第10話 一葉の古文書


 それは、あたかも祖国防衛の点で多くのことが放っておかれたかのようだ。わたしたちはいままでそのようなことに気を配らなかったし、仕事に夢中になっていた。しかし近頃の事態を、わたしたちは憂患している。

 城下の広場に靴屋の仕事場を持っている。わたしが夜明けに店を開けるとすぐに、もうこの広場に通じるあらゆる小路の入口を軍隊が占領しているのが見える。それはしかし、わたしたちの兵士たちではなく、明らかに北方の遊牧民なのである。わたしには理解できない方法によって、国境からとても遠く離れているのにも関わらず彼らは首都に這入り込む。いずれにせよ彼らは現にそこにいるのだ。日ごとにその数は増えているようにみえる。

 本性に従って彼らは自由な空の下に宿営する。というのも彼らは現地人を嫌悪しているのである。剣を鋭くし矢を尖らせ馬の訓練に携わっている。この静かな、いつも隅々まで清潔に保たれた広場から彼らは実際的な家畜小屋を一棟建てた。確かにわたしたちは時折自分の店から出ようとしたり、せめてひどく汚いゴミくらいは捨てようとするのだが、そういったことがますます稀になっていく。というのもその努力は役に立たないどころか粗暴な馬の足下を通ったり、あるいは鞭で怪我をさせられたりといったような危険に晒されるからだ。

 遊牧民と会話をすることなどできない。わたしたちの言語を彼らは知らないし、また自分のそれもほとんど持っていないのだ。彼らは互いを恐喝のような声で意思疎通し合う。なんどもこの恐喝の叫びが聞こえる。わたしたちの暮らしぶり、わたしたちの秩序は彼らにとっては取るに足らないことで理解されない。そのため彼らは、どんな信号言語に対しても拒否を示す。きみが顎を下げても手首を振っても、彼らはその意味がわからないし、決してわかろうとはしない。しばしば彼らはしかめ面をつくったり、白目を回転させたり、口から泡をふくらましたりするのだが、それによって何かを言おうとしたり、驚いたりしようとするわけではないのだ。そうするのが彼らの流儀だからするのだ。必要とするものなら、奪うのだが、暴力を行使しているとは言えない。彼らが這入って来るのを避けて、すべて彼らに譲渡することになるのだ。

 またわたしの貯蔵からも彼らは多く良質のものを奪った。しかしそのことを嘆くことができないのは、たとえば向かいの肉屋の惨状を見つめるときである。商品を入荷するとすぐに、もうすべて強奪されてしまい、遊牧民らに食われてしまう。馬もまたその肉を食うのだ。しばしば馬と隣り合って騎手が同じ肉塊を両端から食べて腹を満たしている。肉屋は不安で、肉の仕入れを止めようとは決心しない。さらに、わたしたちはそれが分かっているので、金を集めて支えてやっている。もし遊牧民たちが肉を手に入れられなかったら、あいつらが何をしようとするかなど誰にわかるというのか。むろん毎日肉を得たとしても、彼らが何を考えているかなどわかるはずもないのだが。

 最近肉屋は、せめて屠殺の苦労だけは省けると考え、朝に生きたままの雄牛を運んできた。もう二度とそんなことを繰り返してはならない。おそらく一時間ほど、すっかりと仕事場の一番奥の床にぴったり横たわって服と布団とクッションすべてをわたしに覆いかぶせ、一心に雄牛の悲鳴を聞かないようにした。四方八方から遊牧民が飛びついて歯で温かい肉を噛んで塊を千切ろうとする。静かになってもうながいこと経ったから、わたしは外に出る決心がついた。酒樽のまわりの酔っぱらいのように彼らは眠たげに雄牛の残骸のまわりで寝ていた。

 ちょうど当時わたしは皇帝その人を宮殿の窓のひとつに見ていたのだと信じていた。いつもはこの外向きの部屋に来ることは決してなく、いつも内部の庭園でのみ生活しているのに、今回は、少なくともわたしにはそう見えたのだが、窓辺のひとつに立って、うなだれ、城下の動きに目を向けていた。

 「どうなるのだろうか?」とわたしたちはみんなで尋ね合った。「どのくらいこの責め苦を耐えることになるのだろうか? 皇帝の宮殿は遊牧民を魅了するが、あいつらをまた追い払う術はわかっちゃいない。門は閉ざされたままだ。朝早くに門番はいつも祝祭のように行進して、入ったり、出ていったりして、格子窓を背後にして立ち塞がる。わたしたち職人や仕事人に祖国の救世が委ねられているのだ。わたしたちはしかしこのような課題を解決することはできないのだ。またけっしてその能力があると自慢することもやはり決してないのだ。わたしたちの能力を見誤っているのであり、そしてそのためにわたしたちは破滅する」

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