第21話 母のような人でした
アルケインとは少し離れてしまったが、足の悪い老紳士にはすぐ追いつけた。
「先生!」
「おや、ユインフェルト君。奇遇だな」
振り返ったアルケインの、柔和な目元が緩む。
アルケインはソヘイラーを見て、少し驚いたような顔をした。意味はわからないけど、ソヘイラーはひとまず挨拶を済ませることにしたらしい。
「初めまして、ロード・アルケイン。お会い出来て光栄です。私はソヘイラー・マルキス。お見知り置きください」
ソヘイラーは非の打ち所が無い所作で礼を執った。顔を上げたあと、目を合わせての微笑みも完璧だ。
アルケインは、ソヘイラーの紫がかった黒髪をじっと見ていたが、ふっと我に返り取り繕うように言う。
「丁寧な挨拶痛み入る。素敵なお嬢さんと知己になれて私も光栄だ」
続けて、たまらずといった風に尋ねた。
「突然で失礼だが、クツヴィーク村の出身か縁のある方だろうか」
「いえ……?」
「知り合いのマルキスに、同じ髪の色をした人がいたものでね。早とちりだったようだ。すまない」
「こちらこそ。ご期待に沿えなかったようで、なんだか申し訳ないです」
「これは手強いお嬢さんだ」
苦笑いするアルケインの口から、『エミリア』と小さく呼ぶ声がこぼれた。
「エミリアと仰りましたか!? エミリア・マルキス……!?」
「なにか思い出したのかな」
アルケインは珍しい知り合いを見つけたぐらいの顔つきだが、ソヘイラーの反応は劇的すぎた。尋常ではない衝撃を受け、大きな目がこぼれ落ちそうなほど見開かれている。
それだけソヘイラーの心の占めているもの――閃いたピーシャは、愕然とする少女にささやく。
「エミリアさんって、もしかして……」
「もしかしなくてもマスターよ」
「エミリアさんは向こうの世界の人じゃないの?」
「そのはずよ……でも、さっきあなたが言ったように、ゾハルの存在を知っているとすれば辻褄が合うところもある……どういうこと?」
「わかんないけど、先生から聞き出す前に、こっちの説明しないと始まらないと思う」
「なんにせよ予定通り、ということね」
ピーシャは、勇気づけるようにソヘイラーの腕に触れた。
「失礼しました。エミリア・マルキスは私にとても縁の深い者です。しかし関係を説明するのは簡単ではありません」
アルケインは好奇の色を消して、真剣な顔でうなずいた。
「私も先生に相談があるんです。ソヘイラーちゃんとエミリアさんにも関わりあることで」
「長くなりそうだな。そこの喫茶店に入ろう」
飲み物と軽食を注文し、それらが来るまでは他愛もない話をして過ごした。
アルケインが、ピーシャのよくわからない苦そうなものを飲み、目を配せてきた。
「そろそろ始めますね。始まりは、先生から借りた召喚魔法の冊子みたいなので――」
「いきなりさえぎってすまないが、冊子だって?」
「教員用図書にあったじゃないですか。研究室まで運んでいって、興味があるのは貸してくれるって」
「……ああ! なんてことだ、あの時に混じったのか。ユインフェルト君、召喚魔法なんてものの研究書を学園が持っているはずないだろう。あれは私のだよ」
「先生の私物ですか!? ごめんなさい勝手に持ち出しちゃって」
「こっちも迂闊だった。どこかに置き忘れたかと気をもんでいたが、よしとしよう。では続きを聞かせてくれ」
一昨日の夜、召喚魔法が妙な具合で発動し夢の世界へ引き込まれたところから、時折ソヘイラーの解説を交えつつ、順を追って語った。アルケインは簡単な相槌を打つだけで、最後まで静かに聞いていた。
「――ということです」
「ではソヘイラーさんの、創造主というのか、生みの親か、その人物がエミリアなんだね」
アルケインは前のめりになって尋ねる。
