんだ、その自信のある態度は。


「もしも交通事故で人が車に轢かれたんなら、車の窓ガラスやボンネットなんかが大きく破損して部品が砕け散っているハズでしょ。特に人が死ぬほどのスピードなら尚更ね。それが無かったから、警察は死因をはっきり報道できなかったんじゃないの? そう思わない?」


 轢いた犯人が車の残骸(ざんがい)を片付けたかも知れないだろう。人を轢(ひ)き殺(ころ)してしまったのが怖くなって証拠(しょうこ)隠滅(いんめつ)したとか。


「そういう時は『死体』自体を先に処分するのが普通だよ」


 簡単に言うが、想像するのも怖気が走る話だな。

 なんだ一体、まるで犯人の気持ちが分かってるみたいだぞ。


「別に・・・・・・。あと、もしもこれが轢(ひ)き逃げ事件なら犯人は車の修理も必要になるだろうから、警察が車修理業者を当たれば直ぐに捕まえるハズ。でも今のところ、そういったニュースは流れていない・・・あとは言わなくても分かるでしょ?」


 随分と理路(りろ)整然(せいぜん)と喋(しゃべ)れるものだ。ついさっきまで俺の上げたキャラメルに大はしゃぎしていたのと同一人物とは思えない。


「一体、なんなんだ。君は」


 ありきたりだが俺の内心を最も良く表した台詞だ。

 俺の問い掛けを聞いた同年代らしき少女は口元を軽く綻(ほころ)ばせた。「小学生低学年にしか見えない容姿」と言ったのは撤回しないといけない・・・俺よりもずっと大人びて見える。夜風に吹かれているせいかも知れない。肩ほどまで伸びたが髪が風に靡(なび)かれている様はカラー漫画の世界をはめ込んだかのようだ。


「井之村響香いのむらきょうか・・・・・・。初めまして。新聞部(予定)の小畑(おばた)紫(むらさき)クン?」


 完全に感情を消した顔で、井之村響香と名乗る少女はタイミング的に遅れた挨拶(あいさつ)をしてきた。

 きっと俺の名前は生徒手帳を見せたから分かったんだと思うのだが、どうしてこの女が俺の所属する部活(予定)についてまで知っているのか恥ずかしながら全く分からない。

 どうやら俺は探偵や刑事には向いていなさそうだ。




 ◆ ◆ ◆


「なんで俺が新聞部(予定)の一員だって知ってんだ?」

「・・・・・・」


 ・・・返事がない。俯いて居て表情も見えない。どうしたんだ?


「―――っと、おい」


 彼女がふらふらと少し近寄ってきて・・・・・・。


 ドン


 終いに、頭から俺の鳩尾(みぞおち)目掛けてタックルをするように倒れてきた。


「え!?」


 俺は咄嗟(とっさ)に彼女の両肩に手を当て身体を支えた。驚く程に軽い。


「お、おい」


 俺は恐る恐る声を掛けた。そんなフラグ立てた覚えがないんだが。キャラメル上げただけで、俺に対する好感度パラメータが急上昇したんじゃないだろうな。もしもこれが恋愛シュミレーションゲームならバグ同然の仕様だぞ、なあ。


「・・・・・・」


 反応がない。

 ・・・・・・ん?

 声での返答が無いどころか―――――

 グラリと、糸の切れたマリオネットの動きを模倣したみたいに身体のバランスを崩した。


「おい」


 俺は彼女の身体がアスファルトの道路に打ちつけられる前に、なんとかもう一度身体を支え直した。

 ここでやっと、俺は彼女に意識がないのを悟った。

 呼吸は正常。心臓も滞りなく動いてる、と思う。見る限り身体のどこかを怪我してる訳でもなさそう。

 じゃあなんで気を失ったんだ・・・?

