第5話

 務めがあった夜は、なかなか寝付くことが出来ないのだが、昨夜は久しぶりによく眠れた。

 早朝に目覚め、すっきりとした頭で考えた。些細な疑問も問題も、一つずつ解決していけば必ず真実が見えてくるはずだ。自分が出来るのは、人脈を生かした地道な調査しかない。日曜日で時間がある今日は、情報を整理し考えをまとめてみよう。

 身支度をしながら携帯を開いた。将隆との連絡用にはメールも着信もない。普段使いの携帯には、良昭の他に数人の友人からメールが入っていた。相馬からの追信は無く、康則は安堵の息を吐いた。

 相馬は不確定要素が多すぎて、扱いあぐねる。

 リビングのカーテンを開けると、気持ちの良い快晴だった。朝食までは、時間がある。庭を歩きながら、今日の段取りを決めることにした。

 母屋の縁側から庭に出ると、スラックスの裾を朝露に濡らしながら執事の鈴城が若芽の剪定をしていた。

「おはようございます、鈴城さん」

「おはようございます、康則さま。お早いですね」

 いつものスタイルに作業着を羽織った鈴城が、剪定ハサミの手を止め顔を向けた。

「鈴城さんこそ、こんなに早くから庭仕事までなさるんですか?」

「新緑が見苦しいほど伸びてきたので、庭師を頼まなくてはなりません。どう指示するか考えていたのですが、お屋敷から見える範囲だけでも朝のうちに整えておきます」

 眉を寄せ、庭を見渡す鈴城に苦笑した。生真面目と言われる康則も、鈴城の完璧主義にはかなわない。

 現在二名の見習い執事がいるが、財務管理から仕事の窓口、交渉代理、はては厨房事から庭の管理までこなす鈴城の後を継ぐのは難しそうだ。

「昨夜、将隆さまは戻られたのですか?」

 康則の質問に、鈴城は少し首を傾げる。

「康則さまが存じ上げないのでしたら、わたくしは存じません」

 将隆の世話は、康則の仕事だと言いたそうだ。将成の忠臣である鈴城とは、雑談一つするにも神経が磨り減る。ただし、話の内容が仕事に関する場合は別だ。

 康則は気持ちを切り替え、業務だけを頼むことにした。

「蔵に保管されている古文書を調べたいので、鍵を貸して下さい」

「畏まりました。今すぐ、お持ちします」

 鮮やかな手つきで腰に付けた革ケースに剪定ハサミを仕舞い、母屋に消えてから数分もしないうちに鈴城は、鍵束を持って戻ってきた。

「書庫は……三号蔵です。以前、亜弥子さまに頼まれて御用意した物がありますが、御利用になりますか?」

 蔵番号を告げる時、少しだけ迷いがあった。優希奈の件が康則に知られた事を、万由里に聞いたのだろう。

 隙に付け込むのは気が進まないが、これまでのやり方で事態の進展はない。亜弥子の信頼が、康則の強気を後押しした。

「ええ、お願いします。ところで鈴城さんは、優希奈さんが変化した原因を知っていますか?」

 礼を述べてから、思い切って単刀直入に尋ねてみた。

「存じません」

 鈴城の仮面に、変化はない。

「選任の露払い、鎧塚清愁氏は知っているはずですね?」

「……」

「彼は何故、鬼になったのでしょう?」

 僅かな、動揺。

「清愁さまの件は、将成さまだけがご存じです。わたくしは朝の仕事がありますので、失礼しても宜しいでしょうか?」 

「ええ、どうぞ。引き止めてしまって、すみませんでした」

 この瞬間、康則に対する鈴城の認識が変わったようだ。何かを納得したように頷き、一礼してから母屋へ戻っていった。

 収穫は、あった。

 鈴城の反応から、清愁の死の真相に鍵がある気がした。

 しかし、何故? どうすれば、突き止められる? 

 鈴城の動揺と、会得の頷きの意味は……?

「康則さまの立ち位置が、我々のお仕えすべき当主を決めるのです。あなた様が、いつまでも将成さまに伺いを立てていては誰が当主なのか分からない」

 声がした方に身体を向けると、東門警備の久米が庭箒を手にして立っていた。

「立ち位置……?」

 久米は先ほど鈴城が剪定していたツツジの植え込みの間を抜けて来ると、康則の傍らに立った。口元には、穏やかな笑みが浮かんでいる。

「〈露払い〉の任に就いた者は主君を守るだけではなく、その正道を見極めなくてはなりません。主君に意見できる唯一の存在であり、組織の参謀でもあります。お若い康則さまに言葉で説明するのは難しいので、将成さまや鈴城さんは、見守っておられた。しかし最近になって、康則さまは変わられました。鈴城さんも、気が付いたようですね」

「いきなり……何を言い出すんですか、久米さん」

 不可解な言葉に、康則は狼狽えた。

「先んずれば人を制す……守りの体勢から、攻めの体勢になられた。上に立つには、必要な資質です」

 久米の言葉には、普段の態度からは想像もつかない気迫が込められていた。康則に向けて、真の務めを説いているのだ。

「自分には、将隆さまのあるべき姿を見極める役目と、その資質がある……」

「そうです、あなた様の資質を見抜き、将隆さまの露払いに推したのは清愁さまです。しかし慎み深い康則さまは、なかなか本領を発揮して下さらないので内心では、もどかしく思っておりましたよ」

 清愁が、自分を推した?

 新たな事実を知り、康則は我を忘れた。

「久米さんは、清愁さまを御存知なのですね! 清愁さまが鬼になり、将成さまに斬られた話は本当なんですか? お願いです、詳しく教えて下さい!」

 康則の質問を覚悟して、その名を出したに違いない。久米は迷わず、言い切った。

「私の本来の姓は鎧塚、久米は養子先の姓です。そして清愁は……私の弟でした。私は頭脳を買われて養子に出され、剣技の優れた弟が将成さまに請われ〈露払い〉の任に就きました」

 絶句した。

 言われてみれば、康則の記憶にある清愁と面影が重なる部分があった。茫然自失の康則に向かって久米は寂しげに微笑み、その肩に手を置く。

「事実は伝えられても、真実は伝えることは出来ません。真実は、将隆さまと力を合わせ自分の手で掴みなさい。そうしなければ、何も解決しないでしょう」

「自分の手で、真実を掴む……」

 康則は顔を上げて空を仰ぎ、大きく息を吸い込んだ。

 頭上には、雲一つ無い澄み切った青空が広がっていた。


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