第2話

 授業が終わると康則は、屋敷に一旦戻って自転車から制服のままオートバイに乗り換え、神奈川県警察本部に向かった。

 康則のバイクは、将隆が乗っているスピード優先のオンロードは違い、足回りと機動性を重視してオフロードだ。

 生徒の安全を考慮し、しばらく部活動停止となった事は助かった。生徒活動を、ほぼ無視している将隆に代わり、学校との関わりは康則が保っている。学校行事も部活動も、要領よく対処しなくてはならないのだ。

 今日の夕方までに届いた数件の警察資料は、良昭から得た情報を裏付けるに足りていなかった。警察内部にいる組織の者が、非公開の内部資料も送ってくれるのだが、自分の目で確かめたいことがある。 

 死体の、形状だ。

 実物からは、司法解剖の結果や鑑識からの報告では解らない、何かを感じることができる。だが、そのためには警察上層部の了解を得なければならなかった。

 駐車場にバイクを駐め、オフィスビルのような近代的で開放感のあるロビーに入ると、案内所の若い女性職員に刑事部・堀川警視正との約束を告げた。執事の鈴城に頼んで警察本部長と話を通し、先方から接触を指定された人物だ。

 案内を待つように言われロビーで目立たない位置のソファーに腰掛けた康則は、学生鞄からタブレットPCを取り出し、堀川氏のデータを呼び出した。

 データによると、なかなか癖のある人物らしい。昨年、刑事部長に就任したばかりで、ここ近年の〈業苦の鬼〉に絡んだ事件は担当していない。

 鬼龍家に対して、どの程度協力的か解らなかった。

「できれば、面倒な交渉をしたくないな……」

 堀川氏に関するいくつかのデータファイルを画面に表示してから、康則はタブレットをスリープモードにする。

「やあ君、どこかであったね? ああそうだ、叢雲学園高等部のチャリ置き場!」

「……正確には門の外ですよ、刑事さん」

 背後を見上げると、事件の朝に事情聴取をしていた県警捜査一課の刑事、相馬祐介が気安い態度でソファーに手をかけ笑っていた。相変わらずの安物スーツに、だらしなく緩んだネクタイ。だが外見とは裏腹に、どことなく、油断できない男だ。

 正面から、来ないところが気に入らない。まさか、PCの中身を見ようとしたのか?

「こんな時間に、警察で何をしているんだい? 学校は?」

「もう、授業は終わりました。昨日の事件のせいで、小学校みたいに一斉下校命令ですよ。ところでこれは、職務質問ですか?」

 康則が平然とした態度で答えると、相馬は苦笑した。

「悪かったよ、つい質問口調になるのは職業病なんだ。しかし、ここは普通の高校生にとって用のある場所じゃないからね」

 やはり気に入らない。「普通の」と言うとき、イントネーションを変えた。

「どういう、意味です?」

 真意を探るため不快感を露わにすると、慌てて両手を挙げ、かぶりを振る。

「だってほら、警察に用があるのは犯罪に関係……しまった、墓穴掘った。いや、その、つまり君は、ちょっと独特の雰囲気を持ってるってことさ。そうだな……昨年まで組織犯罪対策本部にいた俺の経験からすると、手強い相手ってところかな?」

 この刑事は、康則の仕事につきまとう死の匂いを、嗅ぎ分ける鼻を持っているようだ。

「捜査一課の刑事さんに、手強い相手と思われるのは心外ですね」

「将来性を看破したんだから、光栄でしょ?」

 組織犯罪対策本部と言えば、暴力団対策課のある部署だ。光栄どころではない。

「……将来、手強い犯罪者になるとでも、言いたいんですか」

「違うよ」

 相馬は、ニヤリと笑った。からかって、いるのだろうか。高校生と遊ぶ暇があるなら、真面目に捜査をしたらどうかと言いたくなった。

 口を開く前に都合よく、若い婦警が小走りに近付いてきた。

「鎧塚さんですね、ご案内します」

 康則はソファーから立ち上がり、相馬に軽く会釈をした。暇な刑事の戯れ言から、ようやく逃れられる。

「そういえば君の名前、聞いてたんだ! 鎧塚くん、俺は相馬っていうんだ、よろしくな!」

 相馬祐介、名前なら既に知っている。よろしくも何も、恐らく二度と会うことはないだろう。

 婦警の後を歩きながら康則は、背を向けたまま愛想程度に片手をあげた。

 案内されたのは、最上階にある展望室だった。

 堀川氏は、慎重派だ。この場所ならば誰に見られても、知人の息子の観光案内と言い逃れできる。

 三メートル四方ほどの一枚ガラスを填め込んだ展望窓が断続的に連なり、眼下にはコスモワールド、赤レンガ倉庫、大桟橋、山下公園、マリンタワー、中華街など横浜全ての観光名所が一望できた。

