第10話 仕組まれた罠
「ふぃるしゃまぁー、おかえりなしゃーい」
仕事がようやくひと段落ついて帰ってみると、甘ったるい声でいつも以上に可愛いクリスが出迎えてくれた。
「どうしたんだい、これは?」
困った様に付き人のフィオナに尋ねる。
「えっとですね、実は大奥様が貰ってこられたこちらを召し上がられまして……」
同じく困った様にフィオナが一つの小箱を差し出してくる。
「あー、やっぱりかくしてるりゃないのー」
「いけません、これ以上召し上がられてはお体に障ります」
余程クリスに渡してはいけないものなのだろう、いつも丁寧に接している彼女が体全体を使ってクリスの動きを止めている。
「これってチョコレート?」
受け取った小箱の中身を確かめてみると、そこには丁寧に小分けされた黒いチョコレート。こんなものでクリスが可愛くなるのなら別にあげてもいいんじゃないかと思えるが、どうも正常とは思えない様子も少々気がかりだ。
体にもしもの事があるようなら、今ごろ屋敷中が大騒ぎだろうから安心できるが、いまいち原因が分からない。取り敢えず食べてみない事にはわからないので一つを取り出しパクリ。
「ん? もしかしてお酒が入っているの?」
「そうらしいのです。大奥様もご存知なかったようで、気づけば奥様が半分ほど食べられてしまわれ、このような状態に」
口の中で柔らかく溶けると、中からワインの風味がフワッと広がった。
それほど多い量ではないので沢山食べたからといって酔う事なんて無いと思うのだけど、酔っちゃったって事だよね? クリスってチョコレートとケーキが大好きだからなぁ
「うぅー、ふぃおなのけちー。ふぃるしゃまならくらさいますよねー」
「うん、あ、いや今日はもうやめておこうね。」
余りの可愛さについつい一つあげようと取り出したら、フィオナがすごい勢いで睨めつけてきた。僕っていちおこのお屋敷の主人なんだけど……いや、それだけクリスの事を思ってくれているんだからと自分に言い聞かせる。
「取り敢えず今日は疲れたから早めに休もうか、食事は取ってきたからベットの用意をしておいて」
このまま暫く見ていたい気持ちも大いにあるが、他のメイド達の視線がやたらと痛い。ここは素直に休ませた方がいいだろう。
手短に用意されていた湯浴みを済ませ、クリスの待つ寝室へと向かう。
そこには疲れ切ってしまったのだろうか、一人ベットの真ん中でスヤスヤと寝息を立てているクリス、その姿がまた可愛すぎてついつい表情が
メイド達が部屋から引き上げたところで、改めて気持ちよさそうに眠る彼女のほっぺをぷにっと突いてみる。
「うにゅー、ふぃるしゃまだぁー」
「ごめん起こしちゃった?」
起きるとは思わなかったけど、これはこれで何かいいな。
「ふぃるしゃまー、きすしてー」
「え、えぇー」
キス、今キスっていったよね? いやいや、今のクリスは酔っ払っている状態だから自分で何を言っているか分からないんだ。
うん、だからキスしても分からないよね?
「じゃ、じゃぁするよ」
「はーい」
そう言って目を瞑りながら顔をこちらに向けてくる。
うん、少し罪悪感はあるけど夫婦なんだから問題ないよね。
唇と唇を合わせると柔らかい感触が伝わって来る。クリスも先ほどよりもますますトロンとした表情で、そのまま僕の上に乗っかってくると
「わたしはふぃるしゃまのころもがほしーれす」
ん? ころも? ころもころも……
「って、子供!?」
「あい」
正解を引き当てた事でとびっきりの笑顔を僕に向けてくる。あぁやっぱり可愛いいなぁ、両親が領民の為という事で決まった結婚だったけど、今では引き合わせてくれた事に感謝しているくらいだ。
それにしても子供が欲しいって、今のこの状態では流石にまずいでしょ。せめて素面の時ならまだしも、酔っ払って本人が知らない間に進めちゃうのは罪悪感どころでは済まない。
「クリス、それは今度でどうかな? いや、別に嫌な訳じゃなないよ、寧ろ今すぐにでも子供はほしいけど、今日は君も酔っ払っちゃっているからさ、って聞いてる?」
「スゥー、スゥー」
必死に言い訳をしているって言うのに、いつの間にか僕の上に乗っかったまま寝息を立てて眠っている。
暫くこのままにしておきたけど、これじゃ僕が眠れないからね。そっと隣に来るよう移動させる。いつもなら二人の間はもう少し離れているが、明日から三日間公爵様の付き添いで王都をはならなければならないので、今日はたっぷりクリスの可愛さを充電しておかないと。
そっともう一度だけホッペにキスをして眠りについた。
***************
イタタタ
目が覚めると一番最初にズンズンとした頭の痛さが伝わって来る。
あれ? 私いつの間に寝ちゃっていたんだっけ? 昨夜の記憶が途中からスッポリ抜け落ちてしまっている。メイド長がまだ来ていないところを見ると、いつも起きる時間より少々早いようだ。
それにしてもこの頭の痛みは何だろう?
