第2話はじめまして、冒険者(前編)

 もう勘弁してほしい。開放されたい。どうしてこんな仕事を選んでしまったのだろう。

 給料にだけ目を惹かれてしまい、試験を受けたら一発合格。最初こそは確かに嬉しかったし、これで人生安泰だと両親とも諸手を挙げて喜んだ。

 だが実際に働いてみてそんな甘ったるい喜びは穴の中へと消えていった。

 激務。激務。ひたすらに激務の毎日。

 朝早くから職場に向かい、夜遅くに自宅へと戻る。

 自宅ですることいえば、洗濯、食事、睡眠。自身の好きなことをできる時間など存在しない。そんな時間があれば睡眠時間へと当てたい。

 異世界探索者選考審査委員会――通称『冒険者ギルド』の受付嬢、佐藤はそんなことを考えながら目の前の書類と向き合っていた。

「は、は。は……」

 積まれた書類の多さに半ば諦めた笑いが出る。つい先程まではこの半分だったはずなのに、任務クエストから帰ってきた冒険者の報告を聞いていたほんの僅かな間に倍の量になっていた。

 ノルマを達成したと思ったらまた新たなノルマが降ってくる。仕事人間には最高の職場かもしれないが、楽して金がほしいというスライムすら食べそうにないクソッタレな考えしかない佐藤にとっては地獄と同義だ。

「なんだい、嬢ちゃん。また書類地獄かい。大変だねえ」

 受付カウンターの前を通り過ぎていく冒険者に声をかけられるが、今の佐藤に返事をする余裕もなく引きつった笑顔を返すのが精一杯だった。

 それでも、文字通り最低限の愛想ではあるが、返そうとした彼女の姿勢は褒められるものでいいはずだ。

「こんな職場って知ってたら来なかったわよ……」

 呪詛を吐きながら目の前に積まれた書類に手を伸ばす。笑っていれば片付く仕事があればいいが――実際あるのだが――それは冒険者の相手をしている時だけ。書類は笑っても泣いてもただ目の前にあり続けるということを佐藤は入って一ヶ月で理解していた。

「書類は友達、書類は友達、書類は友達……」

 他人が聞けば思わず哀れみの視線を送ってしまいそうな言葉を呟きながら一枚の書類を手に取る。

 紙いっぱいに隙間なく書き込まれた文字に目眩を覚えそうになるが、何とか我慢し内容に目を通していく。

「…………」

 その内容を見て、笑顔が基本の仕事であるが思わず佐藤は苦虫を潰したような顔をした。

 いわゆるそれは『死亡通知』だった。

 穴の中で冒険者が死んだ際に作られる書類であり、冒険者ギルドにおいて最も発行数が多い書類でもあった。

 穴の中の世界――『異世界』へ向かう冒険者は常に死と隣り合わせで生きている。

 佐藤達が生きている『現代』と『異世界』が繋がってもう数十年も経つが、未だに未知の部分は多い。

 毎日冒険者たちは新しい発見をし現代に持ち帰ってくれるが、どこかで死んだ誰かが新しい謎を残していくということは日常茶飯事だ。

 そのため新人はもちろん、何年も冒険者として務めいているベテランがある日急に未発見の魔物に殺されるということも決して少なくはない。

 今回は死亡事例の中でも一番多い、新人冒険者ルーキーの死亡通知だった。

 この時点で佐藤のガッツは八割近く削られていたが、その死に方を知ると残りのガッツを全て削り取られた。

 冒険者の全てが劇的に死ねるわけでもないが、だからといってこれはあんまりな死に方が過ぎている。

 階位の中でも一番の最下層、ワースト中のワースト、始まりの魔物。

 そんな不名誉な異名しか持たないスライムに、文字通り全て食われたのなど。

 異世界から排出された粒子の量から一週間前にギルドに登録した冒険者だと特定。

 そこから受けた任務、野良ソロかパーティか否か、性別、年齢、装備の購入履歴などありとあらゆる観点から個人の特定を試みたが、鎧のサビまで一つ残らず捕食されてしまっていたため不可能と判断。

 結果として、『名無しの死者』ネームレスとして処理されることが決定した。

「何度見てもほんっと慣れないわぁ…………」

 いや、これでも初めた頃に比べたらだいぶ慣れたほうだろうと、折れそうになる心を何とか支えるための言葉を内心で紡ぐ。

 その言霊にどれほどの効果があるのかは、佐藤自身にも分からなかったが。

 ギルドの受付嬢と言えば聞こえはいいが、実際の仕事内容はひたすらに続く事務作業、それも誰かが死んだということを知らされる書類と常に向き合わなければならないという過酷極まる職業だった。

 今でこそ佐藤も慣れているが――それでも死んだ魚の眼をしているのだが――始めたての頃は半刻に一度は吐いていた。

 その冒険者が生きていたということを証明するためでもあるのだろうが、毎回毎回死んだときの状況が詳細すぎるのだ。

 文字を読んでいるだけのにまるで自分の目で目撃したかのようにそのときの光景が想像できてしまう。

 そんな監視部の人間の文才に佐藤は強い恨みを抱くほどだった。

 佐藤のように書類上ではなく、実際にその様子を目撃している関わらず、助けることもできずじっと見ていることしかできない監視部に幾ばくかの同情の念もないかと問われれば嘘になるが、それとこれとは別の話である。

 ため息混じりに承認の印を押す。

 できることならば目を一切通さず印だけを押す機械になりたいがそうはいかない。確かにほとんどは死亡通知書なのだが中には上からの重要書類が紛れ込んでいることもある。

 そんなものに無責任に印を押してしまったら最悪の場合、責任問題になり自分の首が飛んでしまう。

 自分の首と他人の命。

 その二つを天秤にかけたとき、掲げたのは自分の首だった。

「どうせ私はクズですよ~だ……」

 自虐気味に呟きながら一つ一つの書類に目を通しながら印を押していく。多種多様な死に方をしていく冒険者にほんの少しの祈りを込めながら、佐藤は手際よく仕事を片付けていった。

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