第7話
一度、屋敷に戻った康則は、あらかじめネットで調べ鈴城に用意して貰った服に着替えて出かける準備を整えた。
鈴城が、いそいそと部屋に持ち込んだ大量の箱から数点を選んだが、ジャケット、カジュアルパンツ、ネクタイの基本形で大丈夫だろう。
ふと、クラブで良昭が見たという将隆が、気になった。
横浜で遊んでいる場所、いつも聴いている音楽、ふらりと出かける時に何処へ行くのか……。
意識して、プライベートに干渉しないつもりだった。だがそれが、かえって裏目に出たのかもしれない。もっと将隆の事を知っていれば、様々な問題を解く糸口が早く見つかったのではないだろうか?
何度となく、「一緒に飯を食おう」と誘う相馬を思い出した。
仕事の調べ物や雑務、学生の本分である勉強の合間を縫って、夕食は自室で済ませることが多い。朝食で将隆と一緒になることがあっても、業務連絡以外の会話は、ほとんど無かった。
「あのとき、一緒に行けば良かったな……」
山下公園の務め帰り、車の中で将隆は誘ってくれた。
だが自分は、気が付かなかった。
状況からして、今日は将隆に声を掛けるわけにはいかないが、機会があれば誘ってみよう。相馬に対する態度も、少し軟化してもいいと思った。
黒縁の伊達眼鏡をそのままに、髪を少し後ろに流した康則は、鈴城を呼んで横浜までの車を頼んだ。
一人で店まで行くのが不安だという鞠小路日向子と、元町の喫茶店で十九時に待ち合わせていた。迎えに行くと言ったら、頑なに断られたからだ。
プチ家出の前科がある日向子が無事に家を抜け出せるか気になったが、待ち合わせ時間より早く着いた店内に姿があった。
「遅くなってごめん」
謝りながら、康則は斜向かいに座りコーヒーを頼んだ。空になった日向子のカップが下げられたので、ついでに「同じものを」と注文する。
「ずいぶん待った?」
「あ、いいえ。その……他に行くところもなかったから」
頬を染め、日向子が俯いた。
「以前、ご家族に心配かけたから、外出禁止だと思ったよ」
運ばれてきたコーヒーを口に運びながら康則は、からかうように笑う。
「大学生の従姉妹の家で試験勉強をすると言って、一度、従姉妹の家まで送ってもらったんです。従姉妹は私の味方なので、事情を話したら服を貸してくれて、ここに連れてきてくれました」
ガラステーブル越しに見た日向子は、少し大人っぽい服装だった。胸元が開いた黒のワンピースと、丈の短いジャケット。ワンピースの裾は綺麗な足が膝上まで見える、透けた生地だ。そして、つま先が細くヒールが高いエナメルの靴。
視線に気付いて日向子は、耳まで赤くなった。
「ちょっと、私には大人すぎて変ですよね?」
「えっ? そんなこと無いと思うよ……似合ってる」
「康則さまの私服も、とても素敵です」
日向子と二人きりになると、自分で自分の反応が予想できず困惑してしまう。しかし不思議と、居心地の悪さは感じなかった。
「そろそろ、出ようか」
まだ熱いコーヒーを無理に飲み干し、康則は席を立った。
店を出て、表通りを埠頭方面に二区画ほど進んでから脇道に入ると、揺らめく街明かりを映す黒い海が見えた。良昭が目印に記したビルの看板を見つけ裏に回ったところに、クラブの入り口を示すネオンが輝いていた。
『イビル マインド』……邪心とはまた、趣味が悪い店名だ。
腕時計を見て、待ち合わせ時間十分前を確認した時、ジャケット内ポケットの携帯が震えた。良昭からだ。
『件名/もう来てる?
本文/エントランス・カウンターにいる』
携帯をポケットに戻し、日向子の手を取ってアーチ型のイルミネーションの向こうにある扉に向かう。扉前に立っている黒服は二人に目を向けたが、何も言わなかった。場違いな年格好でない限り、入店拒否はしないようだ。
中に入ると、意外なほど落ち着いた内装だった。ウエイティング・バーとボックスに仕切られたソファー。クロークと、カウンター。外資系ホテルのロビーと、雰囲気が似ている。
康則の姿を見つけ、ソファーの一画を友人らしき数人と占領していた良昭が立ち上がった。落ち着いた色合いの康則とは対照的に、鮮やかなコーディネイトだ。
「や、二人でイイ雰囲気じゃね?」
良昭が意味深に笑うと、日向子が康則に掴まれた手を引っ張った。
「あ、あの、康則さま。手を、放していただきたいのですが……」
「え? ああ、ごめん。痛かった?」
「いえっ、痛くはないんですけど、その……」
康則が放した右手を左手で包み込んだ日向子は、そのまま後ろを向いてしまった。何か、悪いことをしたのだろうか?