ふと隣に目をやるとスースー寝息を立てて眠るフィル様の姿。いつもならもっと二人の距離は離れているけど、何故か真横に来ているので少々驚いたが、眠っていた位置的にどうも私から近寄っていったみたいだ。
それにしてもカッコイイよね、こんな人が私の旦那様だなんて未だに信じられない。お仕事をしている時も素敵だけど、寝ている表情まで素敵ってどうなのよとは思うけど、これはこれでちょっといいかもね。
私はフィル様が眠っている事を確かめてから、そっと顔を近づけてホッペにチュ
「コホン、おはようございます奥様」
ブッ、今の見られた!? いやいや落ち着け、ここは天蓋付きベットでレースのカーテンで中身が見えていないはず! そう見えていない筈なんだ!
「お、おはよう」
必死に冷静を保つよう返事をする。ここで返事に戸惑うようなら問答無用でカーテンを開けられてしまうだろう。
心臓の音が収まるのを待ってから自らベットから起き上がる。
朝の支度はフィル様を起こさないよう、私の部屋でする事になっているので、メイド長の案内で部屋を移動する。
「奥様が旦那様の事を好きなのは分かりましたので、こういうことは私たちの見えないところでやってくださいね」ぼそり
フフッ
「も、もしかして見えてました?」
「はい、カーテンを通して丸見えでした。」
きゃーーー、やっぱり見られてたーーー
「心配されなくても私一人が楽しむだけで、誰にも申し上げませんので」
「あ、ありがとう。出来れば綺麗さっぱり忘れて欲しいのだけど……いや、いいです」
メイド長ってユーモアなところもあるのだけど、なんだかお母さんみたいでちょっと苦手なのよね。
「えっ、フィル様今日から出張なの?」
朝のお稽古が終わり昼食後のティータイムを楽しんでいたら、メイド長がそんな事言ってきた。
「朝食の時にフレディが言っていた筈ですが?」
あぁ、言われてみればそんな気もしないが、なんせ朝は頭が痛くてそれどころではなかったのだ。
「それじゃお帰りは三日後って事になるの?」
「そう伺っております」
んー、結婚当時は何とも思わなかったけど、最近一人の夜って何だか寂しいのよね。隣にフィル様がいるって分かっているだけで安心してしまう私がいる。
三日間かぁ、お義母様からシロを借りて一緒に寝ようかなぁ。
フィル様の代わりがシロと言うのも何だけど、一人っきりより余程安心して眠れる。そもそも部屋の一つ一つが大きいからいけないのよ。
そんなどうでもいい事を考えていたら私の元に一人のメイドがやってきた。
「奥様、その、奥様にお会いしたいと言う方が来られておりまして」
「私に?」
私に会いに来るといえばリゼット義姉様ぐらいしか思い浮かばない。だけどメイドの反応からしてどうも可笑しい。
「誰が来られたの?」
「それが、マーサと言う方で、何でも以前奥様のお隣に住まわれていたとかで」
あぁー、お母さんと暮らしていた時のお隣さんがそんな名前の人だった。確か旦那さんが賭け事やお酒が大好きで、いつもお母さんに泣きついて来たっけ。
「多分私の知っている方だと思うから、こちらにお通ししてもらえる?」
訪ねて来た理由は分からないが、小さいころは色々お世話になった事もあるんだし、このまま会わずに返すのも失礼にあたるわよね。
「お久しぶりでございます叔母さま」
「え、あぁ、久しぶりね。それにしても凄いお屋敷で暮らしているのね」
マーサさんは余程珍しいのか、部屋中を落ち着きなく見渡している。
まぁ、下町に暮らしていれば驚くのも当然だと思う。私だって最初は驚いたし未だになれない事も多々ある。
「それで今日はどういったご用件でしょうか?」
「えっ? あぁ、用件ね。そうそう、実は貴方のお母さんが突然黒服の男性に連れて行かれたのだけど、心当たりはあるかしら」
「えっ、何ですかそれ?」
思ってもいなかった内容で動揺が隠せない。黒服の男性で思い当たるのは父の商会ぐらいだが、可能性としては大いにありすぎる。
「わ、私も良く分からないのよ。ただ、只事ではなかったようだから貴方に伝えに来たの」
「わざわざ有難うございます。後はこちらで調べてみますので」
「そ、そうね。それじゃ確かに伝えたわよ、私はこれで帰らせてもらうわ」
「もうですか? せめてお茶の一杯でも」
何だか座っても落ち着かない様子のマーサさん、いくら大きなお屋敷に来ているとは言え、いくらなんでも緊張しすぎじゃないだろうか。
「い、いえ結構よ。本当にごめんなさいね」
それだけ言い残すと足早に帰って行った。
「フィオナ、悪いんだけどシスターエマの所に行って、お母さんとロズワード商会の事を調べてもらうよう頼んでもらえるかしら?」
「分かりました、すぐに行ってきます」
「お願いね」
私との契約があるので、父がお母さんの事をどうかするとは思えないが、もし本当に黒服の男性に連れて行かれたのであればすぐに助け出さなければならない。
今すぐお母さんの所に向かいたいが、下町に伯爵家の馬車で駆けつける訳にもいかないし、私一人で向かう事はメイド達が許さないだろう。
この時、私がもう少し冷静に判断出来ていれば、なぜマーサさんは私がここで暮らしていると知っていたのかと、深く考える事も出きただろうに。後になっては後悔するばかりでしかない。
私はただ流行る気持ち抑えながら、フィオナの帰りを待つしかできなかったのだから。
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