第7話 田舎医者 Ein Landarzt

ほんとうに、どうしよう。ある緊急の用向きが差し迫っていた。重症患者がひとり、十マイル先の村でわたしが来るのを待っているのに、二人の間を激しい降雪が満たしていた。車はあった。軽くて車輪が大きくて、わたしたちの国道にうってつけのやつだ。毛皮の外套に身を包み、お医者鞄を手に持って、準備は万端、もう中庭に立っていた。なのに馬がいなかったんだ、馬が。わたし自身の馬は昨夜、このとても寒い冬のなか働かせすぎたせいで亡くなった。いま女中は村中を駆け回って、馬を一匹かして貰おうとしていた。しかし望みが無いのはわかっているし、どんどん雪が降り積もって、どんどん身動きが取れなくなっていって、目的もなく佇んでいた。門のところに女中が現れたが、ひとりで、カンテラを振っていた。もちろんのことだが、こんな走行のために自分の馬を、誰が貸してくれるというのだろう。もう一度わたしは中庭を通り抜けねばならなかった。なにもできることはないということに気がついた。上の空なのに苦痛のあまり、脆くなった扉を蹴った。もう何年もつかっていない豚小屋の扉だ。それがひとりでに開いて、蝶番が開いたり閉まったりした。すると馬のような温もりと匂いがこちらへ伝った。その中で濁ったカンテラが縄に吊られて揺れていた。男がひとり、背の低い小屋に身を屈めたまま、みずからの開かれた青い目をした顔を指差した。「繋ぎましょうか?」と彼は尋ね、四つ肢で這ってきた。何も言えないまま、ただ身を屈めて小屋のなかに何があるのか、見ようとした。女中はわたしのとなりに立っていた。「どんなものが自分のお家に貯えてあるのか、人は知らないものね」と彼女は言って、ふたりで笑った。「オー、兄弟、オー、姉妹」と馬丁は呼ぶと、二匹の馬は、腰つきのがっしりした巨大な獣で、ぞろぞろゆっくりと進む。身体にぴったりと肢があたり、形の良い頭を駱駝のように下げて、胴体を回転させる力だけでひらいた扉から出ようとしてそれを塞いでしまった。けれどすぐに直立し、肢を高くあげた。不透明な蒸気をあげる身体のままで。「手伝ってやって」とわたしは言って、従順な女中は急いで馬丁へ車に取りつける馬具を手渡そうとした。しかし近づくと、こいつは女中を抱きしめ、顔を押しつけた。彼女は叫んで、わたしのもとに逃げてきた。頬っぺたには、歯列がふたつ赤く刻印されている。「けだものめ!」とキレて叫んだ「笞を喰らいたいのか?」しかしすぐにこう考えた。こいつは見たことがない。どこから来たのかも、自発的に急を救ってくれるのかも分からない。他のみんなが拒絶しているのに。こいつがわたしの考えていることがわかったように、わたしの脅しを嫌悪せず、どころか一回だけこちらを振り返っただけで、ずっと馬に従事している。「乗れよ」と彼は言って、ほんとうに準備は終わっていた。わたしの記憶にはこんなに美しい家畜で走行したことなどなかったから、すぐに乗り込んだ。「運転するのはわたしだ、お前は道を知らないからな」とわたしは言った。「確かに」とこいつは「私は行きませんよ、私はローザのもとに残りますから」「いや!」とローザは叫んで、運命の逃れられない正しい予感のなかで、家へ駆けこむ。扉のチェーンが鳴る音が聞こえる。彼女が閉めたのだ。鍵が掛かる音も聞こえる。廊下と部屋を走り抜け、全ての灯りを消して、姿を隠そうとするのが見える。「一緒に来るんだ」と馬丁に言って、「でなければこの走行は止めだ、急いでいるけど。お前に駄賃としてこの娘をくれてやろうなどと思わない」「いけい!」と彼は言った。手を叩き、流れに運ばれる材木のように車は引きずられていく。家の扉が馬丁の攻撃によって裂き割れたような音が聞こえた。目や耳のひとつの器官から全ての感覚へと均等に低いうなりで満ちた。しかしそれもたった一瞬だった。というのも、わたしの中庭の門のまえに病人の中庭が直接開かれているかのように、わたしはもうそこにいるのだ。落ち着いた様子で馬は立っていた。雪は止んでいた。月光があたりを照らしていた。病人の両親は急いで家から出てくる。妹が彼らの後ろからついてくる。車からほとんど持ち上られたかのようだ。会話はこんがらがっていて、なにも理解できない。病人の部屋の空気はほとんど吸えたものではない。放っておかれたコンロが煙を発しているからだ。窓を開け放ちたいな、でも先ずわたしは病人を見る。華奢で、熱は高くも低くもなく、虚ろな瞳で、シャツも着ずに、布団のしたの少年は上体を起こし、わたしの頚にぶらさがり、耳へ囁く。「ドクトル、僕を死なせてください」わたしは辺りを見回した。誰も聞いてなかった。両親は押し黙って前かがみになって、診断を待っていた。わたしの手荷物のために妹は椅子をひとつ持ってきた。鞄を開けて、器具類を探す。少年はつねにベッドからわたしを手探りして自分の願いを思い出させようとした。わたしはピンセットを掴み、蝋燭の灯のなかでそれを験してまた置き直した。「そうだ」と悪態をつきながら考えた「こんな事態に神々は助けてくれる、いなかった馬を遣わせ、急いでいたためにもう一匹付け加え、過剰にも馬丁をも与えてくれる。——「いまもまたローザのことが気にかかる。