「私が作られた時には、マスターの髪はほとんど白くなっていました。自身の若い頃の髪色を参考に私を作ったとしても、断言はしかねます」
「試すようで悪いが、身体的な特徴を教えてくれないか」
「青い目、鼻は高くも低くもないけれど、すっとしています。それから、首の左側に小さなほくろがふたつ並んでいるのが目立つ特徴です」
「間違いない……」
ピーシャは、研究室の机に置かれていた小さな肖像画を思い出していた。若い頃のアルケインと並んでいた、黒髪がきれいな女性こそがエミリアだった。
「エミリアさんは、先生の……」
「妻だ」
それきり沈黙が落ちた。耐えきれなくなったのはピーシャだ。
「け……研究室で肖像画見ましたよ! とっても美人さんだったなー。憧れちゃうなー」
棒読みのお世辞にアルケインから苦笑いが漏れる。
「自慢の妻だったよ。だが私たちは若く、愚かだった。世界移動の魔法を試したんだ。おそらくだがユインフェルト君と同じ状況になった。黒い穴に吸い込まれそうになったんだ」
「!? それでっ」
「私は自分の足を剣で貫いて支えにした。両腕で妻を引き寄せたが、力が及ばなかった。妻は穴に飲み込まれ……それきりだ。あの魔法は、扉の精霊と相性のよい妻がいたから可能だった。一人ではどうにもならず、だがどうにかしようと改良を重ねた結果が、あの召喚魔法のメモだよ。妻を呼び戻すためだけの魔法を、彼女をまったく知らないユインフェルト君が発動させると、それに近しい人が呼び出されたという寸法だろう」
「じゃあ私がもっかいやれば!」
「いや……妻は、どんな暮らしをしていたんだろう」
アルケインは静かに問う。
「結婚はしていません。少し身体を悪くしていましたが、プログラマー、つまり技術者として多くの人に信頼されていました。おおむね、安定して幸せな生活を送っていたと思います。そして……自分が作ったモノである私に愛情を注いでくれました。あなたが不快に思わないよう願いながら言いますが、エミリア氏は母のような人でした」
アルケインは天井を仰ぎ、手で目を覆った。ハリを失った初老の男の頬を、透明な雫が伝っていった。
「先生……」
「あれから三十五年になるが、私は愚かなままだった。妻を自分の元へ戻すことばかり考えて、別の世界で生きているなんて想像もしなかった。愛する人が生きている。しかも幸せに暮らしている。こんなに素晴らしいことは他にない……!」
「お望みでしたら知る限りのことはお話します。私にとってもそれは喜びになりますから。ただ、その代わりと言うと語弊があるのですがお願いしたいことがありまして」
ソヘイラーはピーシャに目をやって、続きを促す。
「ソヘイラーちゃんを召喚魔法の成功例として学園に保護してもらうか、他になにか別のやり方があれば教えて欲しいんです。えっとつまり……お金がないんです」
「言い方!」
「だってぇ、本当のことだもん」
「し、失礼しました。つまりですね、偉大なる先人の知恵をお借りできればと――」
「同じこと言ってるだけでしょ」
ソヘイラーがキッと睨み、ピーシャの肩がびくっと跳ね上がる。
「ははは。愛だのなんだのと言っても、人は食べないと生きていけないからな。言いたいことはわかった」
アルケインは濡れた頬を拭い、理解の笑みを見せる。
「ところで大事なことを忘れていたが、ソヘイラーさんがこちらに来たのはいつのことだろう」
「今朝ですが、それがなにか……?」
「半日ほどか」
老紳士の手が注文していたクッキーに伸ばされ、おもむろに食べ始めた。
「君たちも少し食べたほうがいい。腹が減っては戦はできぬと言うだろう」
勧められるままにクッキーをつまむ。さっき昼食をとったばかりだけれど、甘いものは別腹だ。
アルケインはクッキーをつまみながら、なにか考え込んでいたかと思うと、店員から紙とペンを借り、なにごとか書き始める。
