第五章 struggle

第25話 愛してると言ってもいいわよ

 一歩、踏み出す。

 虹の橋はしっかりした実感を足裏に返してきた。柵はないけれど幅はかなり広く、うっかり落ちる心配はない、と思った時だった。警備虫が穴から、わらわらと出現。橋を伝って突進してきた。

「うええっ、こんなところで戦ったら落ちちゃうよ!?」

「逆よ。敵を落としてやればいいの」

「ここから落としても倒せないんじゃない? 普通に着地してたし」

「とりあえず落としておけば、ミュティアが始末するわよ」

 信頼しているのか、面倒を押し付けようとしているのか、そっけない口調でソヘイラーは言う。

「あとで怒られる気もするけど……いまはそれで!」


 警備虫が光線を放つ。躍り出たソヘイラーがペンタチュークを掲げ、光線を両断。

 光の奔流が途切れたところ見計らい、ピーシャが迅雷の速度で突っ込んだ。警備虫の長い脚を蹴り飛ばし、晒された腹部を手のひらで打つと、大きな身体がぐらりと傾き墜落していった。 

 すぐ前の仲間の墜落と入れ替わるように、別のものの脚が振り下ろされる。ソヘイラーに目だけで合図して円弧の動きで跳躍回避。

 空中で伸身するピーシャに警備虫の注意が向く。が、その金属質の身体ががくりと落ちた。地を這う姿勢で接近したソヘイラーが大剣を振るい、脚を斬り飛ばしていた。ピーシャの伸身の勢いが乗ったえぐる角度の回転蹴りが警備虫を直撃。橋で一度跳ね、転がりながら落ちていった。

 共有された経験が生み出すアイコンタクトだけでの高速連携が、あとからあとから湧いてくる敵を、とどまることなく駆逐していく。怪物の濁流を押し返して進む少女二人は虹の橋を突破し、大穴へと突入した。


 穴を抜ける一瞬、奇妙な感覚が過ぎていった。召喚魔法を使った時と同じ、引き寄せられるような、突き放されるような奇妙な感覚だ。

 中は変わらずの混沌色が支配する空間だった。人の心の深部であるねじくれたオブジェが立ち並んでいる。

 入ってしまうと警備虫たちは襲ってこなくなった。あくまでも、『外にいるソヘイラー』を退治するためのもので、中にいると認識できないのだろう。穴の外へ這い出していく警備虫の流れから離れる。

「キィルキュース! どこにいるの~?」

「約束を果たしなさい!」

 二人の呼びかけは虚しく暗黒に吸い込まれていく。警備虫の乾いた足音だけが小さく響いている。

「まだ復活してないのかな?」

「門番としては考えにくいわね。常時見張っていない門番なんて……キィルキュースはもうそんな役割を放棄しているかもしれないわね」

「手伝ってくれるからいいんじゃない」

「その度に命がけの戦闘に付き合わされてはたまらないわよ。あんなものが進化なのかしら」

「目、付けられちゃってるよねぇ。とりあえず探しに行こっ。えっと……どっち?」

「警備虫の発生地点を目指しましょう。中枢とはいかなくとも、手がかりにはなるはずよ」

 整然と行軍する警備虫から少し離れたところを、流れに逆らい歩いて行く。


「ここって、夢の世界なんだよね。でも私たち起きたまま普通に来てるけどどうなってるの?」

「正しくはデジタルの世界ね。あの大穴をくぐった時に妙な感じがあったでしょう」

「あった!」

「出入り口には、変換機構が組み込まれているのでしょうね。いまの私たちはデジタルデータよ」

「わかりやすく!」

「別に肉体が外に転がったりしていないわ。以前の私の状態と言えばいいかしら。ここにあるのが実体よ」

「じゃあここでやられたら……」

「ショックで目が覚める、なんてことはないわ。そのまま消滅よ」

「ひぇっ」

「生きているんだもの。それが当たり前よ」

「そうだね……問題解決して、もっかい出ればいいだけだもんね! ……もし、だけど召喚魔法完全に成功させて、ソヘイラーちゃんが、私が開けた穴から出てれば大変な目に合わずに済んだのかな」

