第30話 信じてるわ

「ここは広いな。鬼ごっこを続けるようなら、無視して世界移動しようかと考えていたところだ」

「ご安心ください。すぐにも決着はつきます」

「私たちの勝ちですよ!」

「やってみなさい」

 油断はないが警戒もない、子どもの力量を計る大人の口調でアルケインは告げた。


 ソヘイラーはペンタチュークを突き出し、ピーシャはその後ろにつく。魔法攻撃を防ぎつつ、突進する陣形で、それはアルケインも予想済みだろう。だから、その上をいく。

 走り出したソヘイラーはペンタチュークの能力で慣性法則を斬り裂き、少女の身の限界を超えた速度を稼ぎ出す。十分速度がついたところで、ぴったり追走していたピーシャは、細い背中を見つつ拳を突き上げる。

「連れてって、オクルリッジ!」


 橋の精霊の魔法で、ソヘイラーは打ち上げられたように急角度で飛翔。アルケインからすれば、いきなり目の前から消えたように見えたはずだ。ソヘイラーは、アルケインの直上を取っていた。

 いち早く反応したのは尾の蛇だ。柔軟に尾をくねらせ上を向くと、長い間合いを持つ水の刃を口から噴き出した。

 空中のソヘイラーの胴を両断する軌道で走る水の刃を、ペンタチュークが打ち砕く。

 ピーシャが転移すれば簡単に上を取れたが、水の刃への対応が難しくなるし、アルケインには、すぐに逃げられると思われるだろう。それでは意味がない。


 落下してくるソヘイラーを振り仰いだアルケインは即座に呪文の詠唱を始める。判断速度と的確さは、織り込み済みとは言えピーシャを戦慄させた。

「風の精霊シルフよ、狂乱の刃にて斬り潰したまえ、ソニックストーム!」

 振り上げたアルケインの手を中心点として、上方向の広範囲に嵐が生まれていた。嵐の檻に捕らわれた敵は、全身を真空の刃に斬り刻まれ、酸欠状態に追い込まれ、肉がちぎれるほどの高速で振り回される。三段構えで絶対の死をもたらす凶悪極まる魔法だ。

 ペンタチュークで防ぐには相性が悪く、かつ、ソヘイラーの手を離れた大剣をあらぬ方向へ飛ばすことまで計算に入れた的確な魔法の選択だった。

 直撃していればソヘイラーはズタボロになっていただろう。だが、空中にいたソヘイラーはいま、地に足をつけ、必殺の意思を込めてペンタチュークを振りかざしていた。


 ――オクルリッジの能力で飛ばせたのだから、当然、引き戻せる。

 走って得た速度と落下速度が合わさりかなりの勢いだったが、ソヘイラーは子猫のように柔軟に身体を丸めて着地に成功。キマイラの側面で刃を振りかざす。爪牙は届かず、即応力のある蛇とアルケインの上への注目を振り切った側面展開は、必殺の好機だった。

 だが、黒髪の少女の美しい顔は、悲鳴を飲み込んだように引きつっていた――


 ピーシャは、ソヘイラーを上へ飛ばしてからもそのまま前進していた。岩の短槍と炎の息吹をオクルリッジでそらして、強引にキマイラへ肉薄する。小石と火の粉が舞い散る中、大きく踏み込み腕を引き絞った。狙うのはキマイラの眉間だ。脳震盪を起こせば、機動力もなにもない。

 膨大な魔力を張り巡らせている身体の、つま先から拳まで通る線をイメージする。線は筋肉を駆け抜けながらエネルギーを練り上げ、関節で集束、旋った骨が爆発的に加速させ、拳にピューリーシャ・ユインフェルトの身体に宿るすべての力を凝結させた。

「りゃぁ!」

 気合を吐いて身を渾い繰り出す最高の一撃。

 対してキマイラは頭突きを返してきた。ピーシャとは比べ物にならない巨体は、それだけ重い力を生み出す。獅子のたてがみに覆われた太い首は、エネルギーを余すことなく伝え、猛獣の額に破城槌のごとき破壊力を発現させていた。

 激突。

 魔法が荒れ狂う戦場の中、小さな音などかき消されるはずだが、ピーシャは自分の拳の骨が折れる乾いた音を確かに聞いた。突き抜けた衝撃が腕をしびれさせる。仰け反った視界に、宙空から落ちてくるソヘイラーが映り、アルケインのソニックストームの構成も捉えた。


 力比べの勝負には負けても戦いはまだ終わっていない。ソヘイラーが自らを囮とする作戦に懸けた命を守りたかった。無事な方の腕を動かし、オクルリッジの能力を使う。ソヘイラーを無事に着地させたが、それはキマイラの正面に無防備な胴体をさらけ出すことを意味していた。

 キマイラに備わる山羊のひづめが地を深く捉え、重い体躯を一瞬で加速させると同時に、鳥の翼も力強く羽ばたき、さらなる速度を獲得する。キマイラの全体重が乗った高速体当たりの衝撃力は、頭突きをはるかに上回る。