何をしよう。どうやって彼女を救おう。どうやってこの馬丁のもとから彼女を引き摺りだせるのか。十マイルも遠く離れて、私の車につながれた統御できない馬たちでか?」この馬たちは、どうにかしてベルトを緩ませた。どうやってだかわからないが、外から窓を開けて、それぞれ頭を窓に挿し込み、家族があげる叫び声に動じず、病人を観察している。「すぐに帰ろう」とわたしは考える。馬たちはわたしに走行するように要求しているようだった。しかし、わたしが熱さでぼうっとしているのだと考えたのだろう、妹がわたしの毛皮を剥ぎ取るのを許してしまった。ラム酒が一杯わたしに用意され、年寄りが肩を叩いてきて、彼のお宝を差し出すことでこの親密さを正当化する。わたしは頭を振って、老人の偏狭な思考範囲には嫌悪を催すことになるだろうという、ただそれだけの理由で飲むのを断った。母君はベッドのそばに立ってわたしを呼び寄せる。それに従って、天井へと大きな声で馬がいななくあいだに、頭を少年の胸にのせた。少年はわたしの濡れた髭のしたで慄然としている。わたしの判断は正しい、少年は健康で、すこし血色はわるいのは心配性の母親がコーヒーを飲ませ過ぎたのだろうが、それでも健康であって、一突きしてベッドから出してやるのが最善だ。わたしは世界を良くするものではないから、彼を寝かせておくがな。わたしは県から雇われていて、できるだけ義務は遂行している、ほとんどやり過ぎなくらいだ。劣悪な支払いでも惜しみなく、貧しい者たちに対して協力的だ。まだローザを心配せずにいられないし、それなら少年も正しいかもしれない。わたしも死んでしまいたい。終わりのない冬のなか、こんな所で、わたしはどうすればいいんだ! わたしの馬は亡くなった。わたしに馬を貸してくれるものなどあの村にはいなかった。豚小屋から家畜を出さなくちゃならない。もし偶然、馬じゃないなら、雌豚どもで走行しなくちゃならないところだ。そんなふうだ。そして私は家族に向かい頷く。彼らはそのことについて何にも知らないし、もし知ったとしても、信じないだろう。処方箋を書くのは簡単だが、そのほかの点で彼らを納得させるのは難しい。いまや、ここでわたしが帰ったとしても、慣れたことだが、また無駄に努力で、わたしの家のベルを夜に鳴らし、県全体がわたしを責めさいなみ、さらに今回はもうローザを差し出してしまわなければならなかったのだ。この美しい少女は長年わたしに顧みられずに、わたしの家に暮らしていた——この犠牲は大きすぎて、この家族に襲いかからないようにするために、わたしは彼女を自分の頭の中でなんとか一時しのぎとして事細かに整理しないとならない。彼らにはどんなにしたってローザを取り戻すことなどできないのだから。わたしは鞄を閉じて毛皮をよこすよう合図すると、家族は寄り集っていて、父親は手に持ったラム酒のグラスの匂いを嗅いで、母親はわたしに恐らく失望して——けど、この人たちは何を期待しているんだ?——涕に溢れて唇を噛みしめ、妹は重い血だらけのハンカチを濯いでいる。わたしはこの状態のもとで少年がひょっとしたらやはり病気だと認める準備がなんとなくできている。わたしは彼のもとに歩き、わたしがすごく濃いスープを持ってきたかのように彼は笑いかける——ああ、いま二匹の馬がいななく。上司に指令されたかのように、騒音はおそらく検査を容易にしたのだろう——いまやわたしにはわかる。彼は病気だ。右の脇腹と腰のあたりに手のひらくらいの大きさの傷がひらいている。薔薇ローザは、色合いが多様で、底が暗いのに縁にいくほど明るくなっていく。細かくてざらざらしていて不均等に寄り集った血によって日中の鉱山のように開いている。離れているとそう見える。近づくとより重症だということがわかる。見つめるのに口笛を吹かずにやってられるか。虫が、固さと長さはわたしの小指くらい、でみずからも赤くてそのうえ血をはねとばして、傷のなかにしっかりと貼りつき、白い頭と多い肢で光へと身をよじっている。可哀想に、少年、きみを助けることは出来ない。わたしは君の大きな傷を見つけた。脇腹のこの花のために、きみは死んでいく。ご家族は幸福だ、わたしが作動しているところを見られるのだから。妹はそのことを母親に、母親は父親に、父親は数人の客に、彼らはつま先立ちで腕を伸ばして重心をとって、開かれた門から射し込む月光を通して家に入ってくる。「僕を助けてくれるの?」とむせび泣きながら、少年は囁く。傷のなかで生きるということに眩惑されていた。わたしの周りの人々はそんなふうだ。いつも医者に不可能なことを要求する。古いミサ服を牧師は破り捨て、家々をあとにする。しかし医者はその華奢な外科的な手でもって全てを果たすように望まれる。いまや、それが求められているようだ。わたしは申し出ないのに、あなたたちは私を聖なる目的のために使い果たす。わたしはいいようにされている。わたしは、なんと善性を欲していることだろう。この老いた医者が、女中が盗まれているのに! そして家族と村の年寄どもが近寄り、わたしの服を脱がした。学校の歌唱団が先生とともに家の前で先頭に立ってある極端に単調なメロディーを歌った。こんな歌詞だ。

