第31話 あなたにしかできない芸当よ
「なぜ、か……目の前で大切なものを二度も失うのは耐えられなかった、と自己分析は可能だが、真実は私にもわからない」
「マスターを大切に思うなら、キマイラを見捨てて反撃するべきだった!」
それがソヘイラー自身を窮地に追い込むとしても、そうして欲しかったと、打ちのめされた顔の少女は口には出さなかったが目で訴えていた。
「君からすればこいつはただの敵だろうが、私には長年の相棒なんだ。熟考の上ならエミリアを選ぶが、とっさに動いてしまったものは仕方がない」
「理性的に冷酷になれるけど、根本は優しい人……」
「ただ甘っちょろいだけだ。優しいのは君だろう」
「まさか。父にも等しい人と命のやり取りをしているのです。頭がどうかしていると言うべきでしょう」
「そうやってちゃんと応えてくれるところがだよ。私の腕ごとキマイラの首を落とし、返す刃で心臓を突くこともできだだろうに。私の行いの意味を知ろうとした」
「それは……」
「ソヘイラーちゃん!」
困惑の声と、強く制止する声が同時に上がり、重い身体を引きずるように必死に駆け寄って来る友達を見たソヘイラーは口元を緩ませた。
「それは、友達の影響かもしれませんね」
「先生! もうやめてください!」
「そうね。勝負はつきました。キィルキュースの遺したものを、どうかこちらへ」
「私の死体から持っていきなさい。そういう勝負だ」
「むやみな殺生は、私が最も厭うものです。ロード、お願いですから――」
「エミリアを喪ってから、この時のためだけの人生だった。それに敗れたのだ。いまさら卑怯な手をためらう男だと思うかね?」
穏やかな試験官めいた口調とは裏腹に、隙さえあれば、いまこの瞬間にでもキマイラに飛びかからせると言外に言っていた。
「そちらこそ、いまさら卑怯な手に屈する私たちだとお思いですか?」
「満身創痍で言われても、駆け引きにならないな。こうして話している間にも、こちらの傷は回復しているんだ。もう二度とあんな奇策は通用しないぞ。君たちの選択肢は、いますぐ私にとどめを刺すか、ここで果てるか。そのどちらかだ」
厳然たる事実の重みを飲み込み、胸の中で消化して吐き出すように、ソヘイラーは長い長いため息をついて、ペンタチュークを振り上げた。
「ロード、私は優しいかもしれませんが、この友達ほどではないのです。……誰に似たのだか」
「ははは! まったくだな!」
すでに結論に達した血の繋がらない父娘を、ピーシャは愕然と眺める。
「ソヘイラーちゃん、嘘だよね? だって先生だよ? こんなこと、あっていいはずないよ」
「あっていいはずないことなら、いくらでもあった! ……それでも私は生きる」
「だめ、やめてお願い。親を殺す子どもは私だけでたくさん! 本気でやったら、許さないからぁ……!」
ペンタチュークを掲げたままソヘイラーが振り向く。表情の抜け落ちた顔は、ピーシャには救いを求めて泣き叫んでいるように見えた。ソヘイラーの涙でない涙が、ピーシャのボロボロの全身に、あと一発分だけの炎を起こす。
友達を突き飛ばし、固い音を立てて落ちたペンタチュークに手を伸ばす。
「ピーシャ!? なにをっ」
「過去をやり直しても意味はない……」
ペンタチュークは、ソヘイラー専用の武器だ。ソヘイラーは軽やかに振り回す一方で、それ以外の者には到底扱えないほどの重さを感じさせるように作られてある。だがピーシャは、全霊を振り絞ってペンタチュークを地から離しつつあった。
「救いもない……」
「ユインフェルト君。そうか、君がやるか」
神経すべてに雷撃が走っているようで、焼けた内蔵や筋肉から焦げた匂いが漂う幻覚すらする。万全の状態でも扱えないものを、限界を超えた身体で動かしていく。みっともなく震える腕で、大剣ペンタチュークを持ち上げていく。
「それでも生きるなら……」
「ピーシャ! やめて! あなたがすることじゃない!」
天を衝くほどに高くペンタチュークを掲げた。これなら一撃で、アルケインとキマイラを葬れる。
「これがぁぁぁっ、生命の重みならっ!」
アルケインはピーシャにひとつ、うなずきかけた。それは生徒を評価する教師のものではなく、一人の人間の決断に敬意を示す辞儀だった。
すべてを決する一撃。