「この書式は法的効力を持つものだ。学園でも役所でも通じる」
懐からナイフを取り出し親指に小さな傷をつけると、にじんだ血で印を押した。扇いで乾かし折りたたんだ紙が、ソヘイラーの前に差し出される。
「君が持っておくんだ」
「……中をあらためても?」
「きっと驚かせてしまうだろう。説明している時間がないんだ。君の損にはならないとだけ約束しよう」
ソヘイラーは信じたいが信じ切れない思いを礼節で包んだような微妙な顔で、なにかの証書をポケットに収めた。
「よし。さあ出よう」
勘定を置き、腰を浮かせたアルケインに続くが、その態度はかなり不審だ。
「先生、急ぎの用でもあったんですか」
「そんなところだ」
店を出たアルケインは大きく深呼吸をした。別にいつもと変わらない街の空気だが、アルケインはなにか大事な儀式でもしたように思えた。
「君たちは街を離れて、人の少ないところに隠れていなさい」
「ええっ、いきなりなんですか」
「……なにか、隠していますね」
「ソヘイラーさん、大事なことだからよく聞くんだ。会ったばかりだが、私は君をとても大切に感じている。さすがに娘のように、君からすれば父のようにと思うのは難しいが、エミリアに縁の深い者同士、絆があるのは確かだろう」
「はい」
「大変な試練を乗り越えてここまで来た。ユインフェルト君という、いい友人も持てたようだ」
「えへへ~、いやぁ、まぁ、それほどでもありますけど」
「ははは。よし、いいぞ。できればずっと君の庇護者になってあげたいが叶いそうもない。この世界で生きて、幸せに暮らして欲しい。それが私の願いだ」
アルケインは上着のポケットから、小さな青々とした葉を出した。
「風の精霊シルフよ、我が意に従い空を歩ませたまえ! エアリアルブーツ!」
アルケインがふわりと浮いたかと思うと、なにもない空中へ一歩踏み出す。その一歩は確かに老紳士の身体を持ち上げた。呆然とする少女二人を地上に残し、アルケインは空中をまさに風に乗ったような快速で走り去っていった。
「うそ……」
「飛行魔法は難しいんじゃなかったの」
「信じらんないけど……アルケイン先生がそれだけ天才だったってことだよ」
「謎を残してくれたわね。あの言い方、まるで……」
「最後のお別れみたいだったね」
ソヘイラーは穏やかな青空を睨みつける。
「追うわよ」
「学園の方に行ったみたいだけど」
「街から離れて人の少ないところに行くわね。隠れるかどうかは別にして」
「そう言うと思った!」
笑みを交わし合い、ピーシャは身体に魔力を通す。
「あなたの魔法で飛んでいけないの」
「オクルリッジ? あれは場所と場所の間を一瞬で動くイメージなんだよねー。連発すれば、飛んでるような使い方もできるかな」
「ロードが使った魔法は、空に道でもあるようだったわね」
「たぶん、足が悪くても素早く動くための魔法なんだよ、……ん……道? 道……?」
ソヘイラーが訝しげな顔に焦りが混じっている。ピーシャは、なんでもないと手を振った。なんでもない、はずがない感覚だけど、深く探っている時間がない。
「追いかけよう」
言った時だった。
魔法の感覚があれば、発動する魔法がどういう効果を持つのかなんとなく読み取れる。
ピーシャとソヘイラーは次の瞬間に発動される魔法の効果を読み取り、その規模と持つ意味に吐き気をもよおすほどの重圧を受けた。
歯を食いしばり、ピーシャは空を見上げる。穏やかな青空に生まれた一点の黒い染みは、あっという間に巨大な穴を作った。
「夢の世界への穴!」
「なぜいまここに……? それにあの大きさは」
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