 さっぱり分からねえ、と一瞬思ったが一つぐらいは心当たりがある。

 この橋の下で人死にの事件があったと、この彼女自身が言っていた。

 で、この少女は推定だが結構長い間あそこのところで横になっていたらしい。

 そして今は気絶していると。 

 まさか。

 まさか、とは思うが。

 ありえない・・・とは言い切れないよな。むしろイメージ通りだ。


 女子が人の死んだ場所を怖がるなんてこと。


 それで高架橋の下を通れず待ち呆け、連れ合いと一緒に通ったら通ったらで気絶してしまった・・・可能性はある。

 なんだ可愛らしい所もあるじゃないか。

 ――――――違うだろ。そんなこと考えている場合じゃないだろ、俺。

 たった今、眼前に生じた新たな懸念事項をどうするのかを考えるのが先だろうが。


「どうすんだよ。・・・・・・この娘こ」


 日は完全に落ち、夜になってしまった。

 街路灯の光が上から照らしてくる。

 明るい照明とは裏腹に、俺の心に夜空の暗闇と同化しかねない程の黒い影が出来つつあった。

 俺は一体どうなってしまうのやら・・・・・・。




 ◆ ◆ ◆


 どうすっかなー、ほんと。

 俺の腕の中には気を失った少女が居る。

 俺はかねてより道中困っている女性が居たら無条件で手を差し伸べよう、そう思っていたのだが現実はそんな単純な考えは甘すぎるようだ。俺はこれ以上ないほどに対応に困ってしまった。

 この少女の話を信じるなら、この高架橋を超えた先に見える民家が彼女の実家ということだ。そこまで抱っこなり、おんぶなりして運べば一番なんだろうけども、どうにも決心できない。

 さっき介抱しようとして頭突き喰らったばかりだからなー。

 もしも運んでいる途中で目を覚まされたら・・・・・・頭突き一発で済ませてもらえるとは思えない。

 つっても捨て置くのもなあ・・・。

 普段は錆び付いてばかりいる俺の思考回路。なにがどうしたのか知らないが、この時だけは都合良くボロボロの歯車が回転してくれたようだ。 一時的な思い付きなんて不穏な未来しか想像できないけども、無いよりはずっとましだと思ってポジティブに受け取っておくとしようか。


 俺は再び良い考えを思い付いた。全く、懲(こ)りもせずにな。


 非常に子供らしい無邪気という名の不躾な性格している少女は、イメージ通りとでも言っておこうか実に子供に似つかわしい容姿をしている。子供のうちでも小学校低学年とかいうレベルの見た目だ。だが、外から見る限り胸の厚みなどは年相応の膨らみを・・・・・・これ以上はやめておこうか。まるで自分がセクハラが趣味の変態みたいに思えてくるから。

 ええ、なんだ。俺が言いたいのは、つまりこの少女が非常にロリ・・・ゴホン、ゴホン・・・非常に小柄で、いらっしゃるということだ。

 で。

 それがどうしたんだ、という話だが。


「こいつ、バックに入るんじゃね?」


 ようはこういうことだ。

 触れて運ぶのがダメなら身体を密着させない方法を考えればいい。我ながら最善の解答、もとい最適解といっても過言じゃないアイデアだ。

 いける。根拠はないがきっと上手く行く。

 そう思い、俺は手早く肩に提げた大きめの通学鞄の中身を、押している自転車の前カゴに移動させた。

 小学校低学年生ぐらいの身体なら収まりそうな空間ができた。


 ゴクリ


 生唾を飲み込みながら。緊張の一瞬である。

 小柄な彼女を両腕で抱え、そっと空いたバックに導く。


「おお」


 結果は・・・・・・ジャストフィット、まるで寸法を正確に測り取った後作られた棺桶のようなフィット感。なんというか、これ以上ないくらいピッタリだ。

 ・・・感動もほどほどに、先を急がないといけないな。

 もう暗くなってしまった。出来るだけ早く、この小さな彼女を彼女の自宅まで送り届け、そのついでに此処の住所を教えてもらわねば。

 俺は彼女が窒息しないように鞄の蓋は開けたまま、肩に掛け立ち上がる。やはりバックは軽く持ち上がる。




 ◆ ◆ ◆


 俺はできるだけ駆け足を速めた。

 しかし。

 いくらバックの中の彼女が軽くても、運ぶ荷物の総重量はかなりキツいことになっている。急ごうと思っても簡単に走る速度は上がらない。

 彼女をバックに収めて七歩進んだ時点で気付いたが、この状況を誰かに見られるのはヒジョーにまずいのではなかろうか。見ようによっては誘拐現場、むしろそれ以外の何に見えるのかっていう状態・・・。