「私が……!」
「そこまでだ!」
「へゃぁぁ?」
横合いから割り込んだ声は、ピーシャの限界以上に張り詰めていた精神を崩した。素っ頓狂な声を上げながらペンタチュークを落とし、そのまま尻もちをついてしまう。
「ミュティアさん!?」
走ってくるのは銀の天秤教団のマントをなびかせた女剣士。その後ろには、見知った顔が二つ続いている。
「ソニアちゃん、アルト君も!?」
「ちょっと、ボロボロじゃないの!」
「俺がついでみたいになってないか~?」
ミュティアは教団の任務としてここに来たにしても、友達二人の登場は驚いた。が、その二人もアルケインがいるのは予想外だったらしい。
「先生!? なんでここに」
「それキマイラっすか? 乗ってるし……」
「ガキども寄るな! そっちもだ、双方離れろ。この場は私が預かる」
ミュティアはすでに抜剣しており、いつでも実力行使に出られる構えだ。体力を使い果たした状態で抵抗できる相手ではない。剣を拾い直したソヘイラーと目を配せ合い、数歩下がった。
呆気にとられるピーシャを無視して、ミュティアはアルケインへと軽く会釈した。
「ロード・アルケイン。ご無沙汰しています。早速で失礼ですが、事情を聞かせていただきたい」
「ミュティアさんでも年上には敬語使うんだ……」
「あぁん? なんか言ったか小娘」
「ひぃっ、なんでもないです!」
「久しぶりだな、ミュティア君。事情と言ってもどこから話したものか――」
「その前に、街の安全は確保されているのでしょうね?」
ソヘイラーはミュティアに厳しい目を向ける。警備虫の暴走から人々を守ると言って、ミュティアは戻った。それがなぜここにいるのかと問いかけている。
「教団のマントにかけて街は安全だ」
「ならいいわ」
拍子抜けするほどあっさりソヘイラーは引き下がった。ソヘイラーは、ミュティアの教団の任務にかける誇りをきちんと理解して、信頼している。にやにやしたくなるけど、二人がかりで怒られそうなのでピーシャは口元を引き締めた。
「改めて聞くぞ。ここでなにをしていた。報告は正確に、簡潔に、具体的にしろ」
「ソヘイラーちゃん、下手にごまかすより正直に言ったほうがいいよ」
「ロードの振る舞いは世界に対するリスクになっているわ。今回はミュティアにつくわよ」
「これってチャンスだよ。ミュティアさんがいるなら、先生を捕まえることだって無理じゃないはず」
ささやき合っているうちに、アルケインが口を開いていた。
「奇跡を奪い合っていたんだ。こいつを、そこの巨大な石版にかざせばたいていの願いは叶うらしい」
アルケインは金色の板を懐から取り出して見せる。握力が戻って来ているようだ。
「奇跡ですか……?」
「私は魔法の失敗で異世界へ消えた妻エミリアに会いに行く。世界移動の魔法、不可能とは言わないが私が生きている間には完成しないだろう。ならば奇跡と呼んでも差し支えないはずだ」
「でも奇跡は一度切りよ! ロードが使えば、あの怪物が暴れ続ける世界が残されることになる。私は自分が異物と認識されないよう、世界の仕組みを変えるわ。ミュティア、わかるわよね」
ミュティアは情報を整理するために黙考し、やがて剣を収めた。
「えっ? ミュティア?」
「アタシからは特にないな。嘘をついている様子もないし、奇跡とやらを悪用するつもりもなさそうだ。……自由にされるといいでしょう。個人的には惜しい気持ちもありますが」
最後のほうはアルケインに向けて言っていた。ミュティアからすると身近にいるトップクラスの魔法使いが去るは寂しいことなのだろう。
「君にそう言ってもらえるなら、長年教師をした甲斐もあるな。学園のポストがひとつ空く。後任にどうだろうか」
「悪い冗談です。教師など一番向かない仕事ですよ」
和やかな雰囲気が出始め、ソヘイラーのうろたえた声が割り込む。
「待ちなさいミュティア。聞いてなかったの? 理解できなかった?」
「そんなはずないだろう。冷静な判断を下しただけだ」
「……自分の耳と脳を焼却処分することをおすすめするわ」
低く抑えた声で言い捨て、ソヘイラーはペンタチュークの切っ先がわずかに上げた。
ソヘイラーはミュティアの判断を信頼しているからこそ、問い返したりせず受け入れて対応しようとしている。だけど、ピーシャは納得がいかなかなかった。