 夕闇が色濃くなり始めた埠頭に、次々と明かりが灯る。その美しいイルミネーションの中に一カ所、穴のような闇があった。大桟橋コンテナ倉庫のあたりだ。

 人気のない暗い倉庫群にうごめく邪悪な影を、康則は想像した。きっと、地獄の入り口にふさわしい様相だろう。

 ガラスに、人影が映った。

「話には聞いていたが……本当に君が、鬼龍家の……?」

 言いにくそうに言葉尻を濁した堀川刑事部長は、グレーのブランドスーツをきっちり着こなした神経質そうな人物だった。

 データでは四十七歳となっていたが、緩く後ろに流した髪は黒々として艶があり肌の血色も良いので、五歳は若く見える。

 身長は康則と同じくらい、細身でスポーツとは縁のない体型だ。体を張るより、頭を使って地位を築いてきたのだろう。

「初めまして、鬼龍家から来ました鎧塚康則です。お忙しいところ、お時間をいただいて申し訳ありません」

 低姿勢で挨拶をした康則を堀川は品定めするように眺め、また口の中で「話には聞いていたが……」と繰り返した。そして自分より遙かに格下と位置付けたらしく、急に胸を反らせ威圧的な態度になる。

「本部長、直の指令とはいえ……鬼退治をしている一族に協力しろだと? まったく、現実と掛け離れた話だよ。今回の事件も、マスコミが怪事件と騒ぎ立てているにすぎない。我々の手で犯人を逮捕すれば、特別でも何でもない事件だと証明できると思うがね」

 予想通りの反応だ。呆れる事もなく、腹も立たなかった。

 ただ、このような場合、相手を納得させる手段が好きになれない。面倒だな、と、小さく溜め息を吐く。

「失礼ながら死体を、ご覧になっていませんね? 直に見れば、司法解剖の報告書や写真では判読できない異常性を感じるでしょう。堀川警視正は今日まで、警察という世界において多くの残虐で悲惨な事件を体験されてはいませんか? その中には、どう考えても人間の所業と思えない、不可解な事件もあったはずです」

「不可解な事件など、ない。どの事件も犯行動機があり、犯罪実行の過程は明らかにできる」

「はたして、そうでしょうか?」

 康則は鞄からタブレットを取り出し、スリープを解除した。モニターには、数十件の事件リストが表示されている。

「これは、堀川氏が警察に入られてから各配属先で関わった事件、二十五年分です。リストにある三件の反転表示、ご記憶にありませんか? 一番古い事件だと配属先は山手署、階級は巡査部長ですね」

 わずかに、堀川の頬が引きつった。

「山下埠頭で若い女性の死体が発見された、未解決の事件。確認できたのは首のない胴体に繋がった左足、そして散乱していた右足と右手だけ。検死報告には、大型の動物……熊やライオンに喰い殺された状態に酷似していると記載されていた。しかも、その後の詳しい検査で歯形が人間と同じであると報告されています」

 康則は、声を落とし堀川を見た。

「ところが報告書は、信憑性無しと判断されて破棄、事件は迷宮入りとなりました」

「……犯人は、鬼だとでも言うのかね? 馬鹿げている」

「そう、結論を急がないでください。この事件では、女性の死体を直接見ていますね。我々の調査では、被害者の女性と堀川警視正は面識があったはずなのに、報告されていない。女性の職業が原因ですか?」

「いったい君は、何が言いたいんだ!」

 顔色を変えた堀川を無視して康則は、さらに幾つかファイルを開き提示した。

「殺された女性は、地元暴力団員の情婦でした。新しい恋人に説得され、堅気に生きようとしたため制裁を受けたのです。殺したのは、中央の写真の男。左の写真は、情婦に裏切られた恨みで〈業苦の鬼〉となった、同じ人物です。事件の翌日、鬼龍家の手で処分しました」

 食い入るように堀川は、モニターの写真を覗き込んだ。

 右上方に映るのは金色に染めたセミロングの髪、長い付けまつげ、ふっくらとした唇、小さな顎、低い鼻、あどけない面差しを残す二十歳くらいの女性被害者。プライベート写真だろう、Vサインを出して笑っている。

 中央には、細い眉と薄い唇、リップピアスをした表情の乏しい三十歳くらいの男性。こちらはおそらく、免許証写真だ。

 モニター左に映されているのは、鉤爪状の黒い角が眉間を突き破り、牙を剥いて双眼を血走らせた、醜悪な鬼の姿。処分前に、鬼龍の記録班が撮影したものだ。

「鬼龍家は、警察の介入できない事件を調査し解決する機関です。鬼の出現も、本来ならば早期に察知して被害を未然に防ぐのですが、万全を期したつもりでも不測の事態が起きてしまいます。この場合、迅速に処理するためにも、警察の協力が必要なのです」

 低く唸りながらモニターを見つめる堀川を観察し、納得してくれることを祈った。まだ協力を拒むようなら、次の手札を出さなければならない。癒着や不正を切り札にして脅すのは、一番嫌いなやり方だった。

