毒と薬とエデンの果実
日本人は何故
日本料理をあまり知らない外国人に、ふぐ料理を指差して、「この魚には致死量の毒があります」と言うと、必ずドン引きされます。
人によってはブチギレられます。
私達日本人は、ちゃんとした河豚調理師免許を持っている人が調理すれば安全に食べられると判っていますから、殆どの人は抵抗なく食べられますが、毒のある魚を食べないに越したことはありません。
同じ白身魚なら鯛や鱚など美味しい白身魚は沢山あります。危険を犯してまで食べるものでも無いと思います。
私は、毒があるからこそ美味しく感じるのではないかと思います。
旧約聖書にある人類最初の罪と罰は、エデンの園にある「禁断の果実」を蛇に
何かを摂取して、それが罪だと言われた最初の人間がイブであり、共犯としてアダムにも罪があると旧約聖書には書いてあります。
その果実が何かというと、不明である。ラテン語に翻訳された旧約聖書には「mali」と書いてあったため、それを名詞化した「malus」がその果実ではないかと考え、「malus=りんご」と考え、今では「禁断の果実」は林檎だと思われていますが定かではありません。
只、このラテン語は現在のラテン系語族にも継承され、「mal」=「悪い」と云う言葉として今も残されています。しかし、それがな何であったのかは未だに不明です。
しかし、食べたり飲んだりしてはいけない物があると人類は理解してきます。
死をもたらす毒草や毒キノコなどです。
イブが食べた果実はそういった毒を持ってはいませんでした。何故なら、イブもアダムもその後も不自由なく生き続けたのですから。
一方、人類は「食べたら死に至るもの」を学習してきました。
植物や動物に「毒」があることを学習したのです。その一方で薬になるものがあるということを学習しました。
薬と毒という両極端にあるものが存在する。
古代において、その両極端を意識していたか、毒と薬の区別がついていたのかというと、私はそうは思いません。
毒が悪で薬が善という考えは近代になるまでなかったように思われてなりません。
薬は勿論人の傷や病気を治癒する他に役立ちますが、毒もまた、鏃や刀に塗りこむことで、防衛力が格段に向上します。また、暗殺の手段にもなり、暴君を削除するための平和的道具とされていたのではないでしょうか?
しかし毒と言っても、青酸カリのように瞬時に死に至るような毒が自然界で存在するのは、極々稀です。
大抵は、痺れて動けなくなり、徐々に死に至る、というものばかりです。即効性のある殺人薬というのは自然界では極めて稀です。
それよりも外傷の治癒能力や消化器官の治癒や改善と云う効果がある「自然物」を薬として重宝していきました。
原始宗教ではシャーマニズムを主体とする宗教が世界各地にありました。
ある程度の人数を獲得した社会では、リーダーの力だけでは統制が取れなくなったためにシャーマンを政治の中心に置くことにより、統制と平和を保っていたのでしょう。
そのシャーマンが神や精霊を下ろすのに使っていたのが、幻覚剤等の麻薬です。
草や種、キノコなどを加工して幻覚剤や興奮剤、鎮静剤等を作っていました。
勿論、文明化されていない社会ですから、優れた精製は出来なかったでしょう。只単に、「気持ちよくなる」為のものではなく、またその必要もありませんでした。何故なら、神や精霊が下りればいいだけですから。
恐らく、気持ち悪くなったり、苦痛を伴ったり、副作用があったりしたのでしょう。シャーマンというものもキツイお仕事だったのかもしれませんね。
麻薬は原始社会ではシャーマンしか使わないものでしたが、やがて一般にも広がります。
麻酔効果や鎮静効果のあるものは「薬」として使われてきました。勿論、こういった薬に治癒能力は殆どありません。痛みや苦しみを一時的に排除する効果しかありません。
しかし、そういう知識のない非文明人達は効果があると思い込んで、薬として重宝してきました。
神降ろしや薬として以外にも麻薬は使われてきました。
祭りや戦闘前に処方されるアッパー系の麻薬です。
アッパー系の興奮剤などを人々が使えば、祭りは盛り上がるし、戦士が興奮すれば戦闘能力が上がります。
興奮効果と麻酔効果のある麻薬があったとしたらどうでしょう?
腕や脚をスパっと切り落とされても平気で襲いかかってくる敵がいたらアンデッドやゾンビみたいで怖いですよね。きっとすぐに戦意喪失して逃げ出すと思います。
そんな凄い薬があったかどうか分かりませんが、戦闘前にアッパー系の薬草などを服用して戦意を高めたことはあるようです。
戦争といえば、第二次世界大戦中にも大日本帝国は麻薬を使っていました。
太平洋戦争当時、夜間飛行する際に、飛行兵は覚醒剤を服用させられていました。
「ええ~っ、覚醒剤?」と言う人は多いと思います。
でも、事実なんです。
当時、アメリカは日本と比べ物にならないほど軍用機もあり、飛行兵もいましたが、大日本帝国はそうは行きません。
歩兵などに比べると飛行兵を教育するにはかなり時間がかかりますし、軍用機の価格は今も昔もとんでもなく高価です。
熟練した飛行兵が昼も夜も関係なく出撃されるのは致し方ないことでした。
何しろ飛行機です。眠ってしまったら、死んでしまう可能性が高い。
当時から自動飛行の技術はありましたが、戦争中ですからのほほんと自動飛行で飛んでいたら敵のカモにされてしまいます。
何が何でも起きていなければならなかったのです。
しかし、それでも国が覚醒剤を認めるのは如何なものかと思われますが、当時は町の薬屋で普通に覚醒剤が売られていました。
当時は「ヒロポン」といい、「疲労をポンと無くす」のでヒロボンという名前がついたそうです。
錠剤タイプや注射器で打つアンプルタイプも売られていたそうです。
ヒロポンだけでなく、モルヒネなんかも簡単に手に入れられたそうですから、ちょっと怖いですよね。
ヒロポンは鎮静剤、鎮痛剤、滋養強壮剤など幅広い効用で戦後まで使われていたそうです。
しかし、幻覚、幻聴、強迫妄想の副作用や強い中毒性が見つかり、製造・販売・使用が禁止されたそうです。
信じられないことですが、太宰の小説にはよくヒロボンという名が出てくるし、自分も使用していたと小説に書いています。
実際、彼は江ノ島の治療施設に入院していました。
こう書くと、「なんだ、覚醒剤は昔から公然と売られていたんだから、そんなに危険じゃないんじゃないの」と思う人がいるかもしれません。
しかし、覚醒剤が合法だった時代の小説化や芸術家の自殺や奇行が如何に多かったか。
太宰も、何度も未遂を重ねた挙句、自殺に成功しています。
恐らく、太宰は死ぬまで覚醒剤の中毒症状に苦しんだと思います。
原稿用紙にはいいことしか書かなかったのだと思います。
ヒロポンが無かったら、どれほど多くの芸術作品が残されていたでしょうか?残念でなりません。
覚醒剤の中毒性は、アルコールやタバコの比ではないそうです。
一度やったら、もう終わり。
そう聞かされています。
毒も河豚のようにスリルと舌先の刺激だけに納めれば良いのですが、そうはいかなくなるのではないでしょうか。
毒に魅せられた方はご注意を。
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