【最終章 その透徹なる瞳を】

第1話

 亜弥子の亡骸を抱き、将成は離れの自室へ向かった。

「明日の朝まで、二人きりにして欲しい」と言われ、駆けつけてきた執事の鈴城が色めき立つ部下を制した。万由里は深手を負っていたが、看護師資格を持つという久米の判断では、命に別状無いようだ。

「後は、お任せ下さい」

 鈴城、久米、そして確か真壁と名乗る男達が、部下を使い淡々と現場を処理していく。

 将隆が、康則に歩み寄った。

 どう、声を掛けるべきだろう? 何も言わず、いまはただ……。

 康則も将隆に向かって、一歩踏み出す。

 が、その一歩は宙に浮いたまま、視界が暗転した。

 意識が混濁する中で、身体を支えたのが誰かも解らなかった。




 目が覚めた康則は、自分が自室のベッドにいるのを不思議に思った。

「五日間、意識が戻らなかったんですよ。将隆さまが心配して、日に何度も様子を見にいらっしゃいました」

 鎧塚一族の毒薬を抜くため、寝ずに看病をしてくれたらしい久米が笑いながら教えてくれた。

 あの一件があった翌朝。離れの自室で将成は、整えられた寝床に横たわる亜弥子に被さるように、自害していたそうだ。

 鬼龍一族の習わしに従い、ひっそりと弔いが行われ、親族会議によって未成年である将隆の後見人も決まったという。優希奈と万由里は、館山にある施設の整った療養所に入ったそうだ。

 事件に関与した鳴海家は、謝意を込めて持ち株の九割方を鬼龍家と鞠小路家に譲渡し、鳴海グループ経営陣から退いたらしい。

 薄い塩味のついた重湯を啜りながら康則は、まだ夢心地で久米の話を聞いていた。

 西側の窓から差し込む光が暖かなオレンジ色になり、本棚が長く暗い影を落とす頃。小さなノックの音がして、ドアが開いた。

「気が付いたな」

 ノートPCを手にした将隆が、いつも通りの冷たい瞳を康則に向ける。

「五日間も何も出来なくて、申し訳ありません……」

 事件後、混乱したであろう後処理で役に立てなかった。気楽に寝ていた自分が、情けない。

「呆れた。まだ、そんな事を言うのか?」

 少し苛ついた口調で言いながら将隆は、ベッドまで来て康則の膝にPCを放り投げた。

「鈴城が急かすから、報告書類の概要は作っておいた。詳細は、おまえが埋めてくれ」

「はい、申し訳……」

「だから、それをやめろ! おまえは、また俺を……!」

 声を荒げた将隆は、寢衣の胸ぐらを掴み、すぐに突き放して顔を背けた。掴まれたところが、痛い。

 身体の痛みとは、別の痛み。

 大きな傷を負った将隆を、一人にしてしまった事が、何よりも悔しかった。しかし空白の五日間を経た後で、取るべき態度がわからない。

 気詰まりな沈黙のあと、将隆が口を開いた。

「生きている限り、誰もが少なからず業苦を生む。業苦は積もり重なって、鬼を生む。誰かが鬼を斬り、業苦を昇華しなくては世の中が地獄になる」

「将隆……」

「父さんと母さんを殺したのは、俺だ。結局、同じ事なんだ。俺は、俺に与えられた役目から逃れられない。何が正しいか間違っているかなんて、関係ない」

 いったいどんな覚悟で将隆は、この残酷な言葉を吐いたのだろう。背けられた顔から、表情を読むことは出来なかった。

 だが今の康則には、将隆の気持ちが解る。

 言葉通りに受け止めては、ダメだ。これは将隆の、弱音だ。

「同じ……ではないよ、将隆。確かに俺達は、鬼を斬る役目からは逃れられない。でも、悲劇の連鎖が誰かを破滅させる前に、止めることは出来ると思う」

 将隆が顔を上げ、康則を見た。

 その透徹なる瞳を、深い悲しみの色だけで染めたく無いと思った。

「将成さまも亜弥子さまも、良昭だって……何も言わずに全部抱え込んで、破滅への道を選んでしまった。苦しいなら、苦しいと言えば良かったんだ。理解して助けてくれる誰かがいれば、こんな悲劇の連鎖は起きなかった」

「止めるために俺は……俺達は、どうすればいい?」

「解らない……。だけど、問答無用で鬼を斬り捨てる前に、依頼者の胸の内を汲んであげられたら、何かが少し変わるかもしれない」

「胸の内を、汲む……」

 憂いの表情で思いを巡らせる将隆に、康則は意を決して言う。

「俺達も、そうだ。将隆……俺は、おまえを破滅させたくない。だから……」

 すると将隆は、康則の眉間に人差し指を突きつけ言葉を遮った。

「その先は、言うな。誰かの胸の内を汲むとか、面倒な事は全部、おまえに任せた。ただし、おまえが俺との距離を縮めたいなら、まず敬称で呼ぶのを止めるんだな」

 口にするのが決まり悪い台詞を、将隆は解ってくれたらしい。その態度に苦笑しながら康則は、しばらく考えてから答えた。

「解った、公の場所以外は敬称を付けないよ」

「……あまり変わりないけど、まあいいか」

 将隆が、笑った。今まで見てきた自嘲や冷笑ではなく、心からの素直な笑顔だった。

「まだ仕事があるから、もう行くよ。今日中に終わらせないと、鈴城の血圧が上がるからな。ああそうだ、伝言があった。門前に毎日、相馬刑事が座り込んで康則に会わせろと言うから、閉口してるってね。早く、連絡してやるんだな」

 サイドテーブルに置かれた新しい携帯電話を、将隆が手渡した。

 相馬からのメールが十数件。その中に一つだけ、意外な人物からのメール。

「他にも、心配してる人がいるみたいだし」

 思わせぶりな言い方をされ、少し焦った康則の肩に将隆が手を置く。

「待っているからな」

 肩を掴む指に、力が込められた。

「ああ、すぐに戻る」

 将隆の手の上に康則は、自分の手を重ねた。




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