 「服を脱がせ、そうすりゃ治療する気になるだろう、

  それでも治療しなけりゃ、殺してしまえ!

  ただの医者だ、ただの医者」

 わたしは脱がされているあいだ、指を髭のなかにいれ頭をうなだれて静かに人々を見ている。わたしは落ち着いていたし、みんなよりも優れていた。それは変わることはなかったが、何の助けにもならなかったのだ。というのも今わたしの頭と足をとって、ベットへ運んでいくからだ。壁側の、傷のある脇腹のほうへ寝かせれる。そうしてみんなは部屋から出ていき、扉は締められる。歌声は黙す。雲は月に被り、暖かく毛布がわたしにかけられる。影になって窓の孔につっこんだ馬の頭が揺れている。「ねえ」と聞こえる、耳に発される「僕はきみを全然信頼してない。きみはどこかで振り落とされて、自分の脚で歩いて来たのではないんだ。助けるんじゃなくて、僕の死の床を狭めに入ってる。きみの瞳を掻きだしてやりたいぜ」「うむ」とわたしは「恥辱だな。うん、でもわたしは医者なんだ。どうしてほしい? 信じてくれ、わたしもまた楽ではないんだ」「この謝罪で満足しろと? ああ、おそらくそうしないといけないんだな。いつも満足しなきゃいけないんだ。美しい一輪の傷とともに僕は世界へ参入した。これだけが一緒だったんだ」「若い友よ」と「きみの欠点は、遠くを見ないことだ。わたしは、もういたるところすべての病人の部屋にいたことがあるから言うが、きみの傷はそんなに酷くない。鍬を二発、鋭角に喰らってできたんだ。多くの人が脇腹をやってしまうし、鍬の音はほとんど聞こえないし、いわんやそれが近づいてくる音をや、だよ」「ほんとう? それとも熱のある僕を騙してるの?」「ほんとうさ。医師として誓約して行くよ」彼はそれを受け入れて、鎮まる。しかしもう自己防衛を考える時間だった。まだ忠実にも馬がさっきのところに立っていた。服と、毛皮、鞄を手早くひったくる。服なんて着てられるか、馬が来た時のように急いでくれれば、このベッドからわたしのベッドにある程度は飛べるわけだ。従順にも、一匹の馬が窓に曳かれ戻って来た。わたしは車に荷物を放り投げた。毛皮は遠くに飛び過ぎて、片袖だけが馬のくるぶしの関節部分に引っかかった。充分だ。わたしは馬のうえに乗ってよろめいた。馬は糸をゆるく引き摺ってもう一匹の馬とほとんど繋がっていないのに、車の後ろからついてきて、雪の中、毛皮が最後尾につけた。「いけ!」しかし行かない。ゆっくりと年寄りの人間みたいに雪原をゆっくり引き摺っていった。ながく私たちの後ろで、新しい誤った歌が子供たちの声で鳴った。

 「喜べ、お前たち、患者ども

  お医者さんがお前たちのベッドへ横になった!」

 二度とわたしは家に帰れないだろう。わたしの華やかな仕事は失われた。後任者が私から盗んだ。しかし利益はないだろう。というのもわたしの代わりをすることは彼にはできないからだ。わたしの家には、不快な馬丁が荒れ狂っている。ローザは彼のために犠牲になっている。それを深く考えたくない。このもっとも不幸な時代の極寒に裸のまま身を晒し、この世の車と、あの世の馬とで、年寄のわたしは駆けずり回る。わたしの毛皮の外套は車の後ろに掛かっている。わたしはそれには届かない。患者という敏捷な、ならず者たちは、しかし誰も、指一本うごかそうとしない。騙された! 騙されんたんだ! 誤って鳴らされた夜のベルに応じたら最後、もう二度と償われることはない。

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