「ミュティアさん……なんでですか」
「言っただろう。街はもう安全なんだ」
「……?」
「天使たちとはしばらくやり合ってたんだが、いきなり動きが止まって光になって消えた」
「はいぃ?」
「いや、マジなんだって」
「驚いたけど、助かったわよね」
「お前らがドラゴンを引きつけて、街の外へぶっ飛んでいったの見えてたんだよ。追いかけようとしたんだけど、暴れてる怪物もほっとけなくてよ」
「やっと消えたと思ったら、今度はこちらのスワルアさんに捕まって」
「虹の橋も残ったままだったし、お前らだけで空の穴に突っ込んでいきそうだったからな、引率だ。アタシの火の魔法は救助じゃ役に立たないから、そっちは教団の奴らに任せてこうやって真相を見極めに来た」
「でもさっき、ピーシャたちに怪物が消えたこと伝えるつもりだって言ってなかったすか」
「口が滑ったか。ついでに手も滑るかもしれんなあ。お前、アルトだったか。滑った手がお前のよく回る舌を引っこ抜くが気がしてきたなあ」
「うおいピーシャ! バイト先は選べよ、やべーだろこの人!」
「なにがなんだが……」
アルトもソニアもいつも通りのノリだった。召喚魔法のことは、普通の学生が知るはずない。ミュティアから聞いたのだろう。
「そっちの事情はわかりましたけど、怪物が消えたって、どういうことですか?」
「ピーシャお前、考えてから口を開け。天使は世界から異物を排除する仕組みだ。その天使が消えたんだぞ」
「私がこの狭間の世界に来たからでしょう。一時的に消滅したから、あの怪物たちも役割を失った」
「天使はそんなに甘くない。草の根わけても対象を滅ぼす世界の秩序の具現だ」
訝しげに首をひねるソヘイラーの横で、ピーシャが手を打った。折れたままの骨が激痛を訴える。
「っっっっ! わ、わかった……わかりましたよ……」
「バカなのか勘がいいのか、それともバカなのか。ハッキリしろ」
「バカじゃないですよっ。ソヘイラーちゃん、簡単なことだよ!」
ピーシャは大きく両腕を広げる。
「異物じゃないんだよ! ソヘイラーちゃんはこの世界にいていいんだよ!」
「……そんなこと、あるかしら。ゾハルに働きかけていないわよ」
「まず私がいる!」
「……だから?」
「アルト君もいるし」
「新調した剣でもっかい勝負だからな」
「ソニアちゃんも」
「私たち、友達でしょ」
「先生も」
アルケインは悲哀の混じった曖昧な苦笑いで応える。
「ミュティアさんも!」
「断じて友達ではないが、因縁があるのは認めてやる。加えて言うなら、アルムヒンの街の人々だな。ピーシャの主張を飲んでお前に罪がないとしても、呼び込んだ災厄に違いない。が、お前が救った人もまた多い。ここまで因果が絡まっちまえばそりゃもう世界の一部だろうよ」
「ほらね! もう誰もソヘイラーちゃんをいじめない。追い出したりしない。ソヘイラーちゃんには生きていく世界があるよ!」
「あっ……」
ソヘイラーが身体から力が抜け、ペンタチュークが光になって消える。光の霧をくぐり抜けた細い身体が、ピーシャの胸に倒れ込んできた。細く小さい身体に腕を回す。
きっといまソヘイラーの身体から抜けていった力は、長い間張り詰め、心身に絡みついていた糸のようなものだった。周りすべてが敵で、常に戦闘態勢を強いられる自分の中の警戒線を、やっと解いていい時が訪れた。
ソヘイラーも腕を回し返してきた。なにも言わず、ただ力いっぱいに抱きしめてくる身体は少し震えていた。
「あのぅ、ソヘイラーちゃん? たぶん感動の表現とかだと思うんだけど、正直内蔵やられてててわかんないというかめちゃくちゃ痛いというか、このままだとソヘイラーちゃんの頭の上から血ゲロだばーって感じなんですけど……」
飛び退いたソヘイラーは、なんとも言えない引きつった顔をしていた。
「さすがだわ。人生最高の瞬間を、あっさりと最悪に変える。あなたにしかできない芸当よ」
「ほめられて悪い気はしない。いや、する。ごめん」
「ふふふ! それでこそあなたよ」
かっこ悪すぎて笑うしかない。ピーシャとソヘイラーはそろって笑い声を上げた。
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