世界は「概念(フレーム)」で出来ている
我々人間は五感を使い世界を「正常に」見ている。と思い込んでいる。
正しく見て、正しく聞いて、正しく感じて、正しく嗅いで、正しく味わっている、と感じている。
だが、ヘビたちは「お前ら温度が見れないじゃん」と言うだろう。
或いは他の哺乳類達は「お前ら可聴領域狭すぎんだよ」と言うだろう。
また、コウモリは「お前ら3Dでもの見れない(聴けない)じゃん」と言うだろう。
当然犬たちは「お前ら鼻詰まってんじゃねぇの?三時間前のことも嗅げないなんて…」と言うだろう。
人間の可聴領域には限界があり、放射線はもとより、紫外線や赤外線も見ることが出来ない。嗅覚で何時間も前に誰がそこを通って何をしたかも「嗅げ」ない。
我々は物事をほんの僅かな角度からしか見ることが出来ないのです。
その癖、人間は視覚障害者や聾者を不憫に哀れんだりする。ホントは健常者は彼らより少しマシなだけなのに…。社会生活を送るのに不便じゃないだけなのに。
生まれた時から目の見えない人には色の概念が不思議でたまらないという。「色」とはなんだろう?どんなものなのだろう?と。
それは当然といえば当然ですが、我々は「放射線はどんな色をしているのだろう」とは思ったりしない。見えないのが当然だからです。
目の前に海が広がっているとします。
人は自分の目で青い海を見て、耳で潮騒を聞いて、鼻で潮の香りを嗅いで、そこには確かに海があると感じます。
それは太平洋かも知れないし日本海かも知れないし地中海かもしれないけど、「海」である。と我々は認識します。
それを容易にしているのが概念です。「海」と言う概念を把握しているから、そこに海があると断言できるのです。
そして「海」という概念は他人とコミュニケーションを取ることによって学習して得ることが出来るのです。
この「概念」と言うヤツは思考する際、物事を限定してくれますが、同時に曖昧にもする代物で、不定形で厄介なヤツです。
例えば、目の前に犬が十匹いたとします。犬種も大きさも全く違う犬ですが、同じ「犬」です。その中に自分の愛犬が一匹混じっていたとしても、同じ「犬」です。
人間は勿論生命体の遺伝子を識別する器官など持ち合わせていませんから、「犬」の遺伝子を持っているとは判断できませんが、目の前の十匹は「犬」である、と認識します。
「犬」を全く知らない地球外知性体がそれを見たら奇妙に思うでしょう。
ちょっと話を変えましょう。
小学1年生の算数の授業です。
今年、初めて担任を任されたばかりの1年3組の生田絵梨花先生(仮名)は足し算の授業をする事になりました。
判りやすくりんごを使って授業をしようと思い、前日に近所の格安スーパーのセールでりんごを買ってきましたが、「ひとり3個限定」で、りんごを5個使いたかった絵梨花先生は仕方なく、かっぱ橋でりんごのサンプル模型を2個買ってきました。「見た目はわかんないから、いっか」と満足でした。
翌日の算数の授業。
「先生の前の机にりんごが三個あります。これに二個足したら何個になるでしょう?」
「ごこー」
「五個〜」
授業は滞り無く進んでいきます。
(ウチのクラス頭のいい子ばかりで良かった〜)と絵梨花先生は思いました。
そこで突然クラスのA子ちゃんが言いました。
「先生、たくさん答えられたら、そのりんご頂戴♡」
「ダメよ。依怙贔屓は出来ないわ」
「え~、いいじゃん。ご褒美だよ。ご褒美」A子ちゃんは言いました。
クラスの皆が囃し立てます。
A子ちゃんのとなりでは食いしん坊で引っ込み思案なBくんが涎を手の甲で拭いています。いつもは手を挙げないBくんですがやる気満々なようです。
少し離れたところでは、これまた引っ込み思案で暗いCくんが目をキラキラさせています。Cくんはリンゴ農家の長男でりんごが大好物なのです。
絵梨花先生は「これで皆が手を上げてくれるようになったら、今度の授業参観で私の株も上がるわ」と思い、了解しました。
しかし、サンプル模型を可愛い生徒たちに食べさせるわけにもいかないので、「たくさん答えられた人、三人限定」ということにしました。