 破城槌を砲弾代わりに撃ち出したような凄まじい体当たりは、ピーシャの魔力で強化された身体能力の鎧をも軽々と突き破り、少女の身体はボロクズのように吹き飛ばされた。


 ソヘイラーは必殺の一撃を、急加速によって外された格好になった。ピーシャが甚大なダメージを受けたと気づいているが、まだ勝機はこちらの手にある。ここで慌ててピーシャを助けに行けばすべてが水の泡だ。それでもこみ上げてくる激情を、顔に出すぐらいはいいだろう。

 凶相の少女が大剣を翻す。向き直った尾の蛇が水の刃で牽制するが、ソヘイラーはそれをペンタチュークで打ち砕きながら前進。ソニックストームによって生まれた暴風もまとめて斬り裂きながら進む少女は、荒海を征く突撃艇だ。 

 蛇は、飛び散る飛沫の奥で少女の瞳が撃滅の意思に輝いているのを見た。怯えた蛇は身をよじるがもう遅い。

 開いた蛇の口腔へ、大剣が横一文字に食らいつく。舌を断ち、喉を潰し、駆け抜けた刃は、水飛沫の跡で凄絶な円弧を描いた。斬り飛ばされた蛇の上顎部は高く舞い、べちゃりと地に落ちた時にはもう、ソヘイラーは地を蹴っていた。


 高速体当たりで離れたキマイラの背後から躍りかかる。飛び上がり、アルケインを狙うように見せているが、本命はキマイラだ。アルケインはすでに振り返り触媒を用意しているが、呪文を詠唱し終わるよりも、ペンタチュークを振り抜くほうが絶対に早い。アルケインは転がって逃げるしかなく、重い刃がキマイラの胴を真っ二つにする。そのはずだった。

「うそっ……」

 ソヘイラーは、自分の腕を掴んだアルケインの手を、信じられない顔で見る。老化のせいで水分は失っていたが、皮膚は厚く固く、長年の鍛錬で削り出した岩のような手だった。ランボルト・アルケインは優れた戦術家であると同時に、最強の戦闘者でもあることを思い知らされる。

 アルケインが手首を返した。熟練の体術は、ソヘイラーの跳躍の勢いをそのまま投げの威力へと転化し、弾かれたように細い身体が宙を飛ぶ。ソヘイラーは背中から石柱に叩きつけられ、衝撃で生まれたしびれのせいで受け身も取れないまま落下した。


 アルケインは、力なくうなだれる尾の蛇を深い哀しみの目で見たが、すぐにキマイラの腹をなでて意図を伝えた。キマイラはのそりのそりと、ピーシャへと歩を進めていく。

「私に手の技まで使わせた点については素直に褒めよう。だが、ここまでだ」

 二人の少女は倒れ、動けないほどの深手を負っている。勝負はついたがこれは試合ではなく殺し合いで、その観点に基づきアルケインは冷徹な判断をくだしていた。ピーシャの瞬間移動魔法は最後の瞬間まで油断ならないものであり、戦闘不能ではなく完全に抹殺すべきだと決めていた。

「キマイラの息吹で焼いてもよかったが、君は可愛い生徒だった。せめてもの情けだ、私手ずから引導を渡そう」

 ピーシャの前で止まったキマイラが、重い足を振り上げ容赦なく腹を踏みつけた。悲鳴の形に開いた口から叫びの代わりに、ごぼごぼと血が溢れる。自分の血で窒息する前にピーシャは横を向いて、こみ上げてくるものを吐き出す。


「先生は……優しい。でも、それが命取りになる……! 私たちは死ぬときまで、生きてるっ……!」

 ピーシャはキマイラの足を掴み、折れたほう手をまっすぐ上へ向けた。顔色は青く、逆に口元は赤く汚しながらも、ピーシャはまだまだ戦意たっぷりだと笑顔で示す。

「まだ魔法を使うだけの集中力があるのかっ!」

「オクルリッジ!」

 ピーシャと、掴まれているキマイラ、アルケインは空中へ転移。反撃を受ける前に手を離し、ピーシャだけで地上へと転移で戻る。着地地点は、空中にいる間に確認しておいたソヘイラーの隣だ。

 支えもなにもない空中で、キマイラの落下が始まる。重い敵を墜落させることでダメージを与える作戦は、竜形態のキィルキュース戦でソヘイラーが提示したものだ。とっさに思い出し、実行できてよかった。だが、キマイラには風魔法を操る鳥の翼があった。

 落下していたのは一瞬で、巨獣はふわりと空中に浮かんでいた。さすがにキィルキュースのように自在に飛行する能力はないようだが、無傷で降下するのは間違いない。


 オクルリッジの魔法は、使った時の姿勢のまま転移するためピーシャは仰向けで落ちていた。もう上手く着地させられるほど身体が言うことを聞かず、みっともなく地に倒れている。だけど、まだ、死んでない。地から引き剥がすように身体を起こす。

