異世界に駆逐された恒星間飛行

最近、恒星間飛行物のSFが廃れ気味である。

今、私が書いているのが、所謂、恒星間飛行物なので、自分で書いていながらこんなことを云うのもおかしな話だが、ハッキリ言って「廃れ気味」である。

何故、「廃れ気味」なのか?

第一に、恒星間飛行のメカニズムの小難しい理論をそれなりに書かなければならないからである。読む方としても、小難しいことを長々語れてもうんざりするので読みたくはない。

第二に、手垢がつきすぎて、新しさがない。「ワープ航法」だの「ハイパードライブ」だの「重力波航法」だの、呼び方は色々あって、科学の進歩とともに「最新」の香りがする呼び方が呼ばれてるが、要は一緒である。

第三に、現実味がない。「ニュートリノ観察成功」だの「ブラックホール発見」だのと言う記事は信用のおけるメディアから流されているが、どれも実際に眼で見たわけではない。

何万光年も遥か彼方のブラックホールなど現実味がないし、近くで見たわけではないから、どんなものか想像すらできない。

「小型のブラックホールを超高速回転させて時空を切り貼りする」なんて話は錬金術にしか聞こえないのも無理は無い。


そこで登場したのが「異世界」だ。

異世界に行くのに何のシステムやメカニズムを説明する必要はない。

「何だかわからないけど、来ちゃった」というのがベストなのだ。

しかも、その「異世界」は現実の古今東西の文化や神話を借用できるという利点がある。元々ある素材に味付けをすればいいだけだからだ。

見たことのない異星船や異星人を描写する必要もない。

書く側からしても読む側からしても、とても楽である。


また、科学物には賞味期限がある。

「2001年宇宙の旅」は叶わぬ過去となってしまった。いつか科学は進歩して、現在の常識をくるっと覆してしまうのだ。

或いは、スペースシャトル計画が終了し、宇宙開発が停滞しだしたせいで、恒星間飛行など夢のまた夢となってしまった。

そんな虚しさを感じるのが嫌になったからかもしれない。


しかし、私は「人間とは何か」、「生命とは何か」、「魂とは何か」を問いただすのに一番適している分野だと思う。

だから私はSFが好きなのです

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