【第2章 青紫の少女】

第1話

 学校という場所は、治外法権に守られた世界だ。一般社会から隔離され、その絶対的な力に守られた学生達は、当たり前のように社会に出る前の自由を享受している。

 叢雲学園に続く私道入り口に、報道関係の中継車数台が停まっていた。登校してくる生徒を捕まえ、不審な死に方をした女生徒について何かしらの情報を得たいのだ。

 しかし学園の教職員や警察、我が子を案じる有力者が派遣したボディーガード等に阻まれ、レポーターは生徒に近付く事が出来ない。

 報道関係者と警察とボディーガードの睨み合いを横目に、康則は自転車を走らせた。

 昨夜は調べ物で、十分な睡眠時間が取れなかった。ケヤキ並木から漏れる朝日が目に染みて、涙が滲む。

 目頭を擦り、あくびを噛み殺す康則の横を、涼しい顔の将隆を乗せたセダンが追い抜いた。

 昨夜のやり取りで、今朝は気まずい空気になるかと思ったが、将隆の態度はいつも通りだった。そもそも普段、私的な会話も軽口を言い合う事も無いのだ。感情に左右された態度など、とりようもない。

「ヤス、おはよ~! なぁ、なぁ、TV局の中継車、見た? あれ、昨日の殺人事件の取材だろ? インタビューに答えると、やっぱり顔にモザイク掛けられるのかな?」

 教室のドアを開けた途端、鳴海良昭が康則の前に飛び出してきた。

「良昭……君はインタビューに答えたのか? そんなことしたら、また……」

 続く言葉を、康則はためらった。将隆に言われた「半端な覚悟で、深入りするな」が、頭の隅をよぎったからだ。

 良昭が、康則にまとわり付くようになった理由。その切っ掛けは、叢雲学園高等部・新入生入学式当日の、ある出来事だった。

 入学式の後、康則はインターハイで常に上位にいる剣道部の練習を見学するため武道館を探していた。あらかじめ頭に入れておいた校内案内図の通り、体育館と武道館を繋ぐ渡り廊下に出たところ、数人の上級生が前方を塞いでいた。

 制服のカラーに留められた校章の色は緑、二年生だ。威圧的な態度で、一人の新入生を囲んでいる。

「こんにちは、先輩方。武道館がどこか、教えてもらえませんか?」

 康則が声を掛けると、全員が一斉に顔を向けた。

 そして輪の中から、ひときわ体格の良い一人が進み出る。

「君の目は、節穴か? すぐ前にある〈玄武館〉が武道館だ。解ったら、早く行け」

 一年生から三年生、教職員から雑務まで、学園全ての人物データが頭に入っていた。

 この二年生は大手私鉄事業グループK電鉄の一族だが、それほど大物ではない。他の数名は取り巻きの小物だ。囲まれて萎縮していたのは外食産業で成功した新進企業、鳴海グループの社長子息である鳴海良昭だった。

 チビなので、入学式でも印象に残っている。

「教えて頂いて、ありがとうございます。ああ、ちょうど鳴海くんを探していたんです。先輩方の用は、もう済みましたか?」

 助けようと、思ったわけではない。ただ、理不尽な光景に不快感を抱いただけだった。

 相手が退いてくれる事を期待し、笑顔を向ける。しかしK電鉄は頬を歪め、取り巻きに目配せをした。良昭と康則を囲んで、少し大きな輪が出来る。

「いい態度だ……君たち二人とも、部活見学で武道館に来たんだろ? せっかくだから、体験していけば? 鳴海くんにも君にも、立場の違いを解らせてやるよ」

「立場の……違い?」

「そう、この学園に相応しくない者を、僕は認めない主義でね」

 二年生は輪を狭め、二人を武道館へと押しやった。

 康則は頭に、データを呼び出す。困った事になった、K電鉄は空手部の新主将だ。部活体験と称し、家柄や社会的地位の低い生徒を痛めつけるつもりなのだ。

 相手が高校総体優勝レベルであろうと敵ではないが、打ち負かす訳にはいかないし、痛めつけられるのもゴメンだ。学園に通う生徒の性質から、暴力沙汰は無いと踏んでいたのに、認識が甘かった。K電鉄は、負けず嫌いらしい。