「あーあ、まったく見てらんねぇ。ヤスの鈍さは、筋金入りだからな。まあ、そこが好きなんだけど。とりあえず二人とも、こっちに来いよ。メンバーズカード作るから」
カウンター前に立った良昭は、いつもより横柄な態度で康則を促した。「俺に任せておけ」と言いたそうな顔に苦笑しながら、体面に傷を付けては悪いので素直に従う。
身分が証明できるものを提示すると、未成年は藍色、成人は黒いICカードが渡され、施設内利用の会計が全て記録されるシステムだ。支払いは、クレジットカード限定になっている。
良昭は二人の分も支払うと言ったが、顔を立てて日向子の分は譲り康則は自分のカードを出した。未成年でも利用できる、オンラインデビットだ。
白く小さな顔と長い銀髪、カラーコンタクトで北欧系に装った美しいカウンター受付嬢は、康則が提示した書類とカード、学生証を見て小さく首を傾げた。そして「お待ち下さい」と言って、奥にあるドアに姿を消す。
何か、不備があるのだろうか? 鈴城の準備に手落ちは無いはずだが……。
少ししてドアが開き、精悍な顔付きで逞しい体躯の青年が姿を現した。仕立ての良いダブルブレストは黒ではなく、チャコールグレーのピンストライプだ。
「マネージャーの真壁です。鎧塚さまは、こちらのカードをご利用下さい」
うやうやしく両手で差し出されたメタルブラックのカードには、炎のような緋色のラインが入っている。
「ああ、なるほどね。そういうことか」
状況が飲み込めず、戸惑う康則の後ろで良昭が小さく呟いた。
「まあいいや、とにかく今夜は、楽しい夜にしようぜ?」
疑問を口に出来ないまま上機嫌の良昭に背中を押され、康則はエントランスの先にある暗い通路へと進んだ。
仄かなフットライトを頼りに、迷路のような通路を右や左に何度か曲がった。角を曲がるたび、一定のリズムを刻む低い振動が大きくなっていく。
やがて暗闇の先に乱舞する七色の光が現れ、振動は大音響の音楽と合体した。
通路の終着点は、三階の高さまで吹き抜けになった洞窟のようなフロア。巨大なミラーボールが映し出す熱帯魚のような陰影。原色LEDライトが明滅するステージで奏でられるR&B系バンドの軽快な演奏とダンスパフォーマンスに合わせ、波のようにリズムをとる大勢の人間。
圧倒されるエネルギーに、満たされた空間だった。しかも、そのエネルギーは精力と活力と生命力に溢れている。
「こういうとこ初めてだろ? 驚いた? シートは確保してあるから、バーでドリンク頼んで座ろうぜ」
壁際の螺旋階段からフロア二階部分に張り出したギャラリーに上がり、バーカウンターで飲み物を受け取ってからスタッフに案内されたボックスシートに座った。エントランスで良昭と一緒にいた友人達は、隣のボックスに座る。
改めて確認すると、良昭と同じ年齢か少し上に思える男性が四人。どの人物も精彩のない顔付きで、学園の生徒は一人もいない。
良昭がフードメニューの注文を待つスタッフを追い返したところで、康則は先制攻撃に出た。
「悪いけど、こんなに賑やかな場所で話が出来るとは思えないな」
すると、良昭は肩をすくめる。
「俺もそう思う。だから、ゆっくり話すために別の場所を用意してあるんだ。少し遊んでから案内するよ。ところで康則は鬼龍家の殿様と、こういうとこで遊んだりしねぇの?」
身を乗り出し挑発する態度が、康則を苛つかせた。黙っていると良昭は、したり顔で笑う。
「あ、もしかして答えたくないとか?」
「今夜は、良昭が俺を誘ったんだろう? 将隆さまは、関係ない。そんな事より、早く本題に入ってくれないか?」
「関係ない……か。ところが関係あるんだよね……」
含みのある言い方に冷静さを失いそうになったが、辛うじて抑えた。良昭は、康則の神経を逆なでする鍵が、将隆だと知っている。
「どう、関係してるんだ?」
グラスの氷を鳴らし、良昭は炭酸飲料を口に運んだ。
緊張が感じられる仕草に康則は、注意深く返答を待った。
