四十、アイルーミヤの一年
統一歴三年の春、よく晴れた穏やかな日だった。アイルーミヤとローセウス将軍、執事の抱える水晶玉内のルフス将軍は飛び去っていく飛行船を見送っていた。
ローセウス将軍の城の庭から西の外れの基地までの試験飛行。積荷は水樽三日分。操船者は船乗りから選抜して訓練した。気嚢下部の操船籠から綱を操っている。
飛行船は大きさのせいか遅いように見えたが、帆を張り、風に乗るとすぐに小さくなって見えなくなった。
「まずは成功だな。おめでとう」
「私からも祝いを言わせてくれ。目的地まで真っ直ぐ行けるとは、かなりの効率化だ」
「ありがとうございます。ローセウス将軍、ルフス将軍」
『にゃあ』『にー』『みい』『なー』
「それと、クツシタ、エース、デュース、タロン、ありがと」
翌朝、飛行船は目的地に到着し、試験飛行は無事成功した。操船者は少し気分を悪くしたが、緊張のためと思われ、問題なし。飛行船、積荷に損傷なし。ただし、実際に運用する時は二人で交替しながらがいいだろう。積荷は減るが確実な運航のためだ。
「これで飛行輸送を本格化できるな。なんなら、探検に使ってもいい」
夕食の席で、ローセウス将軍はご機嫌だった。
「いいえ、まだまだです。荒天時の飛行など、試験項目がたっぷり残っています」
「慎重だな。もっと喜ぶかと思っていた」
「調子に乗ると、足をすくわれます」
「なるほど。で、名前はどうする。新しい船が無事試験を終了した。いくら慎重でも、命名位いいだろう」
「つけて頂けますか。後援者ですから」
ローセウス将軍は少し考えた。
「では、はるかぜ号と命名する。今後、同型の飛行船は風にちなむ事とする。これでどうだ」
「ありがとうございます。記録しておきます」
初夏。アイルーミヤは冶金についてまとめていた。領地内の熟練した職人に聞いてまわり、調査した結果だった。
高温高圧に長時間耐え、かつ、できるだけ軽量な炉。しかも、一方から熱した気体を勢いよく噴出でき、それを制御する仕組みも込みで開発しなければならない上、それらを出来れば魔法不使用で実現したい。
噴射式推進型飛行船。遥か遠くの目標だった。だが、それは中間目標に過ぎない事を忘れてはならない。
究極の目標は魔法の根本原理を解明し、欠損なしに完全に再生出来るようにする事、ないしは尽きる事を心配しなくてもいいだけの魔法の源の発見だ。
外の世界にその答えがあるかどうかは分からない。それでも、天降石は魔法の力を含んで落ちてくる。何かがあるのは間違いない。
秋。ローセウス将軍の城の庭に黒い筒が立っていた。アイルーミヤの腕ほどの大きさで、石の台に埋め込むように固定されている。
「噴射式推進、第一回試験」
遠くに積んだ煉瓦積みの壁の裏にしゃがみ、覗き窓から観察しながら、アイルーミヤは記録を口述していた。
「開始」
合図とともに筒内の球形の炉が魔法で加熱されていく。そこに送り込まれた水は、即座に水とは言えない高熱の気体になる。それを制御下で噴射出来るかという試験だった。
ただし、今回は炉は魔法で強化されている。熱と圧力に耐える材料や炉の製作法は開発が間に合わなかった。
「噴射」
筒の上から白い炎が秋の空に向かって噴き上がった。形を見る限り炎ではなく、輝く柱のようだった。台の側の草が焦げ、遅れて覗き窓から熱が伝わってきた。顔が熱い。
「制御試験、一番」
噴射炎の方向が傾いた。角度を付けても安定していた。しばらく観察する。
「制御試験、二番」
噴射がさらに強くなり、焦げる草の範囲が拡がった。安定している。
「制御試験、三番」
消火。噴射が小さくなっていく。その時、乾いた音がして筒が割けた。周囲に熱せられた金属が飛び散り、アイルーミヤのいる煉瓦の壁にも小さな欠片が当たった。
「第一回試験終了。試験項目三番未達成。試験体は消火時に全壊」
壊れた試験体と欠片を集めて調べた結果、消火時に噴射炎が炉内に噴き戻る欠陥が明らかになった。結果、一瞬の内に魔法で強化していても耐えきれない程の圧がかかったと考えられた。
