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「いや、思ったより早くてびっくりした。さすがは仁川梓くん、噂はよく聞いてますよ」
黒葉篤彦はあっけらかんと言った。
とあるファミレスの一席。華凜を待たせていたところにそのまま合流した形だ。
捕まえたはいいが、疑問が大量にある。
他の三人も同じ様子で、松馳なんかさっきから何回もなにかを言おうとして口をぱくぱくさせては諦めてコーラを飲んでいる。
なにから聞いたらいいんだか分からなくなって、ざっくりぶつけることにした。
「……あんた、なにがしたかったんです?」
あの路上で俺が声をかけた瞬間、黒葉は嬉しそうに笑った。そして抵抗することもなく、なんなら自分から『場所を移してゆっくり話しましょう』などと言ってきたのだ。
逆に動揺させて隙を突こうとしているのかと思ったがそうでもなく、こうして大人しくファミレスのボックス席でにこにこしている。
黒葉は少し眉を寄せて、頭を下げた。
「そちらの気持ちを確かめるために、わざと遠回りな方法を取りました。迷惑をかけたかもしれません。それは謝ります、ごめんなさい。そして、改めて名乗らせてください」
そう言って新しく取り出した名刺には、ノンフィクションライターの文字。
黒葉という名義と、そこから紐づく全ての名義はフェイクですよ、と付け加えられた。
どうやら出し抜かれていたらしいが、そんなことはどうでもよかった。
「探りを入れて、相手がその気でないなら声をかけない。そういう題材の探し方をよくやるんです。今回は対象が四人もいるし、うち一人は同業だしで、ちょっと荒っぽいことをしました、ごめんなさい。特に、市役所のお二人には職場まで押しかけて申し訳ありませんでした」
そんな言葉がガンガン耳をすり抜けていくほどには、俺の目は名刺に印字された名前に釘づけだった。
「えっと、深水さんて、あの深水さん……ですよね」
「あれ、知ってくれてるんですか、嬉しいなあ」
深水敦。彼の名を知らないなんて言ったら、ソーシャル系のネタを扱うライターとしてはやっていけない。ましてや、鴉原でこの人を知らないとはまさか言えない。
当然名前と文章を知っておくべき書き手だが、取材に影響するからとメディアには絶対顔を出さない。故に、やたらと前に出たがる連中より影が薄く思えるが、実力はずば抜けている。
「梓河、なんかすごい人なの?」
「悪いが後で検索してくれ、松馳」
それどころじゃなかった。
妙な高揚を抑える。今選ぶべきことはどっちかくらいの分別はつく。
まずはこちらもきちんと名乗るべきだと松馳が言うので、そのように仕切って、それから深呼吸。
「……業界の先輩として、色々聞きたいことはありますが」
「今は一人の取材対象者として接してください。いいですか?」
「分かっています」
真夜中の客の少ないファミレスで、深水氏は声のトーンを下げた。
「焦らす必要もありませんね。本題に入りましょう。斎城飛鳥さん――いえ、斎城梅雪氏は自殺だったってことになってますけど、本当は違うのではないか。そう思っているのです」
息をのむ音がした。
見なくても分かる。華凜だ。
乱れた息と、背中をさする衣擦れの音。華凜のことは希一郎に任せておけばいい。
「それは俺たちもずっと思ってました。いや、今も思ってます」
「あいつは、おれたちの親友は、自殺なんてしない」
「やはり思うところがあるんですね?」
俺と松馳は、サイジョーは自殺などしないはずだと考える理由を滔々と並べた。
自殺の動機になるようなことは、なかったこと。
自殺の手段とされるツールが、あいつらしくないこと。
華凜は途中で過呼吸を起こして、希一郎が連れ出した。
正直、俺も辛かったし、松馳の言葉も徐々に詰まり詰まりになった。
でも、それでも、やっとまともに聞いてくれる人がいた。
確かに生き辛そうにしていた節はあったが、それを肯定できていたこと。
なにより、自分が先陣を切るのだという強い意志があったこと。
メモも取らず、口を開く者の目を穿つがごとく見つめ、一切口を挟まない。