 良昭は康則を見上げてドングリ眼をくるりと回し、自分の足を軽くたたいた。小学生に見間違えそうなほど小柄で童顔だが、気が強く足には自信があるようだ。

 体格のいい康則が、輪を突破すれば逃げられるということか……。

 了解の意味で笑みを返し、突破しやすい箇所と頃合いを見計らう。すると突然、輪の動きが止まった。

 先頭を行くK電鉄の目線を追うと、武道館入り口に掲げられた〈玄武館〉板書き前に、数冊の本を抱えた一人の新入生が立っている。

 鬼龍将隆だった。

「康則、図書館まで案内しろ」 

 波が引くように道をあけたK電鉄と二年生の真ん中を通り、将隆は渡り廊下から体育館へと入っていった。

 康則は良昭の背を押し、その後に続く。

 K電鉄は、もう何も言わなかった。

 この学園に入学する者は必ず、親兄弟や親族から「鬼龍家に関わるな」と警告される。理由の説明がなくても、有力者の子息令嬢は言外の意を悟るのだ。鬼龍家の不興を買う事は、一族の存亡を意味する事だと。

 将隆は入学式に参加せず、応接室で本を読んでいたはずだった。

 本は康則が職員に頼み、図書館で用意した。武道館に寄ってから、返却のため応接室に本を取りに行くつもりだったのだ。まさか将隆が、自分で返却に行くとは思わなかった。

 偶然とはいえ、結果的に助けられてしまった。

 自らの軽率な行動は反省すべきだが、この一件で学園内における康則の位置付けが確立した。鬼龍家の威光は、康則にとって仕事をするのに都合がいい。

 ところが良昭は、康則を特別な存在と思うようになった。

 特に気に入られようとして、へつらったり、機嫌を取ったりはしない。ただ、康則が知り得ない学園の情報や噂話、企業の社交関係などを、随時教えてくれるのだ。おかげで学園内の力関係に、かなり詳しくなった。

 子息令嬢の力関係は、そのまま社会の力関係に通じている。

「インタビューに答えてTVに出たら、また虐められるって心配してんの? 大丈夫だよ、そんなドジ、踏まないからさ」

 康則の思案顔を、自分に都合良く解釈して良昭が笑った。

「もう、ヤスに助けて貰わなくても大丈夫だぜ? でも俺、ヤスのためなら何でもするよ。何でも出来るよ。だから何でも、言ってくれよな?」

 珍しく真顔で、良昭は康則を見つめた。学園の女生徒が死んだ事件で、康則が何か調べていると察したのかもしれない。

「ありがとう。将隆さまを危険な目に合わせないために、情報が必要なんだ。よろしく頼むよ」

「おお、任せろ」

 良昭はドングリ眼をくるくると回し、鼻の穴を膨らませた。

 頼もしい……とは、とても言えないが、少し嬉しかった。友人との何気ない会話とは、こういうものなのだろう。

 将隆との会話には、常に張り詰めた緊張感がある。

「そう言えば今日、女子の姿が少ないね」

 話題を切り替え康則は、感傷的になりそうな気分を振り払った。

「そりゃそうだろ? 昨日の事件の後じゃあ、良家の御令嬢はお屋敷から一歩も出られないさ。まぁ、どこかの跳ねっ返りさんは別だけどね」

 良昭が顎で指した方向には、鞠小路日向子の姿があった。視線に気付いたのか、日向子は康則に顔を向けて、にっこりと微笑む。

 その気丈な笑顔が、とても綺麗だと思った。



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