 ソヘイラーは、呆れた息を吐く。

「よく考えてみて。そうなったら、なにも知らないままミュティアにやられていたわよ」

「あ~~~本当だ。じゃあ失敗してよかった?」

「なにが正解かわからないということよ。たぶん、死ぬ瞬間までね」

「じゃあソヘイラーちゃんが、私に召喚されてよかった! って思うになったらいいなぁ」

 宝石のように輝く目が、愉快げに細められる。

「なったらいいなぁ、ね。ふふふ。いまでもそう思ってるわよ」

「え~本当に思ってる?」

「私はとっくに、あなたの人生の一部だもの」

 妖しくも軽やかなソヘイラーの微笑みに、ピーシャは凍りついた顔で立ち止まる。巻き込まれてくださいと言ったのは自分だ。それを、この小さな友達に言わせると、こうも切れ味鋭くなるらしい。ぐっと拳を握り、心が生み出す重みに耐える。耐えて、微笑む。

「ソヘイラーちゃん嫌い。だから好き」

「そう? 私は愛してると言ってもいいわよ」

「やった! いや待てよ……これは愛してるの定義について議論が必要なパターンですか!?」

「愛してるわよ? そうやって、正しく私のことを理解してくれているのですもの」

「だったらその悪い笑顔引っ込めてよぉ!」

 ふと、視界の端で閃光が走った。


「いまの見えた?」

「キィルキュースの光線のようだったわ。誰かと戦っている……?」

「行ってみよ!」

 散発的に光が瞬き、もうキィルキュースの光線だと確信していた。近づくうちに地鳴りや爆裂するような音も届き、戦闘が発生しているのは間違いなかった。

 やがて――

「水の精霊ウンディーネよ、荒ぶる威にて地を穿て! バーストレイン!」

 暗黒色の空から雨が降リ出した。ただし、雨粒のひとつひとつが大きく、速度も普通の雨と比べて段違いのものだった。雨というよりも、水の弾丸が降り注いでいるに等しい。

 弾雨の標的はやはりキィルキュースだった。耳をろうするほどの雨音に、キィルキュースの苦悶の絶叫が重なる。無数の高速高威力の弾丸が、堅固なウロコを砕いて内部の肉まで食い破っていた。

 徹底的に打ちのめされたキィルキュースは、前足で身体を引きずるように這い進む。その先には、光の扉――神の座への入り口があった。光に触れたキィルキュースは、その中へ吸い込まれるように消えていった。


 魔法の使い手は、触媒をジャケットにしまい、鷹を思わせる鋭い目で光の扉を睨む。その人物をピーシャは知っているけれど、同じ人間とは思えないほど発する空気が違っていた。

「アルケイン先生……?」

 はっと気づいたアルケインは、いつもの温和な紳士の顔に戻る。

「君たち……隠れていなさいと言っただろう」

「先生いま、戦ってました?」

「歳は取ったが、あの程度ならなんとかなる」

「あの程度って……」

 ピーシャとソヘイラー、二人がかりの死闘で抑え込んだ相手を軽くあしらうアルケインの実力は底知れないものがあった。

「ロード・アルケイン。あなたこそ何故ここにいらっしゃるのです?」

「君たちを戦わせないため、だったが、おとなしく言うことを聞く子ではなかったな」

 アルケインは怒るでもなく、自分の見立ての甘さに失笑して続ける。

「ここまで来たということは、召喚魔法と世界の浄化能力の関係についても聞いたのだろう。そうだな、銀の天秤のミュティアさん辺りから」

「ご推察の通りです」

「辛い思いをしたかもしれないが、少なくとも私は君の味方だ」

「私もだよ!」

「ありがとうございます」

 微笑むソヘイラーに、アルケインは少し眩しそうにうなずく。

「思っていたより、ずっとたくましい子だったようだな。これはおじさんが出しゃばってしまったか」

「とんでもないことです。心遣い、感謝に堪えません」


「あの~ソヘイラーちゃん? 先生はお父さんみたいな人なんでしょ。もうちょっと普通にしゃべったら?」

 アルケインには聞こえないようにささやくと、ソヘイラーは困った顔で小さく首を振った。

「そう割り切れたものではないわ。いずれそうなるかもしれないけれど。すぐには難しいわよ」

「そっかぁ。いずれ、を作るためにも生きないとね。先生! 先生もこの先付き合ってくれるんですよね」

「ここまで来たんだ。あの扉の向こうにあるものを見極めなくては魔法使いではないさ。それに、あのキィルキュースと名乗ったドラゴンもまだ倒せたとは言えない。一度学園に戻って、触媒もたっぷり用意してきたしな」