「具体的に、どういった協力を求めているのか聞きたい」

 なるべく情報を出し惜しみたいようだが、堀川に上がる報告書の内容など、既に把握済みである。

「事件現場と、現物の死体を見せてください。それだけで結構です」

 しばらく考え込んでいた堀川は、取るべき態度を決めたようだ。モニターから顔を上げ、康則を見据えた。

 警察の立場として、外部機関に事件を委ねるのは屈辱だ。堀川の眉間に刻まれた皺が、苦渋の選択を物語る。

 諾か、否か。

 冷静に、堀川の表情を読む。態度は決めたが、威厳を保つ言葉を探しているようだ。あまり時間は取りたくない。康則が、返答を促そうとした時。

「部長、また、昨日と同じ状態の死体が見つかりました! こりゃあ、連続殺人事件の可能性大ですよ……。課長は対策本部を所轄から動かすために忙しいんで、代わりに俺が一報、持ってきました!」

 大声で報告しながら、展望室に一人の男が駆け込んできた。手にした資料を堀川に渡してから、ようやく第三者の存在に気がつく。

「あれっ、君……鎧塚くんじゃない? なんだ、部長の知り合いだったのかぁ!」

「また会いましたね、相馬刑事」

 外部の人間がいるかもしれない場所で、大声の殺人事件報告とは。相馬刑事の捜査マニュアルに、守秘義務の言葉は存在しないらしい。

 康則は、相馬の親近感あふれる笑顔に苦笑を返した。

「ところで鎧塚くん、この展望室からの夜景は、ぜひ見て欲しかったけど……これから堀川刑事部長と大事な仕事の話があるんだ。悪いね」

 子供は、家に帰れということか。

 優しく諭しながらも相馬の目には、有無を言わせない力があった。康則は視線を、相馬から堀川へと移す。堀川の目が、了解の意思を示した。

「鎧塚くんは、警察の依頼で特異な事件をリサーチする外部機関、鬼龍家の関係者だ。席を外す必要はない。詳しい報告を頼む」

「えっ? いや、しかし……彼は高校生ですよ? いくらなんでも、そんな無茶な」

「これは、命令だ」

 戸惑う相馬を、堀川は厳しい声音で一括した。だが相馬は、納得できないという顔で康則の顔を覗き込む。服装は野暮でも、間近に見た顔には刑事の鋭さがあった。

「鬼龍……ねぇ。噂には聞いてたけど、〈X―ファイル〉や〈フリンジ〉に出てくるような調査機関が実在するとは思わなかったな。それも君のような子供が? ありえねぇ……」

「相馬くん!」

「は、はいっ、すみません!」

 納得いかなくても、上司の命令に逆らえないのが警察の縦社会だ。くたびれたスーツの内ポケットから手帳を取り出し、相馬は渋顔で報告を始めた。

「えー、本日十七時四十五分頃、港南区K自然公園の大池遊歩道から五十メートルほど外れた雑木林で、施設管理人が女性と思われる死体を発見。地図は、渡した資料の中にあります。所轄が身元を確認中ですが、死体の損傷が激しく、時間がかかりそうです。ただ、被害者は私立叢雲学園高等部の制服を着ており、死体の状態は……昨日発見された坪井遥香と似ているようですね」

 相馬が、ちらりと横目で康則を見た。内心の動揺を、気付かれないように押し隠す。

 二人目の、犠牲者を出してしまった。想定外だ。

〈業苦の鬼〉は、人としての形を保つために人間を襲い、精気を吸い取る。暴力的な殺戮と血を好み、肉を喰らうようになるのは人としての理性を失い、末期を迎えた鬼になってからだ。

 餌となる人間は抵抗する力の弱い女、子供、老人が多いのだが、老人や子供は精気が少なく弱いため、必然的に若い女性が狙われやすかった。

 その昔、「渡辺の綱」に討伐された「酒呑童子」は、美しい青年の姿を保つために大量の若い娘の生き肝を必要としたらしい。だが大抵、若い女性の精気を吸い取った鬼は、おとなしく暮らす限り一ヶ月以上飢えや渇きをおぼえないはずだった。

「ふむ……対策本部の件は、捜一課長の北村くんに任せよう。相馬くんは、今から現場入りかね?」

 堀川は手元の資料を丸め、そのまま康則に手渡した。それを見て、相馬は眉間に皺を寄せる。

「班長以下数名が既に向かっていますが、報告がすんだら俺も行きます。……まさか、部長?」

「私の資料は別の者に用意してもらう。彼……鎧塚くんを同行し、早急に向かうように」

 溜め息と共に相馬は、肩を落とした。

「了解しました……じゃ、行こうか、少年」

「よろしくお願いします、刑事さん」

 あきらめ顔の相馬に、康則は謙虚な笑顔を向けた。




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