アゲイン

「あーくさくさするっ!」

 真由美がポーチを振り回しながら空を仰いで言った。

 椿は何か面白いものでも見るような眼で真由美を見ている。

「何よぉ」

 ぷっと頬を膨らませた真由美に椿はにやにや笑いで答えた。

「もぉっ」

 拗ねたような甘えたような声で言い放つと真由美は勢いよく歩き始めた。

 雨上がりの空はどこまでも高く、空気は清浄で、うっすらと汗ばむくらいの暖かい陽気に初夏の訪れが感じられる。すっかり葉になった桜が、青い匂いを辺り一杯に香らせていた。

「真由美さぁ、何がそんなに面白くないんだ?」

「いろんなこと」

 つっけんどんに言い放った真由美は2・3歩歩いて振り返り、詰問するような口調で言った。

「まーだわかんないわけ?」

「何がぁ?」

「もぉ、いい。やっぱ覚えてないんだから」

「?」

 全く覚えがないが、真由美にとって今日は特別な日らしい。椿はこれ以上機嫌を損ねないよう話題を変えようとした。

「ドライブにでも行くかぁ?」


 国道17号を北へ走る。ドライブってのは案外いいい手だった。お陰で真由美は上機嫌で喋りまくっている。天気はいいし、車の調子も悪くない。平日のせいか人も車も少なく、絶好のドライブ日和だ。

「ねぇ…変よ」

「何が?」

 いい気分を邪魔する奴だ。

「人がいないわ」

「平日なんだからそんなもんだろ」

「違うのよ、歩いている人も、1台の車もないの」

「いいんじゃないか、飛び出しもない、車もない…ん?」

 椿は急ブレーキをかけ、辺りを見回した。商店がある。コンビニもある。車も止まっている。だが、誰もいない。レジの中にさえも…

 ゆっくりと車を路肩に寄せると、ハンドルに突っ伏して考える。何か、何か変だ。

「でも、ま、いっか。いこ、椿」

 真由美はもう気にしてないとでもいうようにラジオをつけた。ムーディーな音楽が流れてきて、心に何か引っ掛かるものを感じながらも椿は車を発進させた。


「嬉しいな、とぼけちゃっててもちゃんと覚えててくれたんじゃない」

「何を?」

「今日のこと」

「ああ、うん」

 またやばい話になってきた。椿ははっきり言って未だに今日が何の日だか解っていなかった。

「あれも一種の記念日だもの、覚えててくれただけで嬉しい」

 眼前に聳える峠を越えると、高原に出る。とりあえず滝にでも行ってお洒落な店にでも入れば今日が何の日だか解らなくっても真由美はご機嫌になるだろう。早いとここの峠を越しちまおう。

 椿はスピードを上げて山道へと車を滑らせた。

 車は峠に入り、うねうねと曲がる道をタイヤを軋ませ尻を振りながら登らせる。

 不意に、雲の中にずっぽりと包まれたように濃霧の中に突っ込んだ。

 乳白色の霧の中、つけたばかりのフォグランプの黄色い光が先を照らす。

 ぼんやりと木の輪郭が黒く見える山道をスピードを落として進んでいる……つもりだった。

 カクンと足下がおぼつかなくなり、遥か下の方に町の灯を見た、気がした。

(もう一度やり直せるなら、今日が何の日か思い出してやれたかもしれないのに……)


 椿は晴天の下、ポーチを振り回しながらズカズカ歩く真由美と肩を並べていた。

                           D.C(ダ・カーポ)



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