「ソヘイラーちゃん、しっかりして!」

 気を失っているソヘイラーの肩をゆする。小さくうめいたソヘイラーは、薄く開けた目にピーシャが映った途端、飛び起きる。

「状況っ」

「上見て。ラストチャンスだよ」

 キマイラにまたがったアルケインがこちらを睥睨していた。尾の蛇は倒し、鳥の翼は降下のために使われている。山羊の足は空中のため所在なさげだ。獅子の炎の息吹は強力だが、正面にしか向けられない。自由に動けるアルケインは、着地までの数秒を迎撃態勢で過ごすつもりだ。着地してしまえばキマイラが活躍する。満身創痍の少女二人を蹂躙することはたやすく、アルケインも今度こそ容赦せずとどめを刺すだろう。


 キマイラが降り立つまでの、ほんの数秒。ここが最後の攻防になる。

 空中の相手に仕掛けるには、オクルリッジの転移魔法が必須だ。だが、ピーシャが飛ぶのはもちろん、ソヘイラーを飛ばす策まで明かした以上、アルケインは完璧に対処してくるだろう。

 手詰まりだった。同時にまったく諦める気がない矛盾した思いがあった。ソヘイラーと目が合う。夜空のような黒い眼に、燦然と輝く星々の光が灯っている。きらきらの目が、いたずらっぽく細められる。

「これじゃ、届かないわね?」

「それを言われちゃ下がれないっ。橋を架けるのは、私っ……!」

 届かないものを届かせ、繋がらないものを繋げるのが、橋だ。

「説明してる時間ない! 信じて!」

「信じてるわ」

 なんのひねりもない応答なのに、いや、だからこそストレートに心と心が響いた感覚があった。

 嬉しすぎて力が抜けそうになるのをぐっとこらえて、ピーシャは上を仰いで架橋点を定めた。


「オクルリッジ!」

 ソヘイラーを空中へ飛ばす。石柱と石柱の間のなにもない空間で、アルケインからは少しだけ離れていて剣の間合いではない。このままでは、ソヘイラーは無意味に落下するだけだ。

「繋ぐ力っ、応えてオクルリッジ!」

 ピーシャが掲げた手を横に薙ぐと、虹の橋が架かった。石柱と石柱の間、ソヘイラーの足元に。

 空中に生まれた橋へ着地したソヘイラーが、会心の笑みを浮かべた。

 ソヘイラーは、まるでそうなると知っていたかのように淀みない動作で跳躍した。

 自由落下からの降下斬りではなく、突如空中に生まれた橋を足場にした急角度からの飛翔斬りだ。対応できるはずがない。

 ペンタチュークがアルケインに届くかと思った直前、百戦錬磨の古強者が叫ぶ。

「キマイラ、落ちろ!」

 風の魔法を止めたキマイラが急降下。巨体の重みを感じさせる爆音を立てて着地した。空中に橋が生まれた瞬間、アルケインは確かに驚いていたが、即座に立ち直った上に、的確どころか意表を突く判断を下す怜悧さは壮絶の一言に尽きた。


 ピーシャの目が霞む。身体は沸騰する鉛が詰まったように、熱く重い。口に残った粘着く血のせいで鼻の奥は錆臭く、小虫の群れのような耳鳴りは生存本能からの警報なのだろう。それでもあと数瞬に全精力をかけて。

「オクルリィッジッ!」

 拳の骨が折れたままの手を振る。空振りの勢い余って宙を泳いでいたソヘイラーの足元に、橋が生まれていた。

 ソヘイラーが上手く着地してとどめの一撃を与えると信じている。魔法の発動を見届けもせず、駆け出していた。


 風魔法の補助なしで落下したキマイラは、山羊の強靭な足で衝撃を拡散させ骨折を防いでいた。それでもすぐには動けない。そこへ肉薄したピーシャは突進したまま肩を丸めた。さっきの意趣返しでもあるし、もう拳を握って当てることすら難しい体力状況だった。

 捨て身の体当たりを敢行。直撃を受けたキマイラの頭部は大きく反れ、ピーシャは地を跳ね転がっていく。


 ソヘイラーは橋を蹴って、自らを矢のように撃ち出した。ピーシャが体当たりで作った隙は、ソヘイラーから見ればキマイラが首を差し出しているようだった。最高で、最後の機会だ。大剣ペンタチュークを振り下ろす。重く速い斬撃は、大気を斬り裂き、肉を食い破り、骨に達し――そこで止まった。

「……何故」

 ペンタチュークは確かに食い込んでいた。アルケインの腕に。

 覆いかぶさるような姿勢からは、意図も戦術も読み取れずただ、とっさにかばったようにしか見えなかった。ソヘイラーは慎重に刃を引き抜く。せき止められていた血が溢れ、滝を作る。魔力で回復させれば致命傷にはならないが、触媒を握るだけの握力はすぐに戻らない。戦闘続行は不可能だった。

 アルケインは、笑いと泣きをまとめて哀しみに沈めたような引きつった顔をしていた。

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