第24話 大丈夫! 私がいるから!

 女剣士の顔に迷いは一切なく、ただ秩序の敵を撃滅する意思だけがあった。

「ピーシャお前、召喚魔法を使ったな」

「そんなこと言ってる場合じゃない! 街がどうなってるか、知らないんですか!?」

「全部承知でここにいるんだ。お前……自分がなにをしたのかわかってないんだな。言ったはずだ、召喚魔法を使えば世界がひっくり返っちまうってな」

「私の、せい……?」

 直前にキィルキュースが言ったことと噛み合わない。横目でソヘイラーを見ると、すべて察した顔が青くなっていた

「召喚魔法は異物を呼び込むが、世界はそれを許さない。だから天使がやって来る」

「天使……って、あの怪物ですか? なんか言葉のイメージと違うって言うか」

「天より来たりて、世界の意思を執行する。これが天使でなくてなんだってんだ」

 ミュティアは皮肉げに鼻を鳴らした。

「天使は強大すぎる。ただ歩き、道をならすために息を吹きかけるだけで、人間にとっての大災害になる。だから我々、銀の天秤教団は天使の介入より早く異物を排除する仕組みを作ったんだ。大陸中にネットワークを整備し、人々の秩序と安寧を守ってきた」

「二段構えの、一個目だけやり過ごして終わった気になってたんだ……こんなのずるい! わかりっこない!」


「新人の教団員にいつもする例え話がある。お前も風邪ぐらいひくだろう」

「はいぃ? いきなりなに言い出すんですか」

「世界もまた、ひとつの生物という例えだ。異物が生物に侵入した時はまず、粘膜系に阻まれる」

「まぁ……せきやくしゃみは出ますね」

「我々をそれに例えるのは、やや気味悪いが、そういうことだ。せきやくしゃみで済むならそれでいい。だが異物が完全に侵入すると、どうなる」

「熱が出たり、吐いたり?」

「内部を痛めつけてでも、異物を排除しようとする。世界という大きな観点から見ればそれでもいいんだろう。多少胃が痛んでも、死にはしない。だがな、ここには人が暮らしてんだ。いま起きていることは蹂躙でしかない」

 憎々しげに吐くミュティアの真意を汲み切れず、ピーシャは問う。

「ミュティアさんは……誰のために戦ってるんですか。神や教団のためですか。それとも人の暮らしを守るため?」

「鋭いな。実はその二つは同じにならない。ウチの組織も、まぁ複雑だがアタシは人を守るために戦っている。神の遣いだろうが、人を害するなら天使も斬るし、ドラゴンも殺す」

「キィルキュースはそんなんじゃなかったのに! いきなりあんなことしなくても!」

「キィルキュース……というのは、あのドラゴンの名前か。あいつは無差別に街を焼いた。だから力なき人に成り代わり、奴を誅戮した。あとは……お前がソヘイラーだな」


 ミュティアが、静かな殺意を込めて黒髪の少女を睨む。

「その子は違っ――」

「ここまで知っていて、ごまかすのは無理があるわ」

 ソヘイラーは脱力した苦笑いを浮かべている。

「私を排除するつもりね?」

「せめて苦しまずに死なせてやろう」

「ふふふ。あははは。傑作よね」

「ソヘイラーちゃん……?」

 細い肩を揺らして笑う少女は、その瞳になにも映していなかった。

「元の世界でウイルス扱いされ世界中から追い回されて、こっちに来ても同じ扱いを受けるなんて思いもしなかったわ。まさに最悪の厄介者。道理で生きづらいわけよね……世界に存在を拒絶されているのだから!」

「お、落ち着いて。大丈夫、ソヘイラーちゃんは悪くないよ」

「当たり前よ! 私は生きたいだけ! それなのに何故こんなに攻撃されるの! 何故邪魔するの! いい加減にして!」

「行為の善悪ではなく、存在を是とするか、非とするか。そういう問題だ」

「いつもいつもいつもいつもいつもいつもいつも誰彼からも、お前は消えろ許されないと狙われ続けてやっと、やっとここまで来たのにぃ……!」

 ソヘイラーのこれまで見たことのない感情の爆発に、息を飲む。

 キィルキュースに阻まれた時も、前回、ミュティアに異物だと宣告された時も、ソヘイラーは悲しげに受け入れ、こんなに怒りを露わにすることはなかった。

 でもそれは夢の世界で、薄暗い中孤独な戦いを続け、怒りの感情がすり切れた結果でしかなかったと気づく。この小さな友達は、厳しい倫理観を持ち、なによりも自分の命の価値が不当に貶められている状況に黙っていられる性質ではない。

