十一、喉を鳴らすクツシタ
ローセウス将軍はアイルーミヤ調査官の報告を聞きながら、膝に乗ったクツシタの背をなでていた。本来は直属なのだから王にすべきなのだが、今の地位では会話は困難なので、現地の将軍に報告している。アイルーミヤは、陛下は目覚めたばかりで細かい所まで行き届かないのだろうな、と思っている。
報告の場は、僧正将軍の名が出た時、執務室から彼女の私室に移された。将軍なりの気遣いなのだろう。
「そうか、僧正将軍に聴取できたのか。あの文書を補強する有力な証拠だな」
「はい。しかし、撹乱かも知れません」
「部屋を変えたんだから楽にしろ。アールゲントだろう? それは考えなくてもいい。お前も偽情報などとは思っていないはずだ」
ローセウス将軍は茶を飲み、アイルーミヤにも勧めた。
「あそこは奪い返した後に技術者どもが降霊したが、何の役にも立たん下級霊しか出なかったんだ。なるほど、お前だからこそだな」
茶を飲むアイルーミヤを見ながら、将軍は一人で納得している。
「つまり、婚約というのは本当に文字通りの意味だったのか。陛下も隅に置けない」
「陛下はどうされるおつもりでしょうね」
「アイルーミヤ。お前はどう思う?」
「分かりません。それと、もう一つ分からないことがある。そういう事情がありながら、なぜ私に調査を命じられたのか。陛下の中では答えの出ていた疑問だったはず」
「我々は考えを改めないといけないかもな」
ローセウス将軍の目が細くなる。
「つまり、我々は当然のように、王と女王の無謬性を信じている。お前が感じている疑問も、彼らは誤らないと言う前提があればこそだ」
将軍は茶碗を口元まで持っていったが、飲まずに置いた。
「だが、そうではなかった。違うか。アイルーミヤ」
「ローセウス将軍。そのくらいで」
「ここは大丈夫。技術者と私が二重に検査している」
アイルーミヤはしばらく黙った。そして、思い切ったように口を開いた。
「闇の王、光の女王と呼び、それぞれ『変化』と『安定』を象徴しているとされ、その性質や主義に従ってずっと対立し、争ってきた。でも、それも本当なのかな。ただの思い込みって事は?」
「今度はお前が恐ろしい事を言い出したな。この世の根本原理を疑うのか」
「根本、と言う事になっているだけですよ」
「では、どうする?」
「もっと知りたい。今の地位はちょうどいい。執務室に縛られないで済む」
「そうだな。こうなってみると、お前が羨ましいよ。アイルーミヤ」
将軍は今度は茶を飲んだ。
「ただし、時間はあまり無いかもしれんぞ。これはここだけの話だが、ひとつ教えておいてやろう。遠からず西の帝国に進出する。その準備として、山の巨人、森の獣人、水辺の妖精各部族をこちらの味方に引き入れる予定だ。そうなったらすべてが戦争準備に振り向けられる。そこは心しておけよ」
「早すぎないか。占領地の整理も出来てないのに。人口だって増えてない」
「陛下直々の命令だよ。早く封印次元から完全に出たいとのご要望だ。あ、婚約については何も仰らなかったし、誰も聞かなかった。いや、聞けなかった、だな」
アイルーミヤはまた黙った。もう一度繰り返すのか。陛下はどうしたいのだろう。まさか。
「陛下は婚約不履行による自滅をお望みか?」
「考えたくないが、否定も出来ないな」
「自分から申し込んだのに」
「アイルーミヤ。まだ甘いな。申し込んだのが闇の王、と言う事実があるだけだ。そこに至るまでに何があったかは分からない。それに、結婚するつもりがないとは言い切れない」
「しかし、それならこの世に一部でも出てきた時に返事をすれば良かった」
「それはそうだな。陛下は何を考えておられるのか。光の女王の信者のように、疑わず信じていられたらどれほど楽か」
「それが女王の強さなのでしょう。信者は疑う事を許されない」
「なら、女王の方がよっぽど残忍だな」
アイルーミヤは返事をしなかったが、王も女王もどっちもどっちだ、と思い、そう考えた自分に驚いた。
いつの間にかクツシタが膝に乗っていたのでなでた。喉を鳴らしていた。
「今日の報告、ルフス将軍とフラウム将軍にも伝えていいな?」
「もちろん」
「お前も陛下と話がしたいか」
「ええ。それに変ですよ。立場は陛下の直属なのに」
「それはそうだ。将軍しか会話できないというのはな。陛下は案外抜けている所もある、という事か」
ローセウス将軍の考えている事が分かりにくくなった、とアイルーミヤは感じた。少なくとも、闇の王に対する無条件の信頼は無くなったようだった。
そして、それは彼女も同じだった。
「調査の予定は?」
「今までと同じ。高位の僧に聴取し、寺や遺跡を回る」
「聴取は気をつけてくれ。こっちが情報を与える事になりかねない」
「分かっています。明日から取り掛かっていいですか」
ローセウス将軍は頷き、席を立った。アイルーミヤはクツシタを降ろして立つ。
「アールゲントはどうだった?」
「怨みの念だけ」
「怨みだけで五百年?」
「『三つ目の鬼婆』と言われました」
身分が上とは言え、これ以上踏み込まれたくなかった。アイルーミヤは、察してくれという思いを含ませて言った。
「『二枚舌の冷血猿』については聞かれなかった?」
将軍は大笑いしてそう言い、彼女を部屋の外に送った。
「おやすみ。私が言うのも変だが、ご苦労だった」
「ありがとうございます。失礼します。おやすみなさい」
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