深水敦の取材は、俺のそれとは全く違った。
これが本物。恐れ入る。
俺と松馳が揃って沈黙を続けるようになって、やっと深水氏は言葉を発した。
「誰が、という心当たりはありますか?」
「いえ、ありません。なにも盗られてはいませんし」
そこから二、三の事実確認をされているうちに、華凜と希一郎が戻ってきた。
深水氏は二人にも同じように話を聞こうとしたが、希一郎が不要だと答えたために省略された。
「では、こちらの本題に入ろうと思いますが……その前に、ひとつ」
「なんですか?」
テーブルの上に開かれたのは、パスポートだった。
もちろん、深水氏本人のもの。
「見たところ君たちはなにも疑ってないようですけど、一応ね……はい、確認してください」
昨年まで取材旅行で世界中を回っていたという彼のパスポートは、増補まで施された分厚いものだった。
ぎっしり押された出入国スタンプの中に、あの冬の記録も残っている。
「斎城梅雪氏が殺された日を含む前後一週間、私はアメリカに滞在していました。だから、間違っても私が殺したりなんかはしていない――いいですね?」
一言断って、華凜が深水氏のパスポートを手に取った。
職業柄、こんなのは毎日のように目にしているからだろう。全てのページを確認して、大丈夫というように頷いた。
別に偽造を勘ぐっているわけではなくて、ただきちんと納得をしたかっただけなのだと思う。
それが分かっているから、俺は遠回しに謝っておいた。
「まあ、元より疑ってなんかいませんけどね」
「それはちょっと人がよすぎますね」
若いうちはそのくらいでもいいですけどね、と深水氏は笑った。
ぼちぼち二十五の歳を終えようという俺たちを、まだ若いと言ってもいいのかどうかは疑問である。
「さて。ひとつ、見ていただきたいものがあるんです」
そう言ってタブレットを取り出した深水氏は、その画面を俺たちに見せた。
たしか半年ほど前にリリースされたばかりの小説投稿サイトだ。
たしか松馳が登録するだのしないだの騒いでいた気がする。
深水氏は、マイページからブックマークを開き、あるユーザーの作品を表示させた。
「まあ読んでみてください」
かなり上手い書き手だと思った。
ハイファンタジーのようだが、序盤の部分なのでストーリーの展開までは分からない。
ただ、文章の滑らかさと描写の繊細さは、安定感がありつつもスパイスの効いた絶妙なバランスだった。奇妙な馴染みがある、とでも言えばよいだろうか。
「……これがなにか?」
全員で一話目を読み終えたあと、俺は聞いた。
華凜だけは続きを読みたがったので、タブレットをそちらへ寄せてやる。
深水氏はゆっくりと言う。
「斎城梅雪氏の文章に似てませんか?」
反応に困る。だって。
「……あの、あいつはたったの一冊しか本を出してないんです。それだけで似てるとか言うからには、それなりの根拠があるんですよね?」
正直なところ、そう言われればそう思わないこともない。
デビュー作の約十五万字を聞いて、打ち込んだのは俺だ。
奇妙なほどに馴染むのは、もしかしたらと思いつつも、そう簡単に信じるほど馬鹿でもない。
深水氏は、見透かしていたような顔で荷物を漁った。そして取り出される紙の束。
「まず、十五年前の鴉原市民文芸、最優秀作に斎城飛鳥の名前がありました。児童部門じゃなく一般短篇部門で。そこから三年連続で、斎城飛鳥は最優秀作に選ばれています。四年目、斎城梅雪と名前が変わっていましたが、まるで変わらない文体と情景描写の起伏に、ついに筆名を使い始めたと分かりました」
テーブルの上には、大量のコピー用紙が広げられていった。
鴉原市民文芸以外にもサイジョーが賞金を得た文学賞は大量にあって、深水氏はそれらをほとんど揃えたという。
「職業柄、資料追跡は頻繁に行います。その過程で書き手の癖のようなものを掴んで、例えば遺品の分類なんかをするわけですが、そういう目で見ても、このアカウントの投稿作は斎城梅雪氏の仕事に酷似している」
「あたしもそう思います」
華凜が食い気味に言った。
見れば、手元の画面は既に十八話目、現在投稿されている最新話に入っている。