 こちらの世界に来て友達が増えて、美味しい食事をして、将来の話をした。手に入れたはずのものをまた奪われる落差が、すり切れていた感情を業火へと変えていた。

「……まだなのね」

 ソヘイラーは慟哭を赫怒の炎で焦がした目で、ミュティアを睨み返した。

「教団にはまだ連絡していないのでしょう。自信家のあなたは自分で解決すればいいと思っている。あなたさえ消せば、教団は動かない」

「アタシを消すだと。そいつは自信じゃなくて思い上がりってんだ」

「試せばいいわ。私は生き残る」

「ハッ、ガキのくせに度胸はある。が、お前は消える定めだ」

 両者の殺意が乗った切っ先がじりりと動き、機を探り合う。


「待っ――」

 ピーシャの静止が逆に合図となった。飛び出したソヘイラーが、ミュティアが、剣を薙ぐ。陽光を浴びた刃が、白い光を描き出した。

 金属と金属がぶつかる甲高い音が響く。一瞬の鍔迫り合いののち離れ、また激突し、互いの魂を削り合うかのように刃と刃が火花を散らせる。

「ソヘイラーちゃん!」

「あなたも手伝いなさい」

「ミュティアさん!」

「コイツを消せばすべて済む」

「もうっ……! こんなことしてもしょうがないのに!」

 ミュティアの超速精緻な剣術を、ソヘイラーは大剣ペンタチュークのパワーとリーチを活かして渡り合っている。絡み合う剣風が衝撃波となり、一合打ち合うごとに熱砂を巻き上げ、焦げた匂いが漂ってくる。飛び散る汗の滴を、地に落ちる間も与えずに刃が斬り裂いた。

 これは戦闘不能で終わらない戦いだ。どちらかが死ぬまで終わらない。

「これじゃ前の時と一緒だよ……」

 いや、本当は違う。オクルリッジの能力も使いこなせるようになったし、ミュティアの剣技も白刃取りできるほどに慣れている。だけど、生か死かの結末しかないのでは、前と同じだ。

「ううん……今回こそ、なんだよね」

 本当なら消えていた命だ。ソヘイラーにチャンスをもらった、この『もう一回』でやるべきことをやり、言うべきことを言う。ピーシャは、拳を握り決意を固めた。


 ソヘイラーとミュティアは、交えた刃こしに至近距離で睨み合い、同時に強く弾き合って間合いが離れた。 

「オクルリッジ!」

 まずソヘイラーのそばへ転移しペンタチュークを蹴り飛ばす。驚く友達の手を取って再び転移。ミュティアから剣を奪い放り投げると、その手も掴む。

 片方にソヘイラー、もう片方にはミュティアの手を握り、その間に立つピーシャは思い切り息を吸い込み――砂が入ってむせた。

「げほっ、げほっ! ……え~っと、け、ケンカはダメ!」

「……」

「……」

 白けきった視線が左右から刺さる。

「あなたね……この場面でしでかしておいて、言うことがそれ?」

「気が利かないにも限度があるだろ。まあお前らしいが」

「だってだって、ダメなものはダメって言わなくちゃダメでしょ。そんで、正しいことは、ちょっと無理してでも正しいって言わなくちゃ」

「じゃあ聞くが、お前の言う正しいとはなんだ?」

「仲良くすること!」

「コイツと仲良くしてる間に、また人が死んでるかもしれないぞ」

「ソヘイラーちゃんも人ですよ! もう、この世界の人間です。この世界のご飯を食べて、友達作って、生きてるんです!」

「同じセリフを、天使に殺された人間の家族に言えるか?」

 静かに見据えるミュティアの眼光は、厳粛な審判者のものだった。見られるだけで肌がひりつく。私情も感情も置き、真理を見極める天秤を背負う人間が放つ重圧が、ピーシャの身体を縛り上げる。

 でも、ここで怯んでは台無しになる。

「……言います。こんなことになった原因が私にあるとしても、あの怪物たちがソヘイラーちゃんを探して暴れてるとしても、やるべきことはソヘイラーちゃんを殺すことじゃない。世界の仕組みを変えて、ソヘイラーちゃんが普通に生きられる世界にすることです」

