落ちる瞬間
世の中確かに便利になった。そう、便利になりはしたんだが……
ジョン・ギルバートはオートコントローラーの前に座ってぼんやりと何も映っていない画面を見つめていた。
『ボタン一つであなたの部屋へ何でも揃います。―――オーロラ商会―――』
新しいもの好きのジョンが、これだ!と思って数年前に購入したこのオートコントローラーは食事から女まで何でも出してくれる。初めのうちは物珍しさが先に立ち、何だかんだと注文しては出てくるものに満足していた。しかし、便利なものも慣れてしまえばただのキカイ、無味乾燥な料理にもドア・トゥ・ドアの車にももう飽きてしまったのだ。女ですら人格がなく話題もないただのコンピュータでも抱いているように無機質なのだ。
「―――飽きた……。」
彼はポツリとつぶやくと、ふらふらとイスを離れ、部屋を出た。僅かばかりの携帯食糧だけを持って。
エレベーターが小さなモーター音をたてて下っていく。
エントリーホールを過ぎ、駐車場を過ぎても彼はエレベーターを降りなかった。エレベーターは静かに下へ向かっている。
軽い落下感の後、ようやくエレベーターの扉が開いた。
途端に異臭が鼻を突く。屎尿と汚泥の入り混じった不衛生極まりない空気が充満している。ここは最下層。スラムの真直中だ。ジョンは少し顔をしかめると、泥だらけのエレベーターホールに降り立った。
ホールにたむろしていた青年達が一斉に白い目で彼を迎えた。彼等がいつも侵入者に対してそうするように。彼等にとってジョンの地位や立場など何の意味もない。上層部に住んでいるというだけの、いわばたんなるカモでしかないのだ。また、彼等にとって、こんな楽な相手はほかにいない。ほんの少しからかってやるだけで何万という大金を落としていってくれるのだから。
彼等はいつものようにポケットに手を突っ込み、うすら笑いを浮べてジョンに近付いてきた。口の中でクチャクチャと音を立ててガムを噛みながら。
「何しにきたんだいオッサン。」
ニキビ面の少年が座った眼をして言った。それを制するようにボス格らしい青年が続けて言った。
「何もしねぇから金だけおいて帰んな。オッサンみたいなお上品様の来るよーなトコじゃねーぜ。そら、ケガしねーうちによ。」
ジョンは黙っていた。もとより、金を要求されても彼は何も持っていない。出そうにも出せないのだ。
虚ろに遠くを見ていたその目に光が戻った時、彼は闇雲に青年達に突っ込んでいった。
真中でジョンをねめつけていた少年の腹にジョンの頭がヒットし、カエルが潰されたような声をあげて少年が尻餅をついた。
「……やろう……」
それまでヘラヘラとだらしのない笑みを浮べていた青年達の眼に生来の残虐な影が落ちた時、はじめてジョンは正気を取り戻した。
声にならない声をあげて背を向けたジョンに、ボスの手の中で光るモノが弧を描いて吸込まれていった。
一瞬、苦痛の表情を見せたジョンの背に紅い花が散り、
どぉっと音を立てて倒れこんだ。極上の笑みをたたえてながら……
―――ああ、死ぬことすらこんなに簡単になってしまった
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