「そんなに似てますか?」
「正直、文章が本人のものかと言われたら、そうだとは言い切れませんけど……サイジョーはこれによく似た話を、あたしによく話してくれました」
キャラクターの名前や地名なんかの固有名詞はちょっとずつ違うものの、世界観がそっくりだという。
人間の作る話というのは、絶対になにかの影響を受けている。
だから、全くの別人が作ったものであっても似かよる部分はある。
例えばギリシャ神話なんかを引っ張ってくると、どれも前提が一緒になるために設定だけでは区別できない可能性もある。
しかし、今回の場合は本当に被っていると言って差し支えなさそうだった。
なぜなら。
「あの、ちょっと待ってください、メモを取りますから」
「待てません、早くしてください」
サイジョーはまさにこれを書きたがっていた、サイジョーならもっとここはこう書いたはず。
そんなごく細かいことを華凜が猛烈にまくしたてるほどには、独自設定が効いているらしいから。
それを、深水氏は丁寧に書き留めていく。
サイジョーの作る話を一番に聞いていたのは華凜だった。
一度集中すると日常生活を全て後回しにするほどのめりこむサイジョーの隣に、華凜はしょっちゅう張りついていたから。
紙にちょいちょいとプロットを書きつけたあと、ぱちぱちとポメラを叩く、そのどのタイミングでも傍に寄って腰やら肩やらに抱きついては構って構ってと急いていた。
サイジョーは、文章を打ち込みながらそれとは全く別の話ができる器用な奴で、猫のように擦り寄ってくる華凜にあれこれ話しながら話を書き進めていた。
最も近くにいた。華凜にとって、それは大事なステータス。
それがよく分かっているから、俺たちは誰もその言葉を止めない。
結局三十分近く喋り続けた華凜は、任務は果たしたとばかりに突っ伏して眠り始めた。
「……すみません」
希一郎は、自分の上着をかけてやりながら軽く謝った。
「こちらこそ、ごめんなさい。無理をさせました」
「いえ、それより深水さん、その……やっぱり」
謝りあいになる前にと割り込んでみたが、俺の言葉も煮え切らず。
発せなかった意図を汲んで、深水氏は続きを言ってくれた。
「斎城梅雪は死んだ。なのにこうして本人が書いたとしか思えない作品が公開されている――あなた方のうちの誰かが、遺志を継いで始めたのかと思ったのですが、そうではなさそうですね」
深水氏はそれ以上の続きをあえて飲み込み、今日は一度解散にしようと提案した。
じきに日付が変わるというタイミングだったし、これ以上の話をこのオープンな場でするのも避けるべきであり、賢明な判断と言えた。
ドリンクバー五人分の精算を終えて外に出ながら、今後の連絡手段について確認する。
「比較的ラフに動けそうな仁川くん――梓河くんに連絡すればいいですか? ああ、番号とアドレスは既に拾っています」
言いながら俺の携帯を鳴らしてきた。画面を見れば、ほぼ同着でメールも来ている。
こちらが本来の連絡先というわけだ。
「あー、全員集めての話ならそれがいいんですが、個別となると直接やりとりしてもらいたくて……希一郎と松馳の連絡先を送っときますから、適宜使ってください」
「彼女は?」
背中で眠る華凜を指された希一郎が首を横に振る。
「すみませんが勘弁してやってもらえませんか。こいつの話が聞きたいなら、俺に連絡してください」
深水氏は特に文句を言うこともなく、俺たちは解散した。
松馳は走って帰ると真っ先に去り、希一郎は華凜を叩き起こした上でバイクの後ろに座らせて走り去った。
なんとなく残ってしまった俺は困った。単に今日の宿のことを考えてなかっただけなのだ。
このところは寄生先が定まってないし、この時間からじゃ交渉しても難しい。
久しぶりに松馳の家にでも上がりこめばよかったかと考えているうちに、深水氏が俺の肩を叩いた。
「業界の後輩である君と飲んでみたいんだけど――どうかな、梓河くん?」
いいシェリー酒専門店があるんだ、と誘われた。
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