「私の庭をどうする積もりだ。アイルーミヤ」
ローセウス将軍は報告書を読むたびに言うが、怒ってはいない。いつものお決まりの言葉だった。
アイルーミヤの玩具の試験を許す余裕はあった。飛行船は晴天時のみ運航とは言え、輸送の効率化は思った以上の利益を上げるだろうと予想された。将来は、船乗りが船を出せる天候であれば飛行船も使えるようにする予定だった。
「すみません。しかし、原因不明の失敗ではありません。解決します」
いつものように目を輝かせて返事をする。不思議な事に、失敗すればするほど楽しそうに報告してくる。額の目を開き、クツシタの背をなでている。
「構わんが、いずれあれに乗って調査に行くつもりなんだろう。大丈夫か」
「はい。原理的に不可能というのであればあきらめますが、今の所そういう点は見つかっていません。問題はありますが、理屈の分かった問題です」
「当面の問題は?」
「材料です。高温高圧に耐える材料がありません」
「解決の目処は立っているか」
「まだです。材料についてもですが、高温と高圧についての知見が乏しすぎます。一旦道を戻って研究し直しです」
アイルーミヤは背筋を伸ばして執務室を出ていった。ローセウス将軍は報告書をめくり、噴射式推進型飛行船の兵器化の可能性を考えている。消火時に事故が頻発しているが、それなら燃やしきってしまえばいい。地平線の彼方から撃ち込める投石機としてなら現状でも利用できるだろう。投石の研究を応用すれば狙いだって大まかには付けられるはずだ。
彼女は報告書を抜粋し、簡単な意見をつけてルフス将軍と技術者に送った。
冬。暖炉の前で眠るクツシタをなでながら、アイルーミヤは高温高圧に耐え得る炉についてずっと考えていた。魔法で強化すればいいが、温度と圧力の絶え間ない変化に長時間耐えるとなると力の消費量が現実的ではない。
材料の問題が片付かない以上、魔法によって補助するのは止むを得ないとして、現実的な力の消費に抑えられないだろうか。
火が暖炉の内壁をなでている。それを見ているともどかしい感じがする。答えに近づいているのに見えていない。
小枝が折れた時だった。アイルーミヤは新しい発想をつかんだ。なぜ耐えよう耐えようと考えていたんだろう。そもそも高温も高圧も炉の内壁に触れさせなければいい。
魔法による攻撃を防御するように、熱と力を届かなくするか、弱める緩衝魔法は出来ないか。それで炉の内壁を覆えないだろうか。それは、炉の効率を下げないようにできるだけ薄く、温めた牛乳に張る膜のような形態が望ましい。どれほどの消費量になるかは分からないが、防御魔法は低級の魔法使いが扱えるほど枯れた技術だし、金属そのものを強化するよりはましなはずだ。
アイルーミヤは机に向かうと、発想を文章にまとめ始めた。新しい研究の始まりだった。
春。城の庭にいつもの黒い筒が立っていた。そこから白い炎が空に向かって挑戦するかのように伸びる。皆が見慣れた光景。そして、皆いつものようにその後に起きるであろう爆発音を予想していた。
炎が真っ直ぐ上から角度をつけ、様々な方向を指す。そして強くなった。
それから弱くなっていく。
消えた。しばらくすると、かすかな煙も消えた。庭に小鳥の鳴き声が戻ってきた。
煉瓦の壁の後ろで、アイルーミヤは記録を口述していた。
「第二十五回試験終了。試験項目を全達成。試験体は形状を維持」
ローセウス将軍の庭はあちこちに焼け焦げの付いたテーブルクロスのように壊滅的な損傷を受けていたが、アイルーミヤは輝く三つの目で、設置した時のまま立っている試験体から空を見上げた。
あの向こうに行ってみせる。そして、私の目標を達成してみせる。
試験体を回収するアイルーミヤを、青い空が見下ろしていた。
了
アイルーミヤの冒険 @ns_ky_20151225 @ns_ky_20151225
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