本と本屋と出版業界

 一定の大きさの記録媒体の中に入るデータの量が多くなればなるほどその媒体は脆くなります。

 経年劣化を含め、データ損傷に一番強い媒体の代表が「壁画」です。これは何千年も残ります。衝撃にも強い。

 一方、一番脆い媒体はデジタルデータです。僅か数ミリ四方のチップの中に何冊分もの本が入ります。簡単に複写も出来ます。

 しかし、デジタルデータは複製する度にコピーエラー起こすし、何十ギガもある記憶媒体はある時突然読み取りができなくなったり、酷い時は初期化しても媒体が使えなくなることすら有ります。

 紙のコピーは複写を繰り返すと文字が変形し、読みづらくなりますが、デジタルデータの場合、モニター上では劣化状況は全く分かりません。少々、二進法のデータが変わっても問題なく機能しますが、限界を超えると突然機能しなくなります。皆さんも暫く使っていなかったDVD-Rを読み取ろうとして認識してくれなかったりしたことはないでしょうか。

 また、デジタルデータの場合、読み取りソフトのバージョンアップの問題も有ります。microsoftのOfficeやAdobeのPhotoShop等は古いバージョンで保存されたデータを新しいソフトで読み込めたり、その逆もできるよう配慮されていますが、同じAdobeでもAfterEffectsやPremierPro等はバージョン違いは読み取りできません。OSが代替わりすれば尚更そういう問題は起きやすくなります。今後、記録媒体が何十テラにもなれば、その可能性も更に大きくなります。


 岩盤にかいた絵や文字は何千年も経っても誰でも読めますが、デジタルデータの場合はそうはいかないのです。

 今、皆さんが読んでいる私のこの文章も何十年後かには物理的に全く読めなくなっている可能性があります。このクラウドサービスが閉鎖される可能性もありますし、クラウドサーバが太陽風の電磁波などで致命的にクラッシュする可能性もあります。

 そんな訳で、半永久的にデータを保存するには岩石を記録媒体にするのが最適なのですが、岩石は持ち歩くのはもとより、所有するのも困難ですよね。

 そこで、持ち歩きでき、皆さんのお子さんやお孫さんにも見せられるデータ媒体は何かといえば、「紙媒体の本」なのです。

 紙媒体ならコピー機でコピーも出来ますし、それがダメでも写本が出来ます。何よりもデジタル書籍は廃刊になれば手に入れることは殆ど不可能ですが、紙媒体の書籍なら古本屋などで購入は可能です。


 しかし、悲しいかな、紙媒体の書籍売上は落ちています。

 それは決してデジタル書籍のせいばかりではありません。


 まず第一に、原材料のパルプが年々高騰していること。「森林保護」等の理由も相まって、外国産のパルプ用木材の価格高騰を抑えることが出来ず、「本」の原価を上げているからです。

 第二に、ずい分前から始まっている文字離れです。昔、どこかの出版社が映画ファンの眼を書籍に向けようと、映画事業に躍進しましたが、焼け石に水。


 むしろ、大手書籍店が写真集や書籍が発売される度に行われる記者会見やサイン会の方が有力なのかもしれません。

 書籍店としては、本屋に客が来てもらえれば、何とか出来ると考えているようです。サイン会や記者会見だけでなく、「試し読み」する為の椅子を設置したり、店員さんのおすすめレビューを本棚に張ったりと、努力していますが、どうやらそういった努力は確実に活かされているようです。


 買い手側としては「いい本」は物質として手元に置きたいと思うものと、私は信じています。私も好きな小説は紙媒体の本として手元に持っておきたいと思っていますが、それは私だけではない筈です。

 では、面白い小説家が少なくなったのでしょうか?

 そうとも思えません。本を沢山読めば読むほど、買いたい本は必然的に少なくなりますが、面白い小説は次々に出版されているはずです。


 では、「本離れ」は何故治まらないのでしょうか?

 本離れ、文字離れは今に始まったことではありません。かなり昔に遡るようです。本離れが起こるようになった頃、一体何が起こったのでしょうか?

 調べてみると、その頃画期的な革命が起こっていました。


 デジタル革命です。

 と、言っても媒体のデジタル化ではありません。

 制作のデジタル化です。

 Illustrator、Photoshop、QuarkXpressの所謂、三種の神器のデジタルソフトが発売され、これらの(当時)業務用ソフトを搭載できるマッキントッシュがパーソナルコンピューターではなく、単なる「コンピューター」(つまりは業務用コンピューター)と呼ばれていた頃です。


 それまで出版物は全てアナログで行われていました。

 グラフィックデザインの学校に行った人なら、聞いたことがあると思いますが、出版物の文章は殆どが「写植屋」さんの手で行われ、デザインは定規やコンパスを使って行われていました。今でもQuarkXPressやInDesignに「級」や「歯」と云う単位が残されているのは、その名残です。一歯は0.25mmとミリ単位で計算すると計算しやすいので、今も残っています。

 昔は、書籍やグラフィックのデザインはガイドラインを引いたり計算して数値を割り出したりしてデザインしていましたが、今はそれをする人が少なくなっています。計算しなくてもデジタルならそれなりの見た目になるからです。

 どうして本文が14級でなければならないのか、どうして小口から挿入写真まで25.25mmアキがあるのか、説明できる人は少ない。何故かといえば、それらの数値を計算して出してないからです。

「なんとなく、これくらい…」的な。


 勿論、著名なデザイナーはそんなことはしません。今でもしっかり計算していますし、独自のデザイン方程式も持っています。そんな人の作品を見たら、誰でも素晴らしいと感じるでしょう。


 しかし、それをしない、或いは出来無い人が増えすぎています。

 日本語には、漢字、ひらがな、カタカナ、アルファベット、英数字と全く違う種類の文字が混合する言語です。

 そのままどれも同じようにベタ組すれば非常に読みにくくなってしまうので、読みやすくするためには「ツメ」や「組み」が必要となってきますが、今は全てソフト任せなので、気にしないのが現状です。

 昔は全て手作業だったので、文字を文書にするには一文字一文字ツメやアキを考えながら並べなければなりませんでしたが、今は文書ファイルをコピペして文字組設定するだけで満足してしまうようです。


 今、雑誌などを見ていると、たまに無意味に詰め過ぎていたり、あろうことか禁則処理されていない文章さえ見受けられます。

 ソフトの設定を「強制禁則」にしておけば、自動的に禁則処理されますが、約物が多過ぎたりすると、どうしても禁則処理されないものが稀に出てきます。手動で一歯か二歯アケるかツメるかしてあげれば、解決するのですが、それができていない。

 エディターの美意識欠如とプロ意識の少なさは否めないでしょう。


 書く側としては、本にするなら、ページ明けはこの部分から始めたい、とか願望があるでしょうが、編集側にはそんな心遣いは見られません。


 もっと美的感覚と編集者としてプロの意見が言える編集者が増え、本の製作に携わる人々が意見を戦わせて、「美しい本」、「読みやすい本」を作っていけば、本離れもなくなるのではないでしょうか?


 フイルムメーカーが化粧品を作るはめになったのは、デジタルカメラに負けたからではありません。フイルムの良さを主張できなかったからです

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