これを屁理屈で天邪鬼というなら、私はその屁理屈ぶりを見習いたい。
50センチの物差しという表現はしっくりきますね。
次々と風呂敷が拡げられていくのに、最後にすとんと収まりがつく感じが、読んでいて楽しかったです。
編集済
相生 薫 さま、こんばんは。
読ませていただいて、なんとなく腑に落ちました。
他の人からあまりきいたことのない考えですが、みんなも本当はそう思っているのではないかと感じます。
肌感覚というか、なんというか。
ただ、数学者や物理学者はちょっと違うのでしょうね。
もしかしたら、彼らは自身をそれほど信用していないのかも。
数字というものが人間を超えて、宇宙の外から見ている何者かに近づける唯一のものだと期待しているのでは?
宗教であれば、それは啓示や神的体験ということになるでしょうか。
時間は第4の次元であり、さらに多くの次元が存在して、それらは人間には知覚し得ない……。
けれど、より高次の存在には見えているはず……。
我々の肌感覚とはかけ離れた真実を、数字が照らして見せてくれる……。
そんなふうに思っているのではないでしょうか?
わたしについていえば。
数字が苦手ですので、憧れです。
笑
せなつ
追伸です。
人間が考えた概念に過ぎない数字。
たぶん、彼らはそれが世界の根本に通じると信じているのだと思います。
自分たちは宇宙の真理を見ることができない。
理解することができない。
けれど、真理が照らされた時の影は、数字という形で人間にも感じることができる。
そんなふうに。
まあ、わたしの感想に過ぎないのですが。笑
真理がどんな形で、あるのか、ないのか。
それも問題です。
もしかしたら、真理は概念に過ぎないのかもしれません。
作者からの返信
コメント有難うございます。
「数字」というのは人間が考えだした「概念」です。
物でもなければ現象でもありません。只の「概念」に過ぎません。
人間の創りだした概念が何処まで真実に近いかは不明です。
人間の科学は人間が近くできる範囲においてのみ有効です。
きっと、何世紀か後の人々は我々の未熟さ加減を笑っているでしょうね。確実に。
私の頭じゃついてけないからか、物理や数学の世界は音楽に通じてるように思えます
不思議ね、思考へというより感覚へダイレクトに浸透してくるちゅうか
理工系の人に一度なってみたいもんだ どんな風に世界を近くしてんだろう…