 どうしよう・・・・・・。

 ああ、俺っていつもこうなんだ。勢いに任せて行動し始めて、途中で後悔するってパターン。いや、でも今はいつもとは違うぞ。一応、間違った事をしている訳じゃないからな。それに、誰にも見られなければ問題ないんだ。勝てば官軍的な・・・。うーん、なんで人の目を気にして人助けしなくちゃならないんだろう・・・・・・。高架橋下で人が転落死したことよりも、こっちの方がよっぽど謎なんじゃないか?

 不毛な苦悩が止めど無く溢れてくる。頭がパンクしそう。

 そうであっても。

 結局のところ俺は滞りなく足を動かしていた。

 日頃から水島の下でこき使われているおかげだろうか。ナーバス状態でも構わず作業に勤しむ技術が身に付いたようだ。素直には喜べないけど、今は役に立っている。

 失神中の少女入りカバンを肩に提げ、前カゴに教科書類を載せた自転車を押しながら。一歩一歩進む度に目的地の民家への距離が狭めて行く。

 黙って押し歩く中、冷たい夜風が身に染みる。寒くなってきたな。もう四月は終わりだっていうのに。

 出来るだけ肩に提げるカバンが揺れないように気をつける。失神された上に『カバン』酔いされて嘔吐でもされた日には・・・・・・世界の破滅を願いたくなってくるよ。本格的にな。


 バック中の少女の自宅に着いた頃には、俺はすっかり息を上がらせ、バテていた。体力がないのは自覚していたが、どれだけスタミナがあったとしても、流石にこの重労働後では弱音の一つでも吐きたくなるだろうさ。

 そういう訳で、俺は盛大に愚痴をぶちまけた。


「この女、いくらなんでも無防備過ぎんだろ。お持ち帰りされたいのか。文字通りの意味で―――」

「それってどこの女のことだ?」


 げっ・・・。


 突然、後ろから渋い男の声がした。

 俺は肩をビクリとさせながら首を後ろに回した。ゼンマイ仕掛けの人形みたく。

 声から想像したよりも年を取った男が立っていた。孫が居るのが当たり前そうな年齢に見える。それにしても随分と気さくに声を掛けてきたものだ。どこの、どちらさんだろうか?


「こ、こんばんわ」


 俺は地べたに座り込んだままの姿勢で挨拶した。一応、他人ひとの敷地内だから礼儀正しくしないと。


「おう、夜遅くまで大変だな。最近の学生は」


 本当にそうなんですよ。特に変なロリ校生と出会った日には―――


「ん、なんだ。そのカバンの中は?」


 あっ、やばい。

 御老体の目は俺のカバンの中に向いていた。


「響香? 響香なのか!?」


 このロリ娘こと、どうやら面識があるらしい。近所の人なのだろうか?

 バックの口を空気補給のために開けっ放しにしたのはまずかったか。せめてこの民家に着いたら直ぐにカバンから出して置くんだった。失敗した。絶対絶命。

 ・・・終わりだ。これでは言い逃れのしようがないじゃないか。この老人の次の言葉を何だろう?

 鬼畜? 痴漢? 陵辱魔? それとも人攫い?

 もう、どうとでも呼んでくれ。


「お、お前はまさか――――――!」


 老人は予想通りな驚愕の表情で、俺の顔に指先を突きつける。

 そして喉が張り裂けるかねない勢いで叫んだ。


「ロリコン、という奴だな!!!」


「・・・・・・あ?」


 なんて反応すればいいんだよ。

 ・・・俺は悟った。

 このクソジジイ、この鞄入り娘の祖父に違いない。

 これで血が繋がっていないなんて、絶対嘘だ。

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