第4話

 思い返してみれば送迎車に似つかわしくない車が、私道入り口に数台止まっていた。目立つことを避けた、警察の車に違いない。

 教室に入ると、他にも事情聴取を受けたらしい数名の生徒が固まり、深刻な顔で話し込んでいた。


 何が、あった?


 学園内のざわつきに耳を澄まし、情報を集め、必要なら将隆に報告しなければならない。

 成績は中の上、スポーツも一通りこなし、気さくに誰とでも付き合う康則に表向きの友人は多かった。

 フレームのある眼鏡を掛けて長めに前髪を下ろしているのは表情を読まれないようにするためだが、かえって物静かで優しげな印象を与える役に立っている。

 康則の立場は「誰からも好感を持たれ成績も良いが、目立たず、出しゃばらない鬼龍将隆さま付き御学友」であった。

 どうやって話の輪に加わるか思案していたとき、一人の男子生徒が輪から離れニヤニヤしながら康則の机にやってきた。

「ヤス~! 聞いてくれよ! オレさ、今朝、刑事に事情聴取されちゃったんだぜ? スゲェと思わね?」

 鳴海良昭(なるみよしあき)は興奮気味に鼻の穴を膨らませ、小さな身体を康則の机に乗り出した。

「別に、思わない。俺も今朝、裏門で刑事に話しかけられたよ」

 軽くいなすと、良昭は大げさに肩を落とす。

「なんだ……じゃあ裏門使ってる生徒は全員、刑事に会ってるのかな?」

 どうやら格上の生徒が使う正門に、刑事はいなかったようだ。

 良昭は、大手外食産業会社の社長子息だ。家柄は格下でも、堂々と正門を使える規模の大会社である。

 しかし良昭にとって気兼ねなく朝の挨拶を交わす事が出来るのは、裏門を利用する生徒だった。

 十六歳にしては小柄だが、気が強く足が速い。ちょろちょろと話の輪に潜り込んでは、様々な噂話を拾って来て自慢そうに話してくれる。いまも机越しに大きな目をくるくる回し、何か言いたそうな顔で康則を見ていた。

 まるで、遊んで貰うことを期待している子犬だ。

「で? 何かあった?」

 背負い型の学生鞄から机の中に教科書を移しながら康則は、興味なさそうに聞いた。興味ありそうな顔をすると、もったいぶって情報を出し渋ると解っている。

 我が意を得たとばかりに、良昭の目が輝いた。

「それが、おっそろしい事件がさぁ……」

 良昭が聞いた噂話では、今朝六時頃に犬の散歩をしていた女性が学園裏手のケヤキ林で死体を見つけたそうだ。

 ケヤキ林の中には一般道から裏門に続く遊歩道があり、最寄り駅から徒歩で通う生徒の近道になっている。死体は、その道を利用して通っていた坪井遥香という学園二年生の女子生徒だった。

 目立った外傷や着衣の乱れはなく、死因も死亡推定時間も今のところ特定出来ないそうだが……。

「ココまでは誰でも知ってるんだけどね、オレは独自のルートで、さらに細かい情報を仕入れたわけさ!」

 さらに鼻の穴を膨らませ、大きく息を吐いてから話を続けようとした良昭の頭が突然、細い指に鷲掴みにされた。

「独自のルート? 第一発見者のお知り合いが偶然、良昭さんの近くにいらしたからでしょう?」

 もう一人の貴重な情報源が登場し、康則は口元を緩める。 

「日向子さーん、オレの身長コンプレックス刺激するのヤメテください! 縮んじゃう、縮んじゃうよ!」

 鞠小路日向子(まりこうじひなこ)は、わざとらしくジタバタ逃れようとする良昭の頭から手を離し、肩に掛かる長い黒髪を背中に払った。

 日本舞踊家元の令嬢らしく、すっと背筋が伸びた立ち姿が美しい。ただし学園内での行動と言動は、とても名家令嬢に似付かわしいものではなかった。

「康則さま、良昭さんの情報はもう皆さんが知っています。この方は教室に入るなり大騒ぎして、まるで春先の椋鳥のように煩かったんですよ?」

 二人の並んだ様相は、背の高い女王と小さな下僕だ。笑いを噛み殺し、康則は良昭に尋ねた。

「あいにく、俺の耳には入ってないんだ。教えて欲しいな」

 日向子に向けて精一杯の睨みをきかせたあと良昭は、打って変わった真顔を康則に向けた。

「いま、死因と死亡推定時刻は不明だって話しただろ? それってさ、死体の外見が特殊すぎて警察も頭抱えてるんだよ」

「特殊?」

 聞き返した康則の脳裏に、嫌な予感が走る。

「オレんちで働いてる家政婦のオバチャン、第一発見者の姉なんだけどさ。死体の肌がビーフジャーキーみたいな赤紫色で、カビみたいな苔みたいな緑色の模様が所々にあって、最初は枯れ木の上に制服が脱ぎ捨ててあるのかと思ったって!」

 そこまで一気にまくし立てた良昭は、大きく鼻から息を吸い、声を落とした。

「それが近付いてみたら、真っ白な目玉と歯が剥き出しになっていて、鼻とか耳からは真っ赤な血がダラダラとさぁ……え? どうしたのさ康則?」

 そんな馬鹿な……! 平静を失い、思わず腰を浮かせてしまった。

「あ、いやっ、良昭の話で日向子さんが倒れそうになってるから」

 口元に手を当て、真っ青な顔で立っていた日向子の足がふらついている。素早く立ち上がり、その肩を支えた。

「大丈夫?」

「べっ、別に……何でもありませんわ!」

 日向子のおかげで、何とか自分の動揺を誤魔化すことが出来た。

「へぇ……日向子さんは、こんな情報、もう知ってたんだろ?」

 まさしく鬼の首を取ったようにニヤニヤする良昭を、今度は日向子が睨む。

「先ほどは、これほど詳しく話されていませんでした。わざとですね? いいわ、覚えてらっしゃい!」

 気の強い美女は後が怖いとばかりに、良昭は肩をすくめた。

「あの……康則さま、もう平気ですから……手を、お離しになってください」

 小さく呟いた日向子から、康則は手を離した。少し顔が赤いのは、良昭に怒った為だろう。

「わたくし……昨夜は眠ることが出来なかったのです。昨夜、父とお付き合いがある方のお屋敷から火が出て、わたくしも知っている姉様と多くの方が亡くなられました。昨日は姉様の婚約披露宴で両親も招待されていたのですが、急に参列を取りやめたから大事なかったのですけれど……」

 高槻家のことだ。鞠小路家が参列を取りやめたのは、鬼龍家からの伝達があったからに違いない。

「とても穏やかな心情ではいられなくて、気分が優れないのです……」

「無理しないで休んだら? 迎えを呼んであげようか?」

「康則さまにお願いするなんて、出来ません! 自分のことは自分でしますから、大丈夫です!」

 切れ長の目に強い意志を込め、日向子は優美に微笑んだ。

 よほど気分が優れないのか、まだ頬が赤かった。

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