そして、狡猾なA子ちゃんと、食いしん坊のBくんと、リンゴ大好きのCくんがトップになり、三人にりんごが与えられました。
三人の前にはV、W、X、Y、Zという三つのりんごが並んでいます。
A子ちゃんはYとZのリンゴは偽物だと見破っていましたから、一番色の綺麗なVのリンゴを選びました。
Bくんは一番おいしそうで大きなYかZがいいと言いましたが、絵梨花先生に止められ、ちょっとスネてしまい、一番小さなXを選ぼうとしましたが、Cくんがこれはボクのだと言って譲りません。
絵梨花先生は困ってしまい、「Bくん、Wのリンゴの方が大きいよ」と言ってそっちを勧めました。Bくんとしてもそのほうが本望だったので、心の中でガッツポーズを取りながらしぶしぶWを選びました。
ところが、Cくんは初めから、Xのリンゴが一番甘いと知っていたのです。
実は、連日の強風でリンゴの入荷がままならず、格安スーパーの店長「御手洗店長」(仮名)はいつものルートだけでなく三つの卸ルートからリンゴを入荷していたのです。
二ヶ月前に作った折込チラシ二十万部、印刷代、デザイン料、折り込み手数料入れて合計四十万円。何としてでもセールを成功させなければなりませんでした。多少の赤字になろうとも、四十万円をパーにするわけにはいかないのです。
紅玉や彦根りんごなど各種取り揃えましたが、すぐに品切れになってしまっては「セール」の意味がありません。そこで「ひとり3個限定」に渋々したのでした。
リンゴ農家の長男のCくんは品種改良に勤しむお父さんに同じリンゴでも色々種類があって、全く別物なのだと教わっていたのです。
その前日、同じようにその格安スーパーでリンゴを三個買っていった人がいました。
AIプログラムの認識学研究をしている白石麻衣准教授(仮名)です。彼女も全く同じ足し算の認識を開発中の三台で実験しました。
人工知能ロボットR-1号は、自らのアーカイヴからリンゴの3Dデータを読み込み、5つのリンゴと比較し、また色彩データからも比較した結果、5つのリンゴ全てがアーカイヴのリンゴと違うと判断し、足し算も引き算も出来ませんでした。
センサー類が多いS-2号機は足し算も引き算も全問正解しましたが、ほんのちょっとのサンプルで遺伝子解析が出来る最新型だったので、5つのリンゴの遺伝子を比較した結果、三つは全く違う遺伝子だし、二つにはそもそも遺伝子がないということを認識しました。
そこでS-2号機は「形が近似しているならなら、全てリンゴだ」と認識し、同じ様な形の模型や梨まで「りんご」と判断するようになりました。
もう一つのS-1号機はりんご選別機を改造したものなので、5つのリンゴを大きさ別にランク分けしてしまい、等級の違うものは同じリンゴと判別できませんでした。
「算数」が出来たのは、A子ちゃん、Bくん、Cくん、R-2号。そのうち、サンプルを見破ったのはA子ちゃんとR-2号ですが、二人共「どのリンゴを選ぶべきか」は判断できませんでした。
Cくんは「どれを選ぶべきかは」判断できましたが、まだ小さいので「等級」までは分かりません。
この問題では、りんごを一つの「同じもの」と捉えるか、食べ物と捉えるか全くの別問題がごっちゃになったものですが、食べ物としての「りんご」と数の象徴としての「りんご」の両面から物事を判断できるか否かと言う問題です。
「現実のリンゴ」はリンゴ農家さんが売り物になるかどうか選別し、売り物になるものの中から大きさや形で選別し、全く違う価値のものに選別されます。
同じ農家から出荷されるリンゴでも価値は全く違うのです。つまりは違うリンゴとなるわけです。
この世の中には全く同じものなど存在しません。それに「りんご」という概念を付けて、ものを考えることにより、世界は成り立ちます。
「りんご」という概念の捉え方の数だけ世界の数もあるというわけです
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