「ホールを挟んで、このギャラリーの向かい側にガラス張りの部屋が見えるだろ? あれさ、ダーツやプールバーを備えたSクラスVIPルームなんだ。一ヶ月くらい前かな……そのVIPルームをリザーブして、隣のボックスに座ってる連中と遊びに来たんだよ。ところが部屋に入って三十分もしないうちに追い出されて、面目丸つぶれさ。他のVIPルームが空くまで待って欲しいと言われたから、ホールで待ってたんだけど……」
もったいぶるように良昭は、また一口、飲み物を飲むと真面目な顔つきになる。
「驚いたよ、俺たちが追い出された部屋のガラス向こうに、見覚えがあるヤツがいた。それが、鬼龍の殿様だったのさ。つまり俺達は、将隆さまに追い出されたって訳だ」
将隆が、この店に来ていることさえ知らなかった康則には、どう答えればいいか解らない。だがその一件が、良昭に何かしらの変化を与えたに違いないのだ。
「知らなくて、悪かった……将隆さまに代わって謝るよ。だけど、その事がどう関係してくるんだ?」
降参の仕草で両手を挙げ、良昭が笑った。
「あのさあ……なんでそこ、ヤスが謝るんだ? 自分が、その場にいれば殿様の機嫌を損なわず、俺に部屋を譲れたとでも言うのか? おまえ、何様のつもりだよ!」
いきなり良昭は語尾を荒げ、テーブルに拳を叩き付けた。二人のやりとりを不安そうに見守っていた日向子が、怯えて身を縮める。
良昭の態度に憤りを覚えながらも、康則は何も言えなかった。
「何様のつもりだ」という言葉が、胸を抉る。自分自身が解決できない問題を指摘され、悔しかった。
言い返せない康則に満足したのか、良昭は表情を緩めた。
「まあいいや……ブラックカードの事を知らなかった俺も、迂闊だったよ。とりあえず、せっかく遊びに来たんだからグラスを空けてホールに降りないか? 話は、それからだ。将隆さまのことも、それに……俺の秘密も教えてやるよ」
康則は、胸の内ポケットからカードを取り出す。
そうだ、なぜ未成年である康則に、黒いカードが渡されたのだろう? 良昭は、このカードの意味も知っているらしい。
何れにしても、言う通りにしなければ話してはくれないだろう。
仕方なく康則は、自分のグラスに満たされたジンジャーエールを飲み干す。良昭は、康則と日向子のグラスが空になるのを見届けて立ち上がった。
続いて康則も立ち上がろうとしたが、強烈なめまいに襲われシートに倒れ込む。
不覚だった。グラスに、薬が入れられたのだ。
歪んだ光彩の中に、歪んだ笑みを浮かべた良昭の顔が浮かび上がる。
「知ってたか、康則? おまえ、いつも誰かのために用心深く行動してるけど、自分の事に関しては不用心なんだぜ? それに何か負い目があると、素直になるんだよ。俺が恥をかいた話をしたのは、そのためさ。将隆さまの事がなければ多分、この店には来なかった。他人の用意した飲み物だって飲まなかったはずだ。これだけ鈍くて、迂闊な康則が、鬼狩りをしてるなんて信じられねぇよな……」
「いったい誰から、その事を……!」
再度、立ち上がろうとして康則はシートの肘掛けを握りしめた。だが、力が入らない。
しかも、いつのまにか良昭の仲間が両脇を固めている。
日向子が心配になり、霞がかかった視界に姿を探した。仲間の一人が抱え連れ去ろうとしているが、声を上げることも出来ない。
「おまえと、まともにやり合ったら勝ち目ないからな。薬に耐性ある場合を考えたら量は加減出来なかったけど、死ぬ事はないから安心していいよ? 酷く酔ったようになるだけさ」
必死に意識を呼び戻そうとする康則の耳に、良昭の声が響く。
「ヤス……おまえ俺のこと、疑ってたんだろ? でも、どこかで疑いきれなかったんだよな? 本当に、バカで、お人好しでさ……そんなおまえが大好きだから、殺してやりたいくらい、大嫌いなんだよ!」
「良……昭……」
「気をつけるんだな。おまえが知りたい相手は、近くにいるんだぜ……康則」
最後に聞いた言葉の意味を考える間もなく、康則は闇の深淵へ落ちていった。
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