「先生強いんですね、ビックリしました。その――」

 ピーシャが言いかけた続きを察してアルケインが答える。

「足が悪くても、風の精霊の力を借りれば並の魔法使いより早く動ける。疲れるし触媒も消耗するから普段使いにはできないがね。戦闘用だ」

「頼りにしますねっ」

「もちろんだとも。では、行こうか」

 魔法で浮遊して進むアルケインに続いて、ピーシャとソヘイラーが光の扉を抜ける。


 混沌とした世界から一転、神の座は白く清浄な光で満たされている。果てしなく広がる空間には太い円柱が並び、正面にはどこまでも高く伸びる石版――ゾハルが屹立していた。

 ピーシャはゾハルを見上げて、自分の目を疑った。

 ここには二度来ているし、改めてゾハルの巨大さに驚いたりしない。不思議な質感の石版の上に、理解不能の文字らしきものが絶え間なく浮かび上がっては消えるのも知っている。だがいまは、その文字たちは生まれていなかった。ゾハルは止まっている。

 天を衝く石版に、巨竜キィルキュースが絡みついていた。獰猛な牙がゾハルに深く食い込んでいる。愕然とする三人の前で、大顎が石版を噛み砕いた。キィルキュースが石版を咀嚼し、世界が砕けるおぞましい音が響く。

 ゾハルはピーシャが暮らしてきた世界だけでなく、あらゆる可能世界、平行世界の中心点だ。ひと噛みごとに、幾億もの世界が消滅していく。

「なっ……! なにをしているのキィルキュース!」

 いち早く我に返ったソヘイラーの詰問に、ゾハルを飲み下してからキィルキュースは当然だという声で応えた。

「進化だ」

 牙の隙間から石の欠片がぱらぱらと落ちる。

「生きるとは自らを進化させ続けること。その極限は、神だ。神の力を以て、ともに闘争の果てへ至ろう」

 キィルキュースの全身が輝き始める。輝きはみるみる高まっていき、目を開けていられないほどの強さに達した瞬間、炸裂。

 ピーシャは目の痛みをこらえて、ゾハルを見上げた。巨大な板は、キィルキュースの顎の形に欠損し、向こう側の空間が見えていた。絡みついていたキィルキュースがいないことに気づく。


「これが神の形……」

 キィルキュースの声が響いた。発生源は、ゾハルの前に立つ一人の男だ。

 人間に見立てれば二十代前半ぐらいの男だった。身につけた簡素な服を太い筋肉の束が押し上げている。武の道を志す青年のような佇まいだ。

 だがそれは人間ではなかった。両肩からもう一本ずつ腕が生えて、計四本の腕を持っていた。それぞれに剣を握っており、穏やかな神の座の光すらも獰猛な剣光にして照り返している。背中には翼を備え、腰からは尻尾が伸びていた。

 竜人キィルキュースの降誕だった。異形の新生物の中で、瞳だけは変わりなく闘志に燃え盛っている。

「勇者たちよ、我は至高の闘争を望む」

「戦う理由がないわ。繰り返しになるけれど、私を異物だと認識させないようにし、街にも被害が出ない世界を探す。目的はそれだけよ」

「神の力が必要だろう。だが、もうこれは機能を停止している」

 キィルキュースはおもしろがっている顔で、背後のゾハルを剣の切っ先でつついた。あまりに人間くさい仕草に面食らった。

「さあ! さあさあさあ! 闘争を! 闘争を! 闘争を!」

 キィルキュースが四本の剣を打ち鳴らし、構えを取った。四本腕の剣術などないが、隙は見当たらず一流の剣士だと思わせる気迫があった。

「ぶっ壊れちゃってるよぉ」

「相手してられないわ。私がゾハルの状態を確認する。その間、アレを引きつけておいてちょうだい」

「また囮ぃ!?」

「ロード・アルケイン。友達の補助をお願いできますか」

「私が前に出たほうがいいのではないかね」

 アルケインは生徒へ配慮しているようだが、ソヘイラーは冷静に退ける。

「ロードの魔法は強力です。彼女が巻き添えになるリスクのほうが大きいと考えます」

「ふぅむ。よし、ユインフェルト君。後ろは任せなさい」

「先生までそう言うなら」

 ピーシャは諦めを息と一緒に吐き出し、息を吸い込みながら魔力を練り上げる。身体の隅々まで賦活された感覚を連れて、地を強く蹴り込んだ。

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