ダクト

「―――このように、昔、私達の祖先は地上に住んでいたのです。しかし、大きな戦争があって、彼らは地下へと逃れました。そうして、はじめはただの箱だった核シェルターを、より快適に暮すために様々な開発を進め、ついには地下に巨きな帝国を創りあげたのです。その初代皇帝を…」

 このディスクを聴くたび、ミュレンはドキドキと胸が高鳴るのを感じていた。初めて図書館で見つけた時は、不思議に水の色をしたケースと、ガラスの海の写真のついた説明書に魅かれて、一度聴いた後は、もう忘れられなくて、何度も何度も借り聴きし、半年分の小遣いを蓄めて、ようやく手に入れたのだ。他のものなら手にしたとたんに飽きてしまって、納戸の隅に追いやられるわけなのだ。が、この歴史ディスクだけは違っていた。何しろ、このディスクを聴きながら眠った夜は、青い空とまぶしい太陽とどこまでも続く草原と清涼な小川とが四季折々の姿で、香り入りの音入りで夢に出でくるのだ。その中でミュレンは、走り泳ぎ……疲れたらむせかえるような草と土の香りの中で眠るのだ。

 地上そとへ行きたい。ミュレンがそう思うようになるまで、そう時間はかからなかった。

 憧れだけがミュレンを支配していた。しかし、反重力シェルターの旅行に行けるほどミュレンの家は裕福ではないし、放射能検索隊に入るにはまだ幼すぎた。が、好奇心は満たされることのみを求め、胸いっぱいに広がっていた。

「……地上って、まだ人類が住めないのかな。戦争なんてもうずいぶん昔のことなのに。」

 ミュレンはため息をつきながらつぶやいた。

「五百年後になんなきゃ放射能が消えねんだろ。まだ人類どころかゴキブリだって住めねんじゃないか?」

大金持ちダイジンになるか、科学者キチガイになるかしか、今の地上へは行けないね。」

 友人達は嘲笑いながら言った。

「ああ、そういえばさぁ、脱獄犯が逃げ場に困ってダクト昇って“外”へ出るっつー映画があったっけなぁ。……そうそう題は……えっとぉ、『自由への廻帰』だったかな?」

「んなアホなぁ~」

“ダクトを昇って地上へ……”そうだ。何でこんなカンタンなことに気付かなかったんだろう。危険性まるっきり無視の映画の内容を笑いとばす友人達の声はもう、ミュレンの耳には届いていなかった。


 都市間高速道インターシティを少しはずれたイースト・ウッドのグリーン・ゾーンのはずれっこに“DANGER”と黄色地に黒文字で描かれた鉄製の扉がある。排気ダクトの検査口だ。

 ミュレンは、この扉に近付きドア脇の計器盤の鍵を磁石でこじ開けると、中にある扉の電子ロックを解除した。そして、震える手でノブを掴むと、ゆっくりと右へ回した。あの話をきいた夜、ミュレンは“地上旅行”を実行に移したのである。

 扉は音もなく向う側へ開いた。扉の内側は鉄製のハシゴと所々に大人がやっと歩けるくらいの通路がある円筒で、遥か上の方に向かって伸びていた。

『この上に……』

暗い天井を見上げるミュレンの目には、地上の美しい夜空が映っていた。

 物理室からちょっと拝借してきた放射線検出機ガイガーカウンターをしっかりと腰に結わえてから肩ひもをかけると、ミュレンはハシゴに手をかけ、一歩、そしてまた一歩と段を昇っていった。外を夢みて、地上の幸福のみを、夢みて……そして心の片隅に放射能の恐怖を感じながら……

 天井が近付くにつれ、圧迫感がひしひしと襲いかかってくる。しかし、スイッチの入ったG・Cガイガーカウンターは沈黙していた。

「まだ、大丈夫。」

 自らを力づけながらミュレンは天井へと向かう。扉はすぐそこまできていた。

 天井近くの最後の通路へ足を降ろしたミュレンは、柵越しに下を覗いてみた。遠くかすんだ灯りがぼんやりと地上したを照らしている。

「深い。何て深い所に住んでいたんだ。」

ミュレンは地下の深さに目眩を感じながら独り言った。もとより、話相手はいない。“孤独”の重圧に一瞬、負けそうになって、ハシゴへ戻ろうと手を伸ばした。が、外への扉が彼を呼ぶのだ。もう少しだ、と。

 引寄せられるように最後の扉へ近付くと、ゴクリと唾を飲み込んで、ミュレンは扉に手をかけた。

 この外に、僕の“地上あこがれ”がある。

 ミュレンは高鳴る胸を押えて少しづつゆっくりと扉を開けた。


 どこまでも続く草原と青い空と真昼の太陽が彼を迎えてくれた最初のものだった。

 ああ、夢で見た通りの、美しい自然。

 ミュレンは大地への一歩を踏み出した。

 G・Cは全く黙ったきりだ。もう地上に放射能はないのだ。

 嬉しくなってミュレンは駆け出した。青い海に向かって―――。


 某国の軍事衛星“たんぽぽ”が、地上を映しだしたスクリーンに生命反応を見出だした時、核弾頭付ミサイルをつんだカタパルトが静かにゆっくりと動きだした。

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