第5話

 午前中に集めた情報は授業時間の一部を使って整理と確認を行い、昼休みを待って康則は学習室を訪れた。

 学習教室は別名〈朱雀館〉と呼ばれる科目棟五階にあり、HR棟の〈青龍館〉からは一階と三階がガラス張りの渡り廊下で繋がれている。

 眼下に広がる東京湾の眺望が美しい窓際の机で、将隆は本を読んでいた。

 熱反射ガラスを透過した、柔らかい光が浮かび上がらせる色素の薄い髪や肌、深く澄んだ瞳、高く細い鼻梁。西洋人形の佇まいは、外界の雑音をオーディオプレイヤーから伸びたイヤフォンで遮断している。

 闇色の髪と瞳、日焼けした褐色の肌。一般社会との関わりを、用心深く保とうとする自分とは対照的だ。

「刑事に、捉まったそうだね?」

 気配を感じ顔を上げた将隆は、悪戯っぽい笑みを向けた。

「……ご存じでしたか。今朝、裏門手前で幾つか質問されました」

 捉まった、と言われ康則は苦笑で応じたが、内心では不本意だった。

 不審な視線の正体と目的を確かめるため、自然な行動を心掛けていることくらい当然、将隆も知っている。知っている上で、揶揄しているのだ。

「では、件の概要もご存じでしょうから説明は省きますが……」

 戯れ言に取り合わない康則の態度は、少なからず将隆を興醒めさせたようだ。つまらなそうに、また窓の外へと視線を移す。

「死体の形状に、問題があります」

 まわりに注意を払い、声を落とした康則は改めて良昭から得た情報を伝えた。話の途中、窓に向けられた将隆の目がすっと細められ、瞳の奥に険が宿る。

「魔伏(マブセ)か?」

〈魔伏〉というのは鬼龍家が退治を請け負うような名家出の鬼ではなく、残虐な事件や殺人を犯した先祖を持つ一般家系に現れる〈業苦の鬼〉だ。

 鬼としては下賎で力も弱いため、主に鬼龍配下の下部組織が処理を行っている。

 名家出の鬼を人知れず葬ることで、鬼龍家には莫大な報酬が支払われていた。その資金を元に、一般人から現れる鬼を葬るのも鬼龍家の仕事だった。

 旭川・宮城・横浜・京都・長崎、五本の〈鬼斬り〉を元に組織化された一族は、横浜の本家を中心として警察や地回り組を利用し情報を集め出現を予想、監視と迅速な処理を行う。

 後援者に不自由はなかった。〈業苦〉を積み重ね、豊かな富と地位を得た一族が、いくらでも出資してくれるからだ。

 それが少しでも〈徳〉となり、鬼が出ないでほしいと願いながら。

 従って一般人の犠牲者が出たとすれば、鬼龍家の体面は丸つぶれだった。早急に対応し、鬼を狩らなくてはならない。

「お館さまに……将成さまに、報告しますか?」

 その名を出すことに躊躇いながら、思案顔の将隆に尋ねた。

 鬼龍将成(きりゅうまさなり)

は、体調を崩して引退した将隆の父である。床に伏すほどではないが、いまや激務に耐えられる身体ではない。

 将隆は僅かに眉を寄せ、鼻先で笑った。

「アイツに知らせる必要はないよ、我々の仕事だからな。警察と地回りは鈴城に任せて、おまえは犠牲になった生徒のまわりを調べろ」

「はい」

「俺は他の可能性を当たろう……病人の、出る幕じゃない」

 苦々しく呟いた将隆が、父親に快い感情を抱いていない事を康則は知っていた。表向きの場で、あからさまな叛意を唱えることさえあるのだ。

 近習の者達には当主となった気概と思われているようだが、瞳の奥に宿る憎悪を、康則は感じていた。

 しかしなぜ、そこまで父親を憎むのか? 理由は解らない。

「では、早急に」

 将成の話題にはこれ以上触れず、康則は一礼して踵を返した。すると、その背に将隆の声が掛かった。

「情報の出所は、例のチビだろ? 確か、鳴海とかいったな」

 思いがけない言葉に、足を止め向き直った。ゆっくり本を閉じた将隆が、口元に薄く笑みを浮かべている。だが問いかける視線は、鋭かった。

「……鳴海から得る情報は、早いのですが信憑性に欠けるので確認を取ってあります」

 康則の答えに、将隆の笑みが軽い蔑みを含んだ。どうやら良昭が康則にまとわり付いていることも、ご存じのようだ。良昭が懐くに至る事件に多少なりとも関わっているのだ、当然だろう。

「半端な覚悟で、深入りするな」

 それだけ言って将隆は立ち上がり、机から離れた。

 意味不明の言葉を投げられて、康則は呆然とする。良昭は便利な情報源だ。一定の距離を取りながら、上手く利用している。やり方が、気に入らないのだろうか? 

 どういう意味なのか、問う立場ではなかった。しかし釈然としない気持ちが、つい、別の形で言葉になった。

「万由里さんに、頼子さまの事を話されたそうですね」

 観音開きの学習室出入り口前で将隆は、肩越しに振り返った。

「話したよ」

「頼子さまと、親しかったらしく悲しんでいました」

「誰かから聞く前に、教えてやったんだ。俺が、殺したってね」

 表情も変えず、将隆は左手を軽く挙げてから扉の向こうに消えた。

 将隆の後ろ姿を見つめ、康則は両手を握りしめる。万由里の件は、言わなくても良い事だった。皮肉めいた言葉で、将隆に不快な思いをさせた。自分らしくない。

 将隆の残像から逃げるように、視線を窓に映した。外は風が強いらしい、学園を取り囲むケヤキ並木がざわざわと揺れていた。ケヤキ並木の向こうには、午後の太陽に眩しく輝く海が広がっている。

 暖かな日射しの中に佇みながら康則は、心中が急速に冷えていくのを感じていた。それが事件に対する不吉な予感なのか、他の何かを意味しているのか、解らなかった。


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