「やれるのか」

「やれま……やれる?」

 情けない声に、ソヘイラーの肩ががくりと落ちる。

「そこは言い切ってほしかったわね……ゾハルを扱うのは私だし、自分のために全力は尽くすけれども」

「と、とにかくゾハルに連れて行くまではなんとかするから!」

「別に怒っていないわ。とても嬉しいことを言ってくれたもの」

 ソヘイラーが微笑む。泥と汗に汚れていてもなお美しい、天使の微笑みだった。

「イチャつくのは他所でやれ」

 ミュティアの顔はすっかり毒気が抜けていた。知人に世間話でもする軽い調子で、ミュティアはソヘイラーに話しかける。

「実はな、お前がさっき街で戦っているのを見た。存在は許容しないが、行いは邪悪ではないと確信している」

「……どういうつもり?」

「それはこっちが聞きたい。殺すつもりで来たが、私の剣をしのぎやがった。生への執着が集中力になったんだろうな。だが街では、命がけで見ず知らずの人を守っているようだった。こいつはどういうことだ」

「命は等しく尊いもの。理不尽に奪われていいはずがないわ。もっとも、究極の選択になれば自分の命を優先するわよ」

「ハッ、いいな。お前は信用できる」

「なぁに、その言い草は」

「これでも多くの戦士、戦場を見てきたんだ。お前みたいなこと言う奴は、本当に良い奴だ」 

 ミュティアが訳知り顔で笑うと、ソヘイラーは心底不快そうに眉をしかめた。


「仲直りでいいのかな? いいよね! やった!」

 二人の間でピーシャは、ぴょんぴょん跳ねる。

「二人も手を繋いで、こう、輪っかみたいに――」

「イヤよ」

「それはないな」

「えぇ~……」

「お前が間に入ってるぐらいでちょうどいいんだよ」

「橋みたいなものね」

「あはは。責任重大だ、ね、……っ!」

 頭の中で、氾濫した川が轟々と唸る。あの日の記憶。荒れ狂う濁流を前に、自分自身に絶望し、母を救えなかった日。空を飛んで川を超えて行ければと思った。でも、本当に望んでいたのは濁流に流されていった、あちらとこちらを繋ぐもの――

 ピーシャが膝から崩れ落ちる。

「あ、あああっ……!」

「おい!」

「どうしたのっ」

 左右からかかる声に、ピーシャはぐっと手を握って応える。

 やっと、理解した。これが自分。そして魂と深く繋がっている精霊。望んでいたものに自分がなるんだ。

 右膝、左膝と力を込めて立ち上がる。

「わかったよ! 私、橋になるね!」

「「はぁ?」」

 ソヘイラーとミュティアの声が見事に重なり、なんとも微妙な顔を見合わせる。

「あはは! 大丈夫! 私がいるから! 見ててね――」

 ピーシャは二人から手を離し、身体の中の魔力と、湧き上がってくる確かなイメージを感じ取る。

「橋の精霊オクルリッジよ、」

 ピーシャは右の拳を引き絞り、空に開いた暗黒の大穴に向けて突き出した。

「お願い応えて!」

 虹が走る。

 青空に鮮烈な七色を浮かび上がらせ、緩やかな弧を描く虹の架け橋が生まれていた。歌いながら飛んできた小鳥が、虹に留まり、またすぐ飛び去っていった。

「ありがとうソヘイラーちゃん、ありがとうミュティアさん。私、できるよ。自分で橋……架けられるよっ……!」

 涙が溢れた。

 あの時、一歩踏み出せなかった過去は変えられない。この力で、母の代償としてソヘイラーを助けたところで救いはない。

 でも、生きてる限りは前へ進める。一歩前へ。あちら側へ、とても届きそうにないところへでも、進んでいける。

 いってきます、お母さん――

 ごしごしと涙を拭う。

「ごめん、泣いてる時じゃないね」

「今度ゆっくりと話を聞かせてもらうわ」

 ソヘイラーがペンタチュークを掲げて並んだ。

「お前……相性のいい精霊見つけたんだな」

 ミュティアが呆気にとられた顔で虹を見ている。

「えへへ。才能あったみたいです」

「調子に乗るな」


 苦笑いしてミュティアは剣を拾う。鞘に収めると、そのまま振り返らなかった。

「アタシは戻る。天使どもの相手をしてやらないと」

「一緒に来てくれないんですか?」

「一人でも多く生かすためだ。アタシは力なき人々を守る剣。そっちはそっちでなんとかしろ」

 首だけ返したミュティアは、目で睨み、口で笑った。ソヘイラーはそれに真っ直ぐうなずく。

「よかったね、ミュティアさん認めてくれて」

「まだなにも終わってないわ」

 去っていくミュティアの背中から、虹の先の大穴へ視線を移した。

「行こう」


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