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 鴉原のお洒落な店は、働き出してから知識が増えた。

 重厚なジャズの流れる店内、カウンターの端の席でメニューを眺めていたところに待ち人。

「お疲れさん。待った?」

 今日は早上がりだった。

 うちの市は、全国でも珍しく図書館を二十四時間開けている。

 夜間は開架資料だけの対応だし利用者もそう多くはないが、正規職員の司書が最低一人は詰めるようにシフトが組まれ、当然夜勤も発生する。

 逆に早番で入ればその分定時は繰り上がる。

 今日は朝七時出勤で、四時前には図書館を出た。

 残業はしない。あんなのはすればするほどクソ事案が集積するのだ。

 駅へ向かう道すがらかけた電話での急な呼び出しに快く応じてくれたのが、梓河だった。

「今注文したとこ。お前はどうする、ビール?」

「いや、今日はいいわ。この後取材だし」

「大変だな、フリーライターも」

「今月は講師収入の方が多いけどな」

 ジンジャーエール、と告げて、梓河は腰かけた。

 クラッチバッグをカウンターに立てかけ、ジャケットの内側から煙草を取り出す。

 手元にあった灰皿を置いてやれば、片手で礼を言ってきた。

「で、調べてほしいことってなんだ? ものによっちゃ、高くつくぞ」

 にやにやと笑いながら煙を吐き出す。

 この男に金を積めば大抵のことは調べてくれる。

 信じられないくらい稼いでいるそうだが、その分危ない橋も渡りまくっている。

 住居を一つに決められない昔からの癖で、今こいつがどこで寝起きしているのか正確なところは知らない。

 しかしそんなことはどうでもいいのだ。

「これだ」

 つい、と名刺を滑らせる。

 苛立ちで握り潰したせいでややへたれているが、内容を読み取るのに支障はない。

「黒葉篤彦、ライターね……会ったことないな。歳は?」

「俺らと同じくらいかちょい上かな」

「ふうん……で、こいつがどうした?」

「斎城飛鳥のことを聞いてきた」

 途端に目の色が変わり、クラッチバッグから仕事道具を取り出して、記録と検索の準備を始める。

「詳しく」

 俺が黒葉との会話を話せば、梓河はそれを一言一句漏らさず手帳に書きつけた。

 こいつの筆記の速さは昔から目を見張るものがあったが、ライターを生業の一つとして名乗るようになってからは一段と進化している。

 一度うちの図書館報で、市ゆかりの作家同士の対談を載せたことがある。

 そのときは頼んでいたライターが不祥事で使えなくなり、急遽こいつを呼んだ。

 コンセプトから紙面構成まで自分でやりやがったそれを館長と市長が揃って気に入り、以来色んな部署の仕事を請け負っている。

 役所の広報物は独特だ。ぎりぎりまでわけの分からないクソみたいな権利関係で記事が固まらず、そのくせ情報は早く出せと厳しく言われる。

 そんな無茶な文化の中で、梓河のように速筆で間違いの少ない書き手は重宝されるのだ。

「いくらで調べてくれる?」

「金なんか取るわけないだろ。もっと情報よこせ」

 梓河は調査能力もずば抜けている。特に興味を掻き立てる内容ならなおさらだ。

 黒葉の容姿その他あらゆる特徴は、梓河の巧みな質問で引き出されていく。

 自分でも覚えているとは思わなかったほどの細かな情報を、こいつは全て拾っていった。

「……分かった。三日くれ」

 言いながら、慌てて店を出る用意を始める。

 次の約束が近いらしい。

 まだ店に入って十五分も経っていない。

 そんなカツカツのスケジュールのくせに、調べてほしいことがあると言っただけで時間を割いてくれる。

 これだからこの男は親友と呼ぶに値するのだ。

 ジンジャーエールを一気飲みした梓河は、ゲップを飲み込みながらスマートフォンをいじる。

「勘定は経費で落とすから、領収書もらっといて。宛名は仁川にがわあずさで」

 よろしく、とペンネームを告げて、梓河はバルを出て行った。

 どうやら、ちょっと多めに金を使わなきゃいけないらしい。

 仕方なく、俺は